津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

予定たたず

2011-08-20 14:23:40 | 徒然

 今週初めからつづくぐずついた天気は、気温をぐっと抑えてくれて随分助かっています。今日も降ったりやんだりの天気で、出かけるのが躊躇されます。
今日の地元新聞のサイトによると、健軍神社参道(八丁馬場)に清正公没後400年を祈念して馬に乗った清正公銅像が出来たそうです。

これは早速写真を撮りに出かけなければと思うのですが、この天気では・・・・まずは「くまにちコム」の写真を御覧下さい
          http://kumanichi.com/osusume/toretate/kiji/20110820001.shtml

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島津義久-細川幽齋-近衛信尹-黒斎玄與

2011-08-19 19:21:21 | 徒然

CiNiiに近衛信尹と黒斎玄與(阿蘇惟賢)に関する論考を見つけた。

 近衞信尹の旅 : 『三藐院記』と『信尹坊津紀行記別記』        http://ci.nii.ac.jp/els/110000466749.pdf?id=ART0000846092&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1313746904&cp=

 黒斎玄與の旅 : 『玄與日記』    
http://ci.nii.ac.jp/els/110000219211.pdf?id=ART0000600839&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1313747249&cp=

共に白井忠功氏(立正大学文学部教授)によるものである。

近衛信尹は文禄三年天皇の勅勘により、薩摩の坊津に配流となる。一方黒斎玄與(阿蘇惟賢)は阿蘇宗家と対立し天正十五年矢部(熊本県矢部町)の浜の館から逃れて島津氏を頼った。
島津氏はといえば、梅北の乱における島津氏の係りをとがめられ、細川幽齋をして当主義久の三弟・歳久の切腹が申し渡された。幽齋の努力に依り関係者の処分が滞りなく薦められ、島津家の危機も一段落する。そんな時期に坊津に近衛信尹がいたのである。信尹が京都を発するとき、細川幽齋は是を見送っている。歌道の師幽齋を向かえ島津義久は歓待するが、一方弟・歳久の死を要求する秀吉の使者でもあった。この微妙な時期この四者の間ではどのような交流があったのか、興味は尽きない。勅勘が許されて帰京する信尹に、黒斎玄與が供をする。その道中の模様を記したのが「玄與日記」である。兼見卿記などによると、帰京した信尹を幽齋は温かく迎えている。玄與もまた、薩摩依頼の久闊を叙したことであろう。四者の関係がもっと詳しくわからないだろうかと、この論考を読んでいるが・・・・

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さんまと武士道

2011-08-19 18:16:19 | 徒然

 東京の「永青文庫」は館内整備のため休館に入っている。来年1月6日までだそうだが、7日から新たな企画で又展示が始まるようだ。

 一方目黒の雅叙園では「さんまと武士道」なる展覧会が催されている。雅叙園といえばかっての細川家の屋敷跡でもある。落語の「目黒のさんま」に引っ掛けてのネーミングだろうが、なかなかさばけている。熊本からはちょっと出かけるには覚悟を要するが、東京近郊の方には「永青文庫」の休館中でもありこちらへお出かけになることをお勧めする。

          http://www.megurogajoen.co.jp/event/hosokawa/

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島津義久と義弘

2011-08-18 12:06:50 | 徒然

                     

 作家桐野作人氏の講演会が行われる。鹿児島でのことだがちょっと心を動かされている。
義久に細川幽齋が大いに係っている。梅北事件に伴う弟・歳久の賜死事件などは、島津氏にとっては屈辱のことであったろうが、事が穏便のうちに収まったのは幽齋の力によるところが大きい。又義弘の関ヶ原での逸話など、果たして桐野氏はどのような話をされるのか・・・一丁出かけてみようかと思案している。

                  演題:歴史作家 桐野作人講演会
                     「義久と義弘~波乱に満ちた戦国島津兄弟の戦い~」
                  日時:9月25日(日)12:30開場、13:00開演
                  会場:宝山ホール
                  住所:鹿児島市山下町5-3
                  電話:099-223-4221
                  主催:(財)鹿児島県文化振興財団

  義久  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E7%BE%A9%E4%B9%85
  義弘  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E7%BE%A9%E5%BC%98

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感謝

2011-08-18 08:37:58 | 徒然

 熊本は14・15両日は大雨その後もぐずついた日が続き、気温も30度をまたいで行ったり来たりの状態が続いている。暑さがこたえて疲れが抜けずにいたが、これで一息ついている。どうやら今週いっぱいこの様な状態が続くらしい。
 昨日はブログを休んでしまったが、10時まえにオークションで手に入れた本を二冊寝床に転がって読んでいたら、そのまま寝込んでしまった。気がついたときは日を跨いでしまっていた。

 日中は「氏家氏」の先祖附を読んでいるが、これがなかなか面白いのだが読めない字が多くて難儀している。皆様にご披露するにはまだまだ時間を要するようだ。
柿原孫三郎による柿原文書「大木土佐」については、資料提供者のお力をお借りして読了にいたった。いずれご紹介したいと思っている。

 色々な方のお力で、いろんな情報をご提供いただいているが、これらが貴重な歴史の裏付け史料であることに驚かされている。ただただ感謝申上げる。

 

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豊後街道125キロの旅

2011-08-16 23:09:48 | 徒然

        http://sankin.jimdo.com/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97-1/%E3%82%B5%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97/%E5%8F%82%E5%8B%A4%E4%BA%A4%E4%BB%A3%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E6%A8%AA%E6%96%AD%E5%BE%92%E6%AD%A9%E3%81%AE%E6%97%85/

 「参勤交代・九州横断徒歩の旅」と銘打つ、125キロの旅に孫娘がチャレンジしている。徒歩で大分から熊本城を目指す催しだが、毎年真夏の炎天下の元行われ、今年も210人にも及ぶ少年少女がチャレンジするのだそうな。昨日熊本城をバスで出発大分に向かい、今日から一日20キロを歩き一週間後に帰って来る。好奇心旺盛な孫娘は小学校四年生、人なっつこい性格だから沢山の友達を作り大いに楽しんで帰って来る事だろう。この催しは歴史が古く34回目だそうだが、関係者のご努力に敬意を表したい。参加者の人たちがこの催しを通じて参勤交代の歴史などにも大いに興味を盛ってくれることを願っている。

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氏家卜全の二・三男

2011-08-16 21:08:21 | 歴史

 肥後氏家氏の先祖附を読んでいる。先にも書いたように卜全の三人の男子については嫡男・左京助、二男・志摩守元政、三男・内膳正とする。先祖附の記述の中に前回記した家康御内書とは別の有力な記述があった。秀吉が諸大名を集め遺言をする際には、兄弟も詰めていたらしい。「秀吉公及御末期諸大名被召寄御遺言御座候節茂志摩守儀者御座之間之次ニ而為御遺者吉光之御脇差 弟内膳之正ニ者国後之御脇差拝領仕候」とある。志摩守拝領の脇差は小倉に召しだされた砌、細川忠興に「差上申候事」ともある。

弟・内膳之正とはっきり書かれており、疑う余地はないだろう。

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オークション八連ちゃん

2011-08-16 18:32:06 | 徒然

 某書店から送られてくるオークションのメルマガで、いろいろ本をゲットしている。面白い本を三冊落札したが(100%)、残り五冊も絶対落すぞと息負いこんでいるが、相手があることで時間ぎりぎりに応札するのが難しい。今日も二冊22時ころは画面とにらめっこである。残り三冊は若干時間があるのだが、高値更新の連絡が入り一寸緊張している。

 一両日内には落札分の第一便が到着するだろう。待ち遠しいことではある。

 

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氏家卜全の没年令その他

2011-08-15 09:40:39 | 歴史

 先のブログ「殿」で卜全の没年令を38歳と書いたら、疑問のコメントをいただいた。
38歳とするのは先祖附によるものである。ある史料は59歳と記している。先祖附によると年令以外にも、巷間伝えられているものとはいささか相違が見られる。例えば先祖附に於いては卜全の子供たちについては、嫡男・左京助、二男・元政(肥後氏家氏)、三男・内膳正としている。
  ウィキペディアでは没年令については「美濃国諸旧記には59歳で死去したと書かれている」とし、三人の子息については 「大坂の役で活躍した氏家行広(荻野道喜)は、直元の次男である。」としている。兄弟の関係については武家家伝-氏家氏に於いてもウィキペディア同様の扱いが成されている。
二男、三男が逆転しているが、先祖附に記載ある家康の御内書に付された大久保相模守・榊原式部少輔・井伊兵部太輔連名による御内意之奉書によると、「氏家志摩守(元政)殿 同内膳正殿」とあり、二男・三男の順位は先祖附の記述が正しいものであると考えられる。
 卜全の死が38歳であるとすると、元政は卜全17歳くらいの時の出生と成るがこれはありえる話だろう。兄左京介になると卜全15~6歳の時の子かということに成り、黄ランプが点灯することに成る。

 ウィキペディアに於いても、肥後氏家家先祖附にもとづき異説としてでも良いから取り上げていただければ幸いである。又諸兄におかれてもいろいろな情報をご教示いただければ幸いである。

 肥後氏家氏は慶長六年忠興に依り小倉に召し寄せられた元政を初代とするが、二代元高は父の死去に伴い四歳で跡目を相続している。忠興は氏家家の家来両人を召しだし、「随分守立可申」旨の御意があったと記されている。その姉が忠興の二男・興秋室である。

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長嶋城攻め「信長公記」より

2011-08-14 17:35:25 | 歴史

河内長島一篇に仰せ付けらるゝの事
 六月廿三日河内長島御成敗として 信長御父子御馬を出だされ其の日津島に御陣取る 抑尾張国河内長島と申すは隠れなき節所なり 濃州より流れ出づる川余多有 岩手川・大滝川・今洲川・真木田川・市の瀬川・くんぜ川・山口川・飛騨川・木曽川・養老の滝 此の外山々の谷水の流れ 末にて落ち合ひ大河となって長島の東北、西五里・三里の内幾重ともなく引き廻し 南は海上漫々として四方の節所申すは中々愚かなり これに依って隣国の佞人凶徒など相集まり住宅し当寺を崇敬す 本願寺念仏修行の道理をば本とせず 学文無智の故栄花を誇り 朝夕乱舞に日を暮らし俗儀を構へ 数ケ所端城を拵へ国方の儀を蔑如に持扱 御法度に背き御国にて御折檻の輩をも能隠家と抱へ置き 御領知方押領致すに依って 一年信長公御舎弟・織田彦七殿河内小木江の郷に至って既に打ち越し足懸を構へ御在城のところ 先年信長公志賀御陣 浅井・朝倉と御対陣半ば御手塞ぎと見及び申し一揆蜂起せしめ既に日を逐り攻め申す 織田彦七御腹めさせ緩怠の条々勝て計ふべからず 日比御鬱憤候へども信長天下の儀仰せ付けらるに依って御手透御座なく御成敗御延引なさる 今度は諸口より取詰め急度御対治なさるべきの御存分にて 東は御嫡男織田菅九郎一江口へ御越しなり 御伴衆織田上野守、津田半左衛門、津田又十郎、津田市介、津田孫十郎、斎藤新五、簗田左衛門太郎、森勝蔵、坂井越中守、池田勝三郎、長谷川与次、山田三左衛門、梶原平次、和田新介、中島豊後守、関小十郎右衛門、佐藤六左衛門、市橋伝左衛門、塚本小大膳。西は賀鳥口、佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊予守、同右京助、蜂屋兵庫頭 松の木の渡り一揆相支へ候をどつと川を乗り渡し馬上より数多切り捨て候なり 信長公は中筋はやを口、御先陣は、木下小一郎、浅井新八、丹羽五郎左衛門、氏家左京助、伊賀伊賀守、飯沼勘平、不破河内、同彦三、丸毛兵庫、同三郎兵衛、佐々蔵介、市橋九郎左衛門、前田又左衛門、中条将監、河尻与兵衛、津田大隈守、飯尾隠岐守 一揆小木江村を相塞ぎ候を追ひ払ひ御通り候 又しのはしより一揆罷り出で相支へ候 則ち木下小一郎・浅井新八両人懸け向かはれ候 こだみ崎川口舟を引き付け一揆堤へ取り上りかゝへ候 丹羽五郎左衛門懸け向かひ追ひ崩し数多討ち捕り まへがす、ゑび江島、かろうと島、いくいら島を焼き払ふ 信長其の日は五妙に野陣を懸けさせられ 五日に九鬼右馬允あたけ舟、滝川左近、伊藤三丞、水野監物、是れ等もあたけ舟 島田所助・林佐渡守両人も囲ひ舟を拵へ 其の外浦々の舟をよせ蟹江、あらこ、熱田、大高、木多、寺本、大野、とこなべ、野間、内海、桑名、白子、平尾、高松、阿濃津、楠、ほそくみ、国司お茶筅公、捶水、鳥屋野尾、大東、小作、田丸、坂奈井 是れ等を武者大将として召し列れ大船に取り乗りて参陣なり 諸手の勢衆船中に思ひ/\の旗じるし打ち立て/\ 綺羅星雲霞の如く四方より長島へ推し寄せ 既に諸口を取り詰め攻められ一揆廃忘致し妻子を引きつれ長島へ逃げ入る 信長御父子との妙へ打ち越され伊藤が屋敷に近陣に御陣を居えさせられ 懸けまはし御覧じ諸口の陣取り仰せ付けられ候 御敵城は しのはせ、大鳥居、屋長島、中江、長島、五ケ所へ楯籠るなり しのはせ攻めの衆 津田大隈守、津田市介、津田孫十郎、氏家左京亮、伊賀伊賀守、飯沼勘平、浅井新八、水野下野守、横井雅楽助。大鳥居攻め衆、柴田修理亮、稲葉伊予守、同彦六、蜂屋兵庫頭 今島に陣取川手は大船を推し付け攻められ候なり 推しの手として佐久間父子江州衆を相加へ 坂手の郷に陣を懸けられ候なり 長島の東推付の郷陣取りの衆 市橋九郎右衛門、不破彦三、丹羽五郎左衛門 かろうと島口攻めの衆織田上野守、林佐渡守、島田所之助 此の外尾州の舟数百艘乗り入れ海上所なし 南大島口攻めの衆御本所、神部三七、桑名衆、此の外勢州の舟大船数百艘乗り入れ、海上所なし。諸手、大鳥居、しのばせ、取り寄せ、大鉄砲を以て塀櫓打ち崩し、攻められ候のところに両城迷惑致し 御赦免の御詫言申すと雖も迚も程あるべからざるの条佞人懲らしめのため干殺になされ 年来の緩怠・狼藉、御鬱憤を散ぜらるべえきの旨にて御許容これなきところに 八月二日の夜以外の風雨に候 其の紛れに大鳥居籠城の奴原夜中にわき出で退散し候へど 男女千計り切り捨てられ候

樋口夫婦御生害の事
 八月十二日しのばせ籠城の者長島本坊主にて 御忠節仕るべきの旨堅く御請け申すの間一命をたすけ長島へ追ひ入れらる さる程に木目峠に取出を拵へ樋口を入れ置かれ候ところ 如何様の含み存分に候ひしやらん取出を明け退き妻子を召し列れ候て甲賀をさしてかけ落ち候を 羽柴筑前守追手をかけ途中にて成敗候て 夫婦二人の頸長島御陣所へ持たせこされ候なり 今度長島長陣の覚悟なく取る物も取り敢へず 七月十三日に島中の男女貴賤其の数を知らず 長島又は屋長島、中江、三ケ所へ逃げ入り候 既に三ケ月相抱へ候間、過半飢死仕り候
 九月廿九日御詫言申し長島明け退き候 余多の舟に取り乗り候を鉄砲を揃えうたせられ際限なく川へ切りすてられ候 其の中心ある者どもはだかになり 伐刀ばかりにて七八百ばかり切って懸かり伐ち崩し御一門を初め奉り歴々数多討死 小口へ相働き留主のこ屋/\へ乱れ入り 思ふ程支度仕り候てそれより川を越え 多芸山、北伊勢口へ、ちり/\に罷り退き、大坂へ逃げ入るなり中江城、屋長島の城、両城にあるの男女二万ばかり幾重も尺を付け取り籠り置かれ候 四方より火を付け焼きころしに仰せ付けられ 御存分に属し九月廿九日、岐阜に御帰陣なり

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殿(しんがり)

2011-08-13 11:14:31 | 歴史

 昨日のブログで氏家卜全についてご紹介した。信長の長嶋城攻撃は三回に亘っているが、第一回目の攻撃は散々であった。引き上げるに当っては柴田勝家が殿を勤めていたらしいが、なぜか氏家卜全がこれに替わった。立派なお墓がたっている所で亡くなったらしいが、長嶋輪中からはいささかの距離がある。一揆軍の猛追があっての無念の死である。
私は通常の戦いでの落命かと認識していたが、引き上げに当っての殿を務めての死であることを始めて知った。勉強不足である(汗・・)

 話はがらりと変わるが、しんがりに「殿」という字を充てるのは何故だろうと思っていた。本来は「殿後」「殿軍」が本当らしい。「退軍のとき、あとに踏みとどまって追撃をふせぐ軍勢」であり、「しんがりをする」などと使う。名誉なる役目ではあろうが命の保障は無い。卜全は不幸にも落命することになるが、歴史にその名を残した。享年38歳。

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氏家卜全と大木土佐

2011-08-12 17:24:10 | 旦夕覺書

 氏家卜全と大木土佐のそれぞれ立派なお墓(碑)が某サイトで紹介されている。

    氏家卜全  http://www.m-network.com/sengoku/haka/bokuzen450h.html 
    大木兼能  http://www.m-network.com/sengoku/haka/kaneyoshi450h.html

 両家は時代を経てその子孫が細川家に仕えた。氏家卜全孫女は細川忠興二男・興秋室(飛鳥井中納言持信再嫁)である。大木兼能は加藤清正の死去に際し殉死したが、孫兼憲が忠利に仕えた。その室は加藤清正側室竹の丸殿の妹である。大木家はその直系とともに家老有吉家、旧主佐々家にその血が流れている。

 この二人が相まみえる事があったかどうかは定かではないが、共に長嶋城の戦(長嶋一向一揆)に加わっている。卜全は信長軍の武将として第一次侵攻に加わり戦死した。今読んでいる文書「大木土佐」では、「氏家卜全なとヽ申信長秘蔵之侍大将討死仕候」と記している。
上記お墓の写真によると、その場所は戦死した場所とされているが、長嶋輪中からはいささかの距離があり、当時の戦いが輪中に留まらず広範であった事を窺わせている。

 一方大木土佐は奇跡的に生き残りその高名を残した。その高名は秀吉も知る処となり、佐々成政家臣の道につながり肥後との係りができ、加藤清正との縁へとつながった。文書「大木土佐」によると、大坂で中風を煩った土佐を清正が見舞い、その頭を自らの膝にのせ、「何とそして此度本復仕候へ其方相果候へハ我片うで落たると同前なり」と言い落涙したと記す。そのことが土佐をして殉死ならしめた「根本此一言」であったという。

 文書「大木土佐」の読み下しは、あと数文字が解読できずに苦労している。
完読した際には提供者のお許しをいただき、全文をご紹介したいと思っている。

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秀吉を襲った大地震

2011-08-12 16:00:42 | 書籍・読書
 秀吉を襲った大地震―地震考古学で戦国史を読む (平凡社新書)
 
                   平凡社

 現在、大木土佐に関する文書を読んでいる。この中で謹慎中の加藤清正が、伏見城の大地震の際、秀吉を見舞うべく大木土佐にその是非を問うている。一番に駆けつけた(?)清正に秀吉は感激して謹慎を解いたという話は有名である。
細川忠興も駆けつけており、沢山の人が建物の下敷きとなり圧死した様を書き残している。この大地震の前、坂本城に在った秀吉は天正の大地震に遭遇ほうほうのていで逃げ帰り、伏見城の築城を命じたとされる。考古学的見地でかかれた論考のようだが、この大地震がいかなるものであったのか、表題に引かれて注文した。

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8月13日・NHKプレミアム

2011-08-11 15:53:06 | 徒然

  芦屋在住のMTさまから、細川護煕様に関するTV放映のスケジュールについてご連絡をいただいた。NHKに於いては護煕様の陶芸に関する取材が続けられてきたらしく、また幽齋公400年祭に当たってもクルーが現地で取材撮影している。

 NHKプレミアムでの放映だが、早朝の放映である。幽齋公400年祭についてはどの程度入っているのかは良く判らない。細川家菩提寺泰勝寺や、代々の皆様をお祀りしてある御祠堂などが撮影されているはずなのだが・・・・・
 
      第一部 8月13日 午前6時30分~7時15分
      第二部  同    午前7時45分~8時15分

 御覧いただけない方は、録画のご準備を・・・・・・・・・

追記
8月20日(土)18:00~18:45 第二部のみ再放送(NHK・BSプレミアム)、幽齋公400年祭の模様がちょっぴりですが放映されました。

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ベスト・エッセイ集〈’11年版〉・・人間はすごいな

2011-08-11 13:02:07 | 書籍・読書
    人間はすごいな―ベスト・エッセイ集〈’11年版〉
 
              文藝春秋

内容紹介 (文藝春秋社・紹介文より引用)

29年目を迎えた珠玉のエッセイ集。人は米のご飯さえあれば生きていける。そう語る女性の過去とは? 大正期、村に1本のカツオブシを共有し、慶事に使い回した北関東の村。その結びつきの強さ。いつかは三陸ケセン語方言の聖書をつくるぞ。子供のころからの夢を実現した町のお医者……。やっぱり、人間って素敵だなあ。しみじみとする話、涼風が吹き渡る話ぞろい。

  ■畏友・近藤健氏の作品が掲載されている。散歩がてら本屋さんへ出かけることにする。
   その作品「風船の女の子」はCoffee Break Essayにも掲載されているので御覧いただきたい。

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