有馬哲夫『児玉誉士夫 巨魁の昭和史』(文春新書、2013年)を読む。
児玉誉士夫は、戦前の軍国主義時代・大陸侵略時代において、「鉄砲玉」のようなテロリストから、軍に協力する商人・インテリジェンスへと変貌を遂げる。軍の戦略物資や資金を調達する際に、商社はすなわちインテリジェンス機関でもあった。そして、その際の換金財が、満州で栽培された阿片であった。麻薬と武器の売買、すでにこのときから児玉が「死の商人」であったことがわかる。
児玉は、戦後A級戦犯に指定されたことに不満であったという。本人は国粋主義者であり、かつ大アジア主義、五族協和、東亜新秩序を奉じていたからだ。このあたりの欺瞞を、本人が自覚していたものかわからない。しかし、戦後、欺瞞はさらに大きな欺瞞の物語に回収されていき、現在の偏狭なナショナリズムにもつながっている。
そのプロセスは、他ならぬ米国が、GHQやCIAを介して、児玉たちを使って進めてきたものであった。1948年末に釈放されたあと、児玉は、米国の「反共」工作にかかわっていく。同時に岸信介や笹川良一が釈放され、直後の1949年初頭に、岡村寧次(陸軍大将)が中国国民党から放免され、日本に送還される。(岡村は、中国戦線において「三光作戦」など数々の残虐行為を働き、戦後、国民党に協力することによって保身しえた人物であり、『大決戦 遼瀋戦役』(1990年)(>> リンク)や馮小剛『一九四二』(2012年)(>> リンク)といった中国映画では、極悪人として登場する。) さらに、同年、辻政信が戦争犯罪で裁かれることなく日本に戻る。これらの一連のプロセスは、偶然ではなく、紛う方なく米国の意思であったという。
何と、マッカーサーは、岡村に指揮を執らせて、旧日本軍将兵を米軍機で台湾から中国に移送し、残留日本兵と合流のうえ共産党軍と戦わせようとしている。敗戦後3年以上も経って、なお国民党に強要されて共産党軍と戦っている旧日本兵は相当数いたようで、そのひとつが、池谷薫『蟻の兵隊』(>> リンク)で描かれた山西省の残留日本軍であった。これを率いた澄田中将は、1949年に米軍機で山西省から日本に帰国させられた。岡村と合流させ、「台湾義勇軍」として、中国共産党と戦わせるためである。
この工作に、児玉や辻も噛んでいた。台湾独立連盟は、中国の国民党や共産党の支配に入るのではなく、米国の勢力下で独立したいという運動であり、児玉は、台湾に大陸から来た蒋介石ら「外省人」による白色テロ2・28事件(1947年)に対抗した者たちに、協力しようとした。そして、金門島の戦いで、共産党軍を撃ち破るに至る。
児玉は、戦後、社会主義政権の誕生を阻止し、日本を再軍備させるべく、政界のフィクサーとして暗躍し続けた。期待を寄せた鳩山一郎が、ソ連との和平に動くと離反し、河野一郎、緒方竹虎、中曽根康弘らを担いだ。田中角栄らを巡る汚職事件として暴かれたロッキード事件も、米国の軍需産業を育て、維持させるという文脈に位置づけられる。
恐ろしいことだ。要は、戦前の軍と右翼が、米国の力を借りて、亡霊のように活動し、戦後に明確につながっているということだ。
●参照
○有馬哲夫『原発・正力・CIA』