東南アジアへの行き帰りの機内で、澤地久枝『もうひとつの満洲』(文春文庫、原著1982年)を読む。
作家・澤地久枝は、50歳のとき、自身の故郷である旧満洲(満州)の吉林省に旅に出る。その目的は、反満抗日ゲリラのリーダー・楊靖宇(ようせいう)の足跡を辿ることであった。
はじめて聞く名前だ。おそらく、日本でもほとんど知られた存在ではない。しかし、本書には、中国東北の人が「東北の民衆は誰でも知っている」と答える場面がある。そして、わたしも吉林省出身の同僚に訊いてみたところ、やはり、「吉林省では誰もが知っている」という。亡くなったとき、ほとんど餓死寸前だったことも。
それは、「草根木皮」と表現される。日本の討伐隊に射殺されたあと、解剖された楊の胃の中には、草の根や木の皮しかなかった。それほど飢えながら、匪賊と呼ばれながら、偽・満州国に抗し、日本の支配と戦っていたのである。
旅の途中、平頂山事件(1932年、関東軍による住民虐殺)の跡地を訪ねたりもしながら、作家は、次第に、楊の姿を描き出していく。
本名・馬尚徳。1905年、河南省の農家に生まれる。やがて政治的な青年となり、共産党に入党。この時点で馬尚徳の首には賞金がかけられ、地下に潜伏。1929年、東北で活動すべく山海関を越える。反満抗日活動の末、1940年、討伐軍に射殺される。楊の死を事実として示すため、首は、衆目にさらされた。
この凄絶な生涯を追うため、作家は、さまざまな証人の話を訊いて歩く。飢餓。日本軍による暴力と収奪。強制労働。満州移民の差別的な言動。三光作戦の実状。確実に、現在よりも、中国人が日本人に向ける視線は記憶に基づく厳しいものであっただろう。その中で、作家は、「日本人としての位置」を自覚しつつも、敢えて「懺悔めいたこと、贖罪めいた表現」を排し、「身をいやしくし、相手に媚びる形」では相手に接することをしない。
勿論、居直っているのではない。証言性を確実なものとするためである。大変な覚悟であったというべきだ。それに比べ、実状を直視しない者たちへの視線は熾烈である。
「「満洲時代がなつかしい」となんの悪意も言える日本人は数多くいる。(略)
なつかしい土地、なつかしく忘れがたい日々の思い出が残る土地であるのも事実なら、敢然とたたかった中国人の意志と生命を蹂躙した日本人の辛い暦が刻まれているのも事実なのである。」
さまざまな矛盾を裡に抱えながらの個人史=民衆史の創出。読む者にも緊張と内省を強いる本である。
ところで、この本は、那覇の栄町市場に最近できたばかりの「宮里小書店」で購入した。宮里千里さんが開いた古本屋である。残念ながら、店主は、その日「熱を出した」とかでご不在だった。
●参照
○澤地久枝『密約 外務省機密漏洩事件』
○小林英夫『<満洲>の歴史』
○満州の妖怪どもが悪夢のあと 島田俊彦『関東軍』、小林英夫『満鉄調査部』
○四方田犬彦・晏妮編『ポスト満洲映画論』
○平頂山事件とは何だったのか
○森島守人『陰謀・暗殺・軍刀』(本書でも言及、平頂山事件)
○鎌田慧『六ヶ所村の記録』(満洲で土地を奪った人びとが日本で開拓した土地を奪われるという反転)
○江成常夫『昭和史のかたち』、『霊魂を撮る眼~写真家・江成常夫の戦跡巡礼~』(偽満洲国の記録)
○林真理子『RURIKO』
○『開拓者たち』