ブラジルの音楽家、エルメート・パスコアールが好きで、全部ではないものの、目についたレコードやCDは集めている。サックスもフルートも、ピアノも、珍妙な打楽器も、声も、動物も、すべてエルメートにとっては一様に表現の手段でしかない。来日時、金物屋の店先で演奏に使えるものを試し始めて店主を吃驚させたとか、ステージ上で共演したナベサダを困惑させまくったとか、逸話はいろいろある。そんなエルメートの(たぶん)唯一のピアノ・ソロによるアルバムが、『por diferentes caminhos』(SOM DAGENTE、1988年)である。LP 2枚組で、結構レアではないかと思うが、よくわからない。
哀愁を溢れさせながら祝祭のようにはしゃぐ、というのがエルメートの特色で、他にこのような底知れないエネルギーに満ちた人はいない。ただ、これはピアノ・ソロである。楽しさも哀しさも孕んでいながら、何だか、冷たくて旨い水を飲むような気分だ。ファンタスティック。
エルメートの名曲はいくつもあって、矢野顕子が『エレファント・ホテル』でカバーした「Pipoca」も忘れられないが、このアルバムで演奏している「Leo, Estante Num Instante」もひたすら楽しい名曲である。ただ、ここではタイトルは「Sintetizando de Verdade」となっているが、きっと同じに違いない。ひたすらジャンプする16分音符で埋め尽くされ、フォークソング的でもあり、ジャズ的でもある。時によれたかと思うと変な方向に走り出し、ひとしきり踊った後に元に戻ることの快感がある。
この曲は、知っている範囲では、ミシェル・ポルタル(バスクラリネット)とリシャール・ガリアーノ(アコーディオン)が組んで2回吹き込んでいる。リシャール・ガリアーノ『Laurita』(Dreyfus、1994年)では、この2人にパレ・ダニエルソン(ベース)、ジョーイ・バロン(ドラムス)が加わり、ジャズ色が強くなる。ただ、曲の楽しさという意味では、2人だけのデュオによる、ガリアーノ=ポルタル『Blow Up』(Dreyfus、1996年)の方に軍配を上げたい。本当に元気の出る演奏とはこのことで、ポルタルの技術にも唖然とさせられる(この人はバンドネオンも凄く、かつて目の当りにしたときには口を開けて聴いてしまった記憶がある)。
エルメートのピアノソロでは、弦の上に何かタンバリンのようなものを置いて、プリペアド・ピアノ様にしている。つまりこれも、随伴する演奏者がもうひとりいるようなのだ。何度聴いても素晴らしい演奏である。
アルバムには、もうひとつ聞き覚えのある曲「Bebe」が収録されている。曲作りの上手さ、というより、これは音楽への愛情なんだろうなと手放しで誉めてしまうが、実際そうに違いない。
「Bebe」が収録された『A Musica Livre de Hermeto Pascoal』(Verve、1973年)
エルメートは何年か前に来日した。嬉しかった。その前には、もう来るのは無理だろうなんて言われていたから、もう無理だろうねなどとは言わないが、やっぱりもう観ることはできないかな。