インターネット新聞JanJanに、絵本『おててたっち』(武内祐人、くもん出版、2009年)の書評を寄稿した。
絵本とは、コミュニケーション・ツールである。親、あるいは近い存在の者が、唯一無二の肉声で読み聞かせ、子どもはそれを反復する。子どもの反応次第では、遅くしてもいいし、視線を辿って気になるところを探ってみてもいいし、子どもに質問してもいい。行きつ戻りつしても構わない。そしてその共通体験が、共通の記憶となり、次の体験を迎え入れることになる。
『おててたっち』は、2歳の子どもが本当に喜んでくれた絵本だった。それは、コミュニケーション・ツールとして良く出来ているからでもあるように思う。
特に良い点は、シンプルな嬉しさを反復する構成になっていることだ。たとえば、左頁「きつねさんと」、右頁「くまさんが」、次の頁見開き「おててたっち」と言って手を合わせる。そう、視線が迷わず、「きつねさん」と「くまさん」に感情移入しやすいのである。頁を開いていくペースはリズミカルであり、登場する動物を変えて同じパターンを繰り返すのは音楽のようだ。「たこさん」が出てくるときには、多くの手で全て「たっち」するという楽しさもある。
何より、「たっち」と読みながら、子どものしっとりして小さい手と「たっち」するときの嬉しさ!
最後に、子どもと両親が出てきて、「おててたっち」する。自分の生活に戻ってくる仕掛けだと思う。それは良いのだが、ひとつ違和感がある。子どもの父親を「ぱぱ」と呼んでいることだ。もちろん昔と違って、「ぱぱ」と呼ぶ家庭は例外的ではない。しかしそれは、教育のポリシーに近い微妙な心遣いなのであり、できれば「ぱぱ」あるいは「おとうさん」という言葉は使わないでほしかった。
それはそれとしても、良い絵本だ。子どもとずっと一緒にいて、煮詰まっている親御さんも、子どもと掌をしっとりと合わせたら、ほっとひと息つけるのでは?