1週間ほど、ハノイ(ヴェトナム)とヴィエンチャン(ラオス)に行ってきた。行きの機内で読んだのは、坪井善明『ヴェトナム新時代―――「豊かさ」への模索』(岩波新書、2008年)だ。
東南アジアには、タイに何度か行ったことがあるだけで、ヴェトナムを訪れるのははじめてだ。正直言って、ヴェトナム戦争以外の近現代史についてあまり知らなかったので、とても参考になった。
なかでも興味深い章が、第6章の「ホーチミン再考」。かつては、階級闘争至上主義ではなく「民族の独立」を掲げるホーの思想が傍流とされながらも、やがてヴェトナムにとっては本流となり、独立を達成する。さらに、著者は、ホーの理想はその民族主義的なものにあったのではなく、ほんらい米国とフランスが掲げた精神を継ぐ共和国精神にあったのだと考える。人種や地域によって差を設けるのではない市民により構成される国家というこの理想は、しかし、ヴェトナムでは体現されていないとも示している。そして、実際に、いまだ共産党による支配構造が根強く残っている。
今回、空いた時間に、ハノイの「ホーチミン廟」を訪れたのだが、工事中で閉鎖されており、ホーの遺体を目にすることはできなかった。ただ、紙幣にもあちこちの看板にもホーの姿は描かれているから、別に見ないからといって何ということもない。
戦争の後遺症は南北分割からもきている。鉄鋼や石油精製の産業が育たないのは、適切な立地計画に反して、たとえば、旧「南」の地域をまず富ますわけにはいかない、国全体として均衡の取れた発展をしなければいけない、などといった強い意向が疎外してきた経緯もあるという。ただ、昨年(2007年)のWTO加盟もあり、新たな計画は進んでいるから、数年経てば産業地図も修正されるのだろう。これが良いことかどうかはまた別で、自由貿易が日本の農業に甚大な影響を与えたと同様に、農業にも他の面にも歪みがさらに出てくるに違いない。
ほかにも、党書記長(国内的にはナンバーワン)、国家主席(対外的にはナンバーワン)、首相など要職が並存していることの事情や、枯葉剤の影響の実情などが書かれていて、良書である。
ところで、ベトナム航空の機内誌『HERITAGE』(2008/9-10)を読んでいたら、ハノイの写真家グエン・フー・バオが撮った海辺の生活の写真が掲載されていた。それらはすべて素晴らしい写真だったのだが、それはさておき、扉にカメラの写真があった。よくみると、旧ソ連のメーカーKMZ(クラスノゴルスク機械工場)が製造していた「ゾルキー」である。タイプを帰国して調べると、1958年から製造された「ゾルキー2C」のようだ。
このゾルキーが、実際にグエンが使ったものかどうかは書かれていない。私もしばらく、70年代に製造された「ゾルキー4K」を使っていたことがあるので、滑らかさとか人間工学とか精密さとかいったものからは程遠い使い心地は容易に想像できる。
ヴェトナムといえば、従軍カメラマンが放出したカメラなんかが流通していたのだろう、などと勝手におもっていたが、共産圏というつながりで、旧ソ連のカメラがどの程度使われていたのか気になるところだ。