『月刊環境ビジネス』(2008年12月号)に登場した(>> リンク)。
それから『よくわかる排出権取引ビジネス 第4版』(日刊工業新聞)ができた(>> リンク)。およそ2年おきに出して4回目、もうへとへとである。少なくとも、売れている(らしい)環境ウソ本などよりは真っ当なつもりなので、環境陰謀論に肩入れする前にこちらを(笑)。
気分転換に(気分転換ばかりしているが)、藤原新也『なにも願わない手を合わせる』(文春文庫、2006年)を読む。藤原新也は、インドで人間の死体が犬に食われる写真を撮り「人間は犬に食われるほど自由だ」と言ってのけたことが有名だが、もちろんそれだけでなく、著作のひとつひとつに「藤原色」がある。文春文庫の収録作では、『藤原悪魔』も『空から恥が降る』も面白かった。
『なにも・・・』では、肉親の死を契機に、四国八十八箇所巡りをしている。かといって、著者が熱心な信者であるわけでなく、何故赴くのか、何故祈るのかについて自らに問いかけながらの旅であることがユニークであり、共感をおぼえる。
何かの手段ではない。ましてやご利益を求めてでもない。ただ無心に手を合わせ、祈る。それは自分の心と向き合うことであり、後悔や罪や業にまみれた自分が自分であり続けるためだ、と言っているようにおもえる。そして死んだ人間との関係を模索している。
私も贖罪のプロセスを踏まなければならないような気がする・・・・・・。まあそれはともかく、己のことを呪われた存在だ、と微かにもおもわない人間は駄目な奴だとおもうがどうか。