イエスが見せた「無償の愛」「利己心なしの愛」には、後に「グレースの愛」とか「アガペの愛」という(神学)用語がつけられる。
その結果、キリスト教界にはこの概念が広く普及するに至っている。
それによって、「アガペ愛」の理念は一人歩きして、教会に複雑な影響を与えてきている。
このことを、いま、このタイミングでみておこうと思う。
<アガペ愛の推奨>
まず、この概念が普及した結果、教会指導者が一般教会員に「アガペ愛」を賞賛し、その模倣を教会員に推奨する傾向ができあがった。
教会員も、無償の愛に励むことによって「利己心からの解放」が得られ、心が軽くなり快感が増す。
そこで、この行為を実行するようになるのだが、その続行が教会内にもたらす変化は複雑だ。
具体的に、教会が、教会員を主な働き手として老人介護施設を運営しているケースで考えてみよう。
<「施設」を良くはするが>
教会でアガペ愛が増大すれば、人びとに「思いやりの心」が強くなる。
老人介護施設で働く教会員の奉仕精神は外部社会の施設より高くなる。
入居者の満足は大きくなり、入所希望者は増え、施設は成長する。
アガペ愛に動機づけられた労働は、代価が低いから、満足の増大分にかかる費用は低い。
収益は増大し、教会には経済財が増える。
それでもって、教会堂を美麗化すれば、礼拝の快適さは増し、新教会員も増大するだろう。
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このように教会でのアガペ愛普及は、経済財蓄積をももたらす。
そして、その蓄積が一定以上になると、財貨の使用方針をめぐって内部対立が発生する。
<教会開拓>
日本では、「教会開拓」という語が示すごとく、牧師が一から教会を開拓し始めるケースが多い。
彼は、最初は自宅の空間も礼拝に提供したりもする。
教会員はそのあとから、文字通り開拓されて現れた存在だ。
だから、最初は牧師は全てにおける指導者であり、支配者である。
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彼は、アガペ活動で教会に蓄積された財貨の使用方向も、ほどんど一人で決定する。
牧師の家族が快適に暮らせる牧師館の建設も、彼が発議して実行する。
だが、資産がたまるにつれて、その直接の作り手である一般教会員の貢献度が顕在化してくる。
<公益法人>
宗教法人は公益法人だ。
法的にはその運営権は、牧師も含めた教会構成者全員に属している。
一般教会員は、それをベースに指導権の分配を主張するようになる。
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対して、牧師はまず自らの神格化をはかることが多い。
あるいは息子が後継者ならばその神格化を図る。
信徒はこれに抵抗するようになる。
この構図が進むと、教会は分裂する。
教会成長は止まり、停滞・衰退が始まる。
日本では、ひととき急成長した教会であっても、多くがこういう過程をたどる。
その状況が、信徒人口比率1%以下という状態を形成している。
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イエスはこういう構造を見通していたので、最後の晩餐で弟子の足をあらって見せたと思われる。
これについては、機会があれば後述しよう。
(続きます)
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