Sightsong

自縄自縛日記

『おててたっち』

2009-11-19 22:29:17 | 思想・文学

インターネット新聞JanJanに、絵本『おててたっち』(武内祐人、くもん出版、2009年)の書評を寄稿した。

>> 『おててたっち』の読み聞かせ

 絵本とは、コミュニケーション・ツールである。親、あるいは近い存在の者が、唯一無二の肉声で読み聞かせ、子どもはそれを反復する。子どもの反応次第では、遅くしてもいいし、視線を辿って気になるところを探ってみてもいいし、子どもに質問してもいい。行きつ戻りつしても構わない。そしてその共通体験が、共通の記憶となり、次の体験を迎え入れることになる。

 『おててたっち』は、2歳の子どもが本当に喜んでくれた絵本だった。それは、コミュニケーション・ツールとして良く出来ているからでもあるように思う。

 特に良い点は、シンプルな嬉しさを反復する構成になっていることだ。たとえば、左頁「きつねさんと」、右頁「くまさんが」、次の頁見開き「おててたっち」と言って手を合わせる。そう、視線が迷わず、「きつねさん」と「くまさん」に感情移入しやすいのである。頁を開いていくペースはリズミカルであり、登場する動物を変えて同じパターンを繰り返すのは音楽のようだ。「たこさん」が出てくるときには、多くの手で全て「たっち」するという楽しさもある。

 何より、「たっち」と読みながら、子どものしっとりして小さい手と「たっち」するときの嬉しさ!

 最後に、子どもと両親が出てきて、「おててたっち」する。自分の生活に戻ってくる仕掛けだと思う。それは良いのだが、ひとつ違和感がある。子どもの父親を「ぱぱ」と呼んでいることだ。もちろん昔と違って、「ぱぱ」と呼ぶ家庭は例外的ではない。しかしそれは、教育のポリシーに近い微妙な心遣いなのであり、できれば「ぱぱ」あるいは「おとうさん」という言葉は使わないでほしかった。

 それはそれとしても、良い絵本だ。子どもとずっと一緒にいて、煮詰まっている親御さんも、子どもと掌をしっとりと合わせたら、ほっとひと息つけるのでは?

●絵本
『ながいなが~い』、『いつもいっしょ』
忌野清志郎の絵本
柳田邦男『みんな、絵本から』


犬童一心『メゾン・ド・ヒミコ』、田中泯+デレク・ベイリー『Mountain Stage』

2009-11-19 00:23:19 | アート・映画

所用で出かけた大阪から早めに帰ったので、録画しておいた映画、犬童一心『メゾン・ド・ヒミコ』(2005年)を観る。

銀座の伝説的なバー「卑弥呼」のママ(田中泯)は、海辺で、ゲイのための老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」を仕切っている。彼は死の床にあった。卑弥呼を愛する岸本(オダギリジョー)は、かつて卑弥呼が捨てた娘(柴崎コウ)をアルバイトとして雇う。そこでは、何人もの個性的なゲイが暮らしていた。

何が面白いのかわからないし決して傑作ではないが、不思議なムードがあり、まったく飽きない。細野晴臣のアンビエントな音楽もかなり秀逸。中でも、田中泯の存在感が凄まじく、病んでベッドの上にあるときにも、顔から胴体まで張りつめた身体はベッドから浮いているようだ。

そんなわけで、ついでに好きなライヴ映像『Mountain Stage』(Incus、1993年)も観る。田中泯デレク・ベイリーと共演したアートキャンプ白州での記録である。ここで、蝉が鳴く炎天下、山中の木のステージでベイリーが淡々とギターを弾き、田中はスルスルゴキゴキと踊る。この尋常でない身体が、卑弥呼としての存在を際立たせていたわけだ。


向こうに佇む田中泯(2008年5月) Leica M3、Elmarit 90mmF2.8、Kodak TMAX-3200、オリエンタル・ニューシーガルVC-RPII、3号フィルタ

●参照
姜泰煥・高橋悠治・田中泯
姜泰煥・高橋悠治・田中泯(2)