Sightsong

自縄自縛日記

飯田鉄『レンズ汎神論』と、『名機の肖像』のライカM型特集

2008-10-25 13:21:10 | 写真

知らない間に、『朝日新聞』(2008/9/28日曜版)と『フジサンケイビジネスアイ』(2008/10/21)に登場した(また排出権の話)。取材があってから間があるので、別人のコメントのようだ。

BSジャパンで毎週放送している『名機の肖像』、第3回はライカM型特集(>> リンク)だった。札幌からの飛行機が遅れて自宅に着いたのが深夜1時だったが、楽しみだったので、録画を観てから寝た。

浅草の「早田カメラ」店主がライカM4を分解してあれこれと説明しているのが楽しい。残念ながらこの店ではガラスケースの中を覗き込んだことしかないが(いつも大きな飼い犬が店内でのっそりしているのはいいが、常連らしき人が座って雑談しているのは、確実に売り上げを落としているはずだ)、これまでに5,000種(!)のカメラを分解修理したというだけあって、つぼをついた話しっぷりだ。何でも、ライカの中のギアは、硬いもの、普通のもの、柔らかいものなど硬さの違う素材をいくつも組み合わせていて、その結果、ギアは磨耗しないし、仮にどこかに不具合があってもその影響をギアが吸収して最低限の故障にとどまる、のだという。思わず、自分のM3とM4をクリストファー・リーヴのように透視したい気分になってくる。

番組には、写真家の飯田鉄氏が登場して、ライカの魅力について淡々と語っていた。このひとの語り口は昔から好きで、「Kさんが印画紙を自慢そうに見せて・・・」とか、「Mさんと酒を飲んだらレンズの話になって・・・」などといった、情のある感じがとても良い。『日本カメラ』の新製品レビューの製品写真もそうだが、革の鞄や木のテーブルと雰囲気たっぷりに撮るカメラの写真もいつも好きなのだ。

インタビューの間、著書『レンズ汎神論』(日本カメラ社、2002年)を開いてみせたりしていたが、ここに取り上げられるカメラやレンズはいちいち渋くて、枯れてもいる。何しろ、神はすべてのレンズに「宿り賜う」のである。タクマー、ロッコール、フジノン、コムラー、タムロン、ズイコーなど、気分は「昭和」だ。そういえば、飯田鉄氏は、かつて毎年発刊されていた『カメラこだわり読本』(2002-2003、毎日新聞)にも、「コムラーレンズ物語」という渋い文章を寄稿し、ペンタックスにコムラーレンズを装着して上野の三協光機跡地を訪ねたりしている。三協光機の後継者がアベノン光機だが、もうそれも活動を停止してしまった。

『レンズ汎神論』に登場するレンズのなかで最も使ってみたいもの、それは製品化されなかったペンタックスの「フレキシー」レンズである。単焦点レンズでありながら、それを中心としてごくわずかなズーム機構が組み込まれている。35mmであれば、画角が58度~67度と、微倍率である。焦点距離がどこなのか意識しなくなり大きいだけのズームレンズは嫌いで1本も持っていないが、これなら使ってみたいとおもわせるものがある。もちろん、高倍率のズームレンズが幅をきかせているいま、製品化など極めて難しいと思うが、ニッチな製品を作り続けているコシナあたりが作ってくれないものかと妄想する。

「撮影対象を前にして、ズームレンズに画角を選ばされるのではなく、撮影者自身の選んだ、一つの焦点距離の画角イメージ内での融通性が得られるレンズをということである。これは単焦点レンズの付加機能としては現在でも有効だと思う。コンパクトな大口径のフレキシーなど面白そうではないか。」

●参考 飯田鉄『まちの呼吸』(お茶の水画廊、2008/4/15-26)