Sightsong

自縄自縛日記

久江雅彦『米軍再編』、森本敏『米軍再編と在日米軍』

2009-11-17 23:23:07 | 政治

気が向いて、米軍再編関連の新書を2冊読む。読む前から論調がわかっているところでもあり、何でこんな話を新幹線で読んでいるんだろうと思ってしまい、苛々しつつ。(なら読まなければいいのに)

久江雅彦『米軍再編 日米「秘密交渉」で何があったか』(講談社現代新書、2005年)は、日本政府の対米政策におけるヴィジョンの不在を突いている。そして、私たちには見えない交渉は、やはり腹立たしいものである。

日米安保条約の第5条は日本の防衛、第6条(極東条項)は米軍の極東活動のための日本駐留。特に極東条項に関して、外務省、防衛庁(現・防衛省)、米軍それぞれにスタンスは異なっていた。

2004年前後、米国は日本側に安全保障戦略についてのヴィジョンを示すよう迫る。しかし、日本政府は自衛隊イラク派兵で手一杯、「再編の対象となる個別の基地名がいつ出てくるかばかりを気にして、突っ込んだやり取りをできなかった」という。そんな中で米国は、もし住宅街の真横にある普天間基地付近で大事故が起きたら、日本の世論が沸騰し、日本での米軍配置がうまくいかなくなることを気にしていた。住民の安全や生活に配慮することと似ているようでいて、その対極にある思想だと言うことができる。

「・・・2004年の米軍ヘリ墜落事故を引き合いに、事故防止に向けた取り組みの強化を盛り込むよう要請した日本側に対して、米政府の当局者が「日本政府が普天間飛行場を名護市沖合に移転していれば、ヘリコプターは市街地ではなく、海の中に墜落していたのだ」と声を荒らげた事実は、今も伏せられている。」

最近また注目されている、普天間の嘉手納統合の考えだが、2004年の段階で米国より提示されていた(ヘリ部隊を暫定的に嘉手納へ、空中給油機は横田か岩国へ)。だが、ヴィジョンや戦略を欠いた小泉政権は、回答のボールを投げ返すことができなかったのだという。その後2005年、日米協議において、固定翼と回転翼との共存が危険だとして米空軍が強く拒否している。

ところで、その小泉首相(当時)は、町村外相(当時)に、沖縄の海兵隊を北海道で受け入れるところはないかと打診したが、「いや、北海道にも歴史的な経緯がありまして・・・」と言葉を濁したとの事実が書かれているのは興味深い。もちろん、北海道が彼の選挙区だからである(!)。

それにしても、「思いやり予算」のいびつさには吃驚させられる。2001年の数字では、日本は46億ドルであり、韓国・ドイツの各9億ドル、イタリアの3億ドル、英国の1億ドルなどを大きく引き離している。いつの間にか定着した「日米同盟」という言葉の無神経さを含め、この関係は何か。

「本来は、政治が安全保障政策をカバーすべきであり、「制服組」による既成事実を追認するだけの判断は避けなければならない。」

森本敏『米軍再編と在日米軍』(文春新書、2006年)は、まさに上の警句が該当するものだ。

米軍の白書かと勘違いしてしまうほど、その大義と詳細な軍の説明が記述されている。その意味で、沖縄の地政学的な重要性や、重厚から軽量へ、本格からモバイルへ、陸から海へといった、最近の米軍の変貌については非常によくわかる。

しかし、ここには「何故」が不在である。中国脅威論はこれでもかと強調されているが、外交や協調の努力については何もない。国防の重要性も強調され、基地負担論ばかりを問うことはおかしいと主張しているが、住民・市民ひとりひとりの生活や人生や安全性についての配慮は、マクロ的にはあっても、ミクロ的にはない。

そういった側面は、「普天間飛行場代替施設案の比較・検討」と題された表にも顕れている。「辺野古縮小、リーフ施設」に対する「キャンプ・シュワブ、陸上施設」のメリットとして、「工事反対の座り込みなど障害があっても対処し易い。」と書かれているところだ。なぜ市民が、自分の身体を張ってまでして反対しているのか、という想像力はどこに消えているのだろう。