【奴隷問題をめぐって分裂】
この1845年という年は、バプテストにとって忘れがたい年でもあります。
このときバプテスト連盟は奴隷問題をめぐって二つに分裂したのです。
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その前年、バプテストの総会で次のような主旨の発言が出ていました~。
「奴隷所有者が宣教師になりたいという希望を出して、なおかつ奴隷を自己の財産として保有し続けるという場合、我々は宣教師認可を出すわけにはいかない」~と。
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南部のバプテストは、もはや抗弁しませんでした。
彼らは1845年5月に全国連盟を脱退し、南部バプテスト連盟(サザンバプテスト・コンベンション)を創設しました。
ああ、こんな大分裂を、創造神はどうして回避させてくださらなかったのでしょうか!
南北戦争というあの恐ろしい過ちを、どうして避けてくださらなかったのでしょうか!
こんな内戦は絶対に、絶対に、おきてはならなかったのです。
だがおきてしまいました。
そして以後30年間にわたって、南部は敗北感の塵の中に埋没してしまいました。
けれどもそうした中でも、聖句自由吟味主義の灯は消えませんでした。
南部では1880年までに、バプテスト自由吟味者が1,672,631人存在するようになりました。
全米では250万人になりました。
国民同士が殺しあったにもかかわらずです。
新しくバプテストになった人は、北部南部を合わせて1,337,399人になっていました。
【和解努力の副産物】
バプテスト自由吟味者は現在も南北分裂したままです。
和解の努力はなされましたが、実りませんでした。
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だが、その間に「アメリカンバプティスト連盟とサザンバプティスト連盟のための公共問題合同委員会」がワシントンDCで開かれました。
(「アメリカンバプテスト連盟」は北部連盟の名称。北部ではナーザンバプティストといわず、アメリカンバプティストと~大風呂敷的に~自称した。・・・訳者註)
この委員会は主に、公共道徳に関するバプテストの信念を社会に広めるのに役立ちました。
また教会と国家の分離原則を保護することにも貢献しました。
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さらに北米バプティスト同盟という全国組織もできました。
これは立法権をもたない同盟でしたが、全国の全てのバプテスト団体が連合で信仰表明する機会を造りました。
南北戦争は、北軍本部と南軍本部が一般合意を交わして終結しました。
捕虜の交換条件は常時友好的でした。
この友好関係は、南部のリー将軍が北部のグラント将軍に降伏し、両者が握手を交わして各々故郷に帰ると、すぐに始まりました。
降伏調印はバージニア州のアポマトックスでなされました。
それとほとんど同時に、バプテストたちは戦争の真の犠牲者の救済に向かいました。
黒人がそれでした。
(Vol.15 8章 連合会、南北に分裂する 完)
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