Sightsong

自縄自縛日記

ファスビンダーの初期作品3本

2013-05-26 23:14:35 | ヨーロッパ

体調が悪く、土日は引きこもり。そんなわけで、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーが短い創作期間の初期に撮ったギャング映画を、3本まとめて観る。オーストラリアの会社が、ファスビンダーの作品をまとめたシリーズものDVDをいくつか出しており、その中から、この『The Gangster Films』を入手しておいたのだ。すべて、ミュンヘンが舞台となったモノクロ作品である。

『愛は死より冷酷』(1969年)

ギャング組織に属さない男ふたりが、友人になる(そのひとりはファスビンダー自身)。ひとりの女(ハンナ・シグラ)を含めた、友情と奇妙な三角関係。やがて女は若い男に飽き、彼らが強盗をするときに密かに警察に通報する。

はなから、やさぐれたような様式美を意識する展開であり、白壁をバックとした抽象的な構図や、長回しが続く。だからといって、スタイルの模倣臭があると言いたいわけではない。むしろ、寂寞たる時空間のなかで、鬱屈して決して結実することのない「愛の不毛」のようなものが漂っており、奇妙に惹きつけられる。

『悪の神々』(1969年)

刑務所を出所したばかりの男。恋人(ハンナ・シグラ)のもとへ戻るが、彼は、何人もの女友達のところを行き来する。嫉妬に狂った女は、スーパーマーケットの襲撃計画を、事前に、やはり懇ろにしている刑事に密告してしまう。

人生に絶望した男女が次々に登場する、救いようのない物語である。それにしても、『愛は死より冷酷』といい、ハンナ・シグラの、ごく微かな笑みを浮かべた顔は、観るほうがおかしくなってしまいそうに魅力的。

『アメリカの兵士』(1970年)

ベトナム帰りのドイツ人。ダブルのスーツを着こなし、だらしなくてワイルドであり、片手にはバランタインの瓶。警察と結託し、よくわからぬ理由で、手相を診るのが上手いジプシーの男や、いわくのありそうな娼婦や、寝返った刑事らを、ピストルで殺し続ける。

いや、物語はないに等しい。ただひたすらに、パルプフィクション的なネタが増幅されカリカチュア化されたイメージを、確信犯として、つなぎ続ける。いまの目で観ても凄まじい覚悟っぷりである。緊張は最後まで保たれるのだが、ラストシーンにいたり、緊張は決壊し、スラップスティック・コメディに転じる。

男は警官に射殺される。それを目撃した男の母の若い恋人は、男を憎み、また同時に、同性愛的な感情を持っていた。そして、母が見守る前で、既に死んだ男を抱きしめ、激しく愛撫する。しかも、延々と、寝返りをうち続けて。何なんだ!

このあまりの脈絡のなさで、果たして観客は口をあんぐりと開けて茫然と観続けたのだろうか、それとも、爆笑したのだろうか。ちょっと驚愕した。怪作というだけでなく、傑作と評価されて良いのではないか。

●参照
ジャン=リュック・ゴダール『パッション』(ハンナ・シグラ)


溝口健二『雨月物語』

2013-05-26 00:22:01 | 関西

久しぶりに、溝口健二『雨月物語』(1953年)を観る。ブックオフに韓国版DVDが500円で置いてあったのだが、もう著作権も切れたということだし、本屋のワゴンにでも廉価版が売っていたりするのかな。

戦国時代、琵琶湖の北の畔。窯で器を焼いて生計を立てる男とその妻子。隣には、侍になりたいと妄想する馬鹿男とその妻。戦のどさくさで焼き物が売れに売れ、あぶく銭を手にしてしまった男たちは、金と欲に目が眩む。かたや、成仏できずにさ迷う亡霊に憑りつかれ、かたや、手にした銭で武具を買い、出世を狙う。

溝口健二は、妥協を知らない職人だったという評価をどこかで読んだ記憶がある。名作として称えられるこの映画を観ると、確かにそうだったのだろうと確信してしまう。

焼き物を積んで霧の中を漕ぎだす湖の場面は、宮川一夫の撮影手腕もあるのだろうが、実に見事。唐突にあらわれる亡霊の姫様(京マチ子)の妖艶さ、男が化かされる屋敷でやはり突然カメラが向けられる甲冑の迫力には、文字通り、吃驚してしまう。男が命からがら戻った家で、真っ暗ななか蝋燭が灯され、妻(田中絹代)の顔が浮かび上がる確信犯的な場面。すべてに隙がない。

この素晴らしいモノクロ映像は、きっと、フィルムによる上映を観たならば、さらに網膜に焼きついたことだろう。

当時の観客は、度肝を抜かれ、茫然として、あるいは陶然として、映像を凝視したに違いない。

●参照
溝口健二『雪夫人絵図』(1950年)