Sightsong

自縄自縛日記

歴史の裁きはつねに欠席裁判である

2013-05-15 00:28:57 | 韓国・朝鮮

橋下・大阪市長が、「慰安婦は必要だった」と発言した。

もとよりそのような考えの持ち主であることは明らかであったから、驚きはない。ただ、怒りと恥ずかしさとが湧き上がってくる。ここで観察できるのは、歴史についての無知と、非対称な権力関係に懐疑を抱かない想像力の欠如である。エマニュエル・レヴィナスの言葉を改めて噛みしめてみるとよい。

「歴史の裁きはつねに欠席裁判である。」
「歴史の裁き、すなわち可視的なものへの裁きから帰結する不可視の侮辱は、それが叫びや抗議としてのみ生起し、あくまで私のうちで感得される場合には、いまだ裁かれる以前の主観性あるいは裁きの忌避を証示するにすぎない。」

写真家の安世鴻氏は、朝鮮から慰安婦として中国に連行された少女たちが、故郷に帰ることもできず、年老いて生きる姿を記録している。ここに焼き付けられた人びとは、機能であり、装置であったとでもいうのだろうか。一人また一人と亡くなっていき、「死んでからでも故郷に帰りたい」と言う彼女たちに対し、必要な仕事をしたのだとでも総括できるのだろうか。

安世鴻『重重 中国に残された朝鮮人元日本軍「慰安婦」の女性たち』
安世鴻『重重 中国に残された朝鮮人元日本軍「慰安婦」の女性たち』第2弾、安世鴻×鄭南求×李康澤
新藤健一編『検証・ニコン慰安婦写真展中止事件』

この写真展を潰そうとした力は、<大きな枠組み>の意思であった。しかし、1965年の日韓基本条約では、慰安婦問題、韓国人の原爆被害者問題、反人権的犯罪問題は解決されていない。また、インドネシアでは、戦後、日本からの援助と戦争責任問題(従軍慰安婦問題を含む)がバーター取引された経緯がある。もとより、戦後日本では、責任や賠償を論じる前提として<国籍>が置かれ(憲法も、審議段階で、その対象を人から国民へと変更した)、そのために、朝鮮など植民地支配下の住民、強制連行・強制徴用した住民、慰安婦など、そのカテゴリーから外れた(外された)人びとへの戦後の待遇が理不尽なものとなった(波多野澄雄『国家と歴史』)。

そのようなネイション間の取り決めは、無数の個人への犯罪を置き去りにしている。太田昌国氏は、日韓のように、政府間の国交正常化により負の歴史を解決したというストーリーは、個人を対象とした補償ではないという点で、絶えず突き動かされることとなったとする(例えば、慰安婦であったときの証言を1991年にはじめた金学順さん)。

後藤乾一『近代日本と東南アジア』
金石範講演会「文学の闘争/闘争の文学」
波多野澄雄『国家と歴史』
60年目の「沖縄デー」に植民地支配と日米安保を問う
尹健次『思想体験の交錯』

沖縄でも、「女子挺身隊」という名のもとに強制的に朝鮮から連れてこられた慰安婦たちに関する証言が多い。輿石正『未決・沖縄戦』(2008年)、朴寿南『アリランのうた オキナワからの証言』(1991年)、福地曠昭『オキナワ戦の女たち 朝鮮人従軍慰安婦』(1992年)、金元栄『或る韓国人の沖縄生存手記』(1991年)でも触れられているように、沖縄本島においてもやんばるにまで、また離島にまで、朝鮮人の慰安婦が連行されてきていたのである。

その過程において、軍は如何に慰安婦にすることを隠し、騙し、あるいは強制的に徴用したか。戦中の恐るべき性的重労働が終焉を迎えても、ひとりひとりの人生は損なわれ、精神を病んだ事例も数多い。

「女らしい生活をしたことなく生きて来て五十年来、胸に恨(はん)がつのって解けない。飛行機に乗ったとき、JALの翼の日の丸を見て、体が震え、力が抜けた。このような想いをして、なぜ私は日本へ行かなければならないのか、と思いながら来日した。日本政府は行ったことを認め、一言でも間違いだったといってほしい」
(福地曠昭『オキナワ戦の女たち 朝鮮人従軍慰安婦』)

朴寿南『アリランのうた』
輿石正『未決・沖縄戦』
福地曠昭『オキナワ戦の女たち 朝鮮人従軍慰安婦』
金元栄『或る韓国人の沖縄生存手記』

いま眼前で展開されているのは、想像力の欠如であり、知識の欠如であり、非対称性を省みようとしない傲慢であり、野蛮である。