豊住芳三郎と高木元輝とのデュオ、『If Ocean Is Broken(もし海が壊れたら)』は、今年音源が発掘され、イタリアのQBICOレーベルから出された2枚組LPである。ディスクユニオンに行くと、ちょっとだけ入荷したけどもう無いよという返事、何とか英国のレコード屋から調達した。
1971年4月のライヴである。副島輝人『日本フリージャズ史』(青土社、2002年)でこのあたりの事情を追ってみる。
富樫雅彦が事故に倒れたあと、高木・豊住デュオがはじまった。豊住はかつて富樫のボーヤであった。この関係は1年2ヶ月続き、1971年4月、豊住はシカゴのAACMを訪ねに渡米する。そして高木が1973年秋、パリに旅立つ。2人が再度組んだのは、1975年のことだった。つまり、このレコードは、まさに高木・豊住の第一次デュオの掉尾を飾るドキュメントだということになる。
LPの1面につき1曲の演奏、合計4曲が収められている。高木はテナーサックス、ソプラノサックス、バスクラリネットを吹く。どの曲がどのように魅力的かを伝えるのは難しい。どこを切っても高木元輝であり、太く朗々とした歌、叫び、急転して静かな独り話。ときに「ど演歌」を感じさせる暗い叙情性がある。
2枚目のB面に収められた「Nostalgia for Che-ju Island」では、クレジットには無いが、後半になってアート・アンサンブル・オブ・シカゴの「People in Sorrow(苦悩の人々)」を吹き始め、静かに感動させられる。『モスラ・フライト』(ILP、1975年)にも記録しており、よく高木が吹いていた曲だというが、ここでは済州島の悲劇と重なっていたのだろうか。(高木元輝の本名は李元輝といった。)
ひとあし先に帰国した高木元輝が、豊住芳三郎の帰りを待ちわびて企画したコンサートは、「7つの海」と題され、1975年7月に行われた。その一部を記録したレコードが、豊住芳三郎『藻』(TRIO、1975年)である。
ここでは、豊住のパーカッション、高木のサックスとバスクラに加え、徳弘崇のベースが参加している。
離日前の『もし海が壊れたら』のあとに改めて聴くと、ずいぶん豊住のパーカッションのニュアンスが変っていることに気が付く。71年のデュオは、身体と身体が凄絶にぶつかり合い、血さえ出ているような印象がある。一方こちらは、もっと距離を置き、端正な印象さえ受ける。シンバルの巧みさ、音の綺麗さもある。
ただ、例えば、高木元輝と富樫雅彦のデュオ『アイソレーション』(1969年)と比べて聴いてみると、訪米の前にしても後にしても、パーカッションの性質の違いは明らかだ。音のひとつひとつの響きを追求し、構成主義的な富樫のプレイに比べ、豊住のそれは、天真爛漫(あるいは行き当たりばったり)、分裂気味であり、トータルではなく局面ごとに違った顔を見せている。
『もし海が壊れたら』と『藻』、どちらが好きかと言われたら、まだ印象が強烈な前者かな。なぜ今まで音源が世に出なかったのだろう。
●参照
○高木元輝の最後の歌