Sightsong

自縄自縛日記

『ガタロさんが描く町~清掃員画家のヒロシマ~』

2013-08-11 07:57:32 | 中国・四国

NHK・ETV特集で放送された『ガタロさんが描く町~清掃員画家のヒロシマ~』を観る(2013/8/10)。(>> リンク

広島市営の「基町アパート」。戦後の復興事業として建設された「小さなまち」であり、その中には、商店街がある。

ガタロさんの名前は自分で付けた渾名。川が好きな彼は、川に棲むという「河太郎」こと「ガタロ」を自分になぞらえた。

もう30年もの間、ガタロさんは、ひとりで商店街の清掃を請け負っている。月給15万円、仕事はきつい。ごみが捨てられ、ガムがこびりついている通路。それだけでなく、いくつも設置されているトイレ。ガタロさんは、猛スピードで、しかも丁寧に、綺麗にしていく。真冬でも素手でこなし、しかも、手を抜いてもいいような便器の金属パイプまでひとつひとつ磨く。文字通り、真似できない仕事ぶりである。

この仕事に就いた当初、長くは続かないだろうと思ったという。しかし、ガタロさんを支えたのは、商店街の人びととの触れ合いであり、仕事のあとに描く絵であった。

商店街の一角にあつらえた「アトリエ」において、ガタロさんは、掃除用具の絵を描いていく。掃除と同様にスピーディーな手業で、拾ってきた画材をつかって、掃除用具をいとおしむように。ガタロさんにとって、掃除用具は人生の大事な伴侶なのである。決して借り物ではない芸術の世界がそこにある。

この6月に、記者のDさんに、この基町アパートを案内していただいた。シャッターを下ろした店が多いものの、思い返してみれば、確かに手が行きとどいている「人間のまち」だった。その、人間の手こそが、ガタロさんの手でもあったとは。

番組では、商店街の上につくられた歩道が紹介されている。団地や商店街を見渡せるように設計されたものであったという。わたしが歩いたときにも、お年寄りがおしゃべりをしていたり、背伸びをしたい若者が集まっていたりした。設計思想は、いまも生きているということか。

Dさんご夫妻と一緒に入った「華ぶさ」で食べたオコゼは、旨かった。また行きたくなってくる。

ところで、そのDさんが昨日教えてくれた。NHKで8月24日(土)23時から、『ドキュメンタリードラマ・基町アパート』が放送される(>> リンク)。アパートの成り立ちや特徴を生かしたドラマのようで、これは見逃せない。

●参照
旨い広島


『メッシュマップ東京』

2013-08-11 00:21:00 | 関東

NHKのドキュメンタリー『メッシュマップ東京』(1974年)を観る。「日本映画専門チャンネル」の工藤敏樹特集で放送された作品であり、ディレクター・相田洋さん、プロデューサー・工藤敏樹さんというスタッフで撮られたものだという。(当時の撮影助手を務められた高野英二さんにご教示いただいた。)

東京を1kmごとや500mごとなどのメッシュに区切り、土地利用、人口密度、夜間人口、高齢者人口など、さまざまなデータを集約した「メッシュマップ」が、多数存在する。このドキュメンタリーでは、それらをしげしげと凝視するところからはじまる。

夜間人口が多いメッシュは、すなわち、通勤のためのベッドタウンを意味する。いきなり、カメラは、東京発・高尾山行の中央線の最終電車を追う。泥酔して、終点でも正気に戻らない勤め人たち。そのため、高尾山駅の休憩所は朝まで開いている。もっとも、今はそこまで寛大ではないだろう。

海のメッシュに目を向けると、夢の島。ごみの最終処分場として、1960年前後には埋め立てが開始され、立派な橋もできた。そこで働く人々は、ほとんどが東北地方出身の出稼ぎであったという。カメラは、1年の3分の2を出稼ぎで暮らす青森県出身の男をとらえる。(ところで、1971年の『帰ってきたウルトラマン』には、燃やさないままのごみで埋め尽くされた夢の島が出てきた記憶がある。)

水田があるメッシュはどこか。井の頭線の富士見ヶ丘に行っても、もうそれは20年前のことだと笑われる。もうひとつは、足立区の北部、個人所有のものだけ残っていた。

人口密度が多いメッシュはどこか。たとえば日雇いの山谷。当然ドヤ街だからだ(言うまでもないが、「ドヤ」=「宿」である)。それから、振興住宅地の高島平。カメラは団地の中に入り、都市に暮らす若夫婦の悩みや高齢者の存在を見出す。この時代、既に高島平の自殺率は、東京平均の4倍にのぼっていたという。

逆に、人口密度が少ないメッシュは、赤坂から六本木一丁目あたりにあった。映像を観て驚いたことに、木造住宅だらけである。いまでも雑踏の匂いを残す界隈ではあるが、このようであったのか。しかも、その多くは空き家であり、デベロッパーがすべて買い上げ続けている。すなわちそれは、森ビルによるアークヒルズのもとの開発地域なのだった(つい先日も、界隈を歩きながら、このあたりは森さんの家でしたっけ、などと軽口を叩いていた)。こう見ると、都市の地霊があるといってもまったくおかしくはない。 

そういえば、赤坂サカスの前、マクドナルドの真横には、いまでも一軒の木造住宅が残っている。地上げに抗し続けた結果なのだと聞いたことがあるが、今後も残るのだろうか。

番組は、さらに、建設現場の事故死資料をメッシュに落としていく。その結果見えてきた分布は、見事に、高速道路や地下鉄と重なっていた。東京は、多くの出稼ぎの人びとが亡くなった上に出来あがっていることが、如実にわかるのである。

それにしても、メッシュ地図や資料を丹念にあさり、凝視するところから、東京史を浮かび上がらせるなど、並の手腕ではない。いったい、どのような企画書を書いたのだろう。いまの街歩き番組など、足許にも及ばない。

●参照
工藤敏樹『ある人生/ぼた山よ・・・』(1967年)