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自縄自縛日記

寺尾忠能編『環境政策の形成過程』

2013-05-07 08:18:25 | 環境・自然

寺尾忠能編『環境政策の形成過程 「環境と開発」の観点から』(アジア経済研究所、2013年)を読む。

本書の「まえがき」にあるように、故・宇井純氏は、1970年頃の公害問題に関する論考について、「問題の歴史的展開」と「公害問題を激化させてしまったことへの反省」の2つの要素が、読む価値を左右する条件であったと述べていたという。それを受けて、本書は、さまざまな国・地域と解決対象についての環境政策形成過程を、「なぜ」という観点から、掘り下げていったものになっている。

中国の1990年代までの環境政策については、行政部門間の調整がどのようになされようとしてきたかを追う。現在でも、環境保護部、発展改革委員会、外交部などの役割がわかりにくく、さらに中央と地方の政策決定権も不透明な状況にあって(リンダ・ヤーコブソン+ディーン・ノックス『中国の新しい対外政策 誰がどのように決定しているのか』 >> リンク)、とても興味深い視点である。

タイの環境政策は、中国とはまた違った形で縦割り、かつ、調整困難なものであるようだ。本書では、マーッタープット工業団地(数年前に石油化学業界への調査で足を運んだとき、わたしはマプタプットと呼んでいたが、こちらが正しいのだろう)で発生した環境問題が、騒がれてきたわりには解決手段を見出しにくいことが示されている。

台湾では、環境基本法(2002年)において、「公民訴訟」の条項が含められた。これは、地域住民でなくても、弁護士や環境保護団体が「公益を代表して訴訟の当事者になることができる制度」であるといい、既に、環境影響評価法にも取り込まれているという。その結果として、市民の声が政治決定に入っていく参加プロセスが見えてきているようだ。日本との関連を考えた場合、これは非常に重要である。

ドイツは広く環境先進国だと受け止められているが、実際のところ、統一をはさんだコール政権期(1982~98年)では、そうでもなかった。しかし、容器包装リサイクルに関して日本でもひとつの参照制度となった枠組みが、この時期に導入されている。なぜだったのか。本書では、そのカギを、「回避すべきもの」の存在に見出している。それは、為政者の地元産業の衰退、緑の党の伸長、経済界にとってより厳しい規制といったものであり、すなわち、環境問題がマイナス要素への対決というものだけでないことを示す。

米国のニューディール政策については、「保全」という概念が、誰にとってのどのようなものであったかという視点から、変遷してきたことを示している。

いずれも非常に興味深い。この観点での研究成果をさらに読んでみたいところだ。