Sightsong

自縄自縛日記

『従軍作家たちの戦争』、笠原十九司『南京事件論争史』

2013-08-16 22:41:30 | 中国・台湾

NHKスペシャル『従軍作家たちの戦争』(2013/8/14放送)(>> リンク)を、何度か繰り返して観た。

作家・火野葦平。1937年、日中戦争出征中に、芥川賞受賞を知る。陸軍情報部(馬渕逸郎中佐)はこれに反応し、次の徐州作戦(1938年)から、日本軍の戦争の正当性を国内外に発信すべくメディア・ミックス戦略を打つ。火野はそのために重用され、提灯持ちの文章を書き続けた。そして、従軍中に書いた『麦と兵隊』などの「兵隊三部作」はベストセラーになった。

火野だけではなかった。多数の有名作家たちが、陸軍のもと「ペン部隊」を結成した。なかでも、林芙美子漢口作戦に従軍し、そのときの体験をもとに軍を称揚する文章の執筆や講演を行い、大変な人気を博した。

なぜメディア・ミックスか。ひとつには、石川達三が、南京事件についての兵隊への聞き書きを記した『生きてゐる兵隊』が問題視され(1938年3月の「中央公論」は発売前に発禁)、それが漏れて中国語版となり、軍の実相を対外的に示すことになったからであり、またひとつには、ナチスドイツがレニ・リーフェンシュタールらを使ったプロパガンダ戦略をとりいれたからでもあった。

もちろん、作家たちには強大な国家権力による大きな制約があったという。軍を美化しなければならぬ、戦争の醜い側面を描いてはならぬ。

しかし、それを差し引いても、火野も、林も、軍に作家たちを斡旋した菊地寛も、皆抵抗することはなく、むしろ積極的に戦争協力した。(なお、東南アジアでの従軍作家たちの言動については、中野聡『東南アジア占領と日本人 帝国・日本の解体』(>> リンク)に詳しい。)

火野は、中国のあと、フィリピンのオドネル捕虜収容所(「バターン死の行進」、すなわち捕虜たちを60km以上強制的に歩かせた先)において、「武士道」などについて「精神教育」を行った。そして、1944年には、ビルマから山岳地を越えてインドに侵攻したインパール作戦にも参加している。中国においても、既に小説には書けない戦争の実相を「従軍手帳」に書き綴っていた火野だったが、ここに至り、無謀な作戦によって多くの戦死者を出した日本軍に対し、激しい憤りを覚えるようになっていた。フィリピンでも、「精神教育」のあと釈放したフィリピン人捕虜たちの多くは、抗日ゲリラとなった。すなわち、「大東亜共栄圏」に象徴される日本政府・日本軍のヴィジョンらしきものが、極めて独りよがりなものに過ぎないのであった。

1945年8月、日本敗戦。菊地、火野をはじめ多くの作家が公職追放になった。火野は、自分の行ってきたことに対する責任と、自分の心の中に渦巻いていたジレンマとに向き合い、1960年に自殺するまで、『土と兵隊』に戦争の実相を加筆し続けていたという。(なお、アフガニスタンで活動するペシャワール会の中村哲医師(>> リンク)は、火野の甥であるといい、番組でも戦後の火野についてコメントしている。)

おそらくは、浅田次郎がコメントしているように、十字架を自ら背負って自身の落とし前をつけた火野のような存在は、例外的だったのだろう。戦争協力を行った「日本文学報国会」などは、何の声明も出さぬまま解体したという。すべてをうやむやにするという方法論が、既にここにあらわれている。

笠原十九司『南京事件論争史 日本人は史実をどう認識してきたか』(平凡社新書、2007年)は、南京事件について世に示さんとした石川達三『生きてゐる兵隊』の発禁についても触れている。

南京事件は、この発禁に象徴されるように、事件直後から中国のみならず欧米にもその残虐性が知れ渡ったにも関わらず、日本の国民にはその実態を知らせないようにするものだった。

著者は、このことと、戦後処理のまずさにより、日本国民のなかで歴史の共有に失敗したのだということを、丹念に示している。既に学問的には南京事件という史実について疑いようがない結論が出ているにも関わらず、いまだ、否定派はネガティブ・キャンペーンをやめようとしない。言い張り続ければ、まだ両論あるのだという意識を社会に醸成し、教科書からもその記載を消し去ることだって狙えなくはない、ということだ。

この動きの駆動力こそが、今に至る政権与党のなかにあった。戦争の実相を伝えることを統制しようとする現在の動きも、『従軍作家たちの戦争』の時代に似てきている。極めて危険なメッセージを読みとるべきである。

●参照
陸川『南京!南京!』
盧溝橋・中国人民抗日戦争記念館(南京事件についても展示)
高橋哲哉『記憶のエチカ』


安彦良和『クラッシャージョウ』

2013-08-16 08:19:39 | アート・映画

懐かしさのあまり、安彦良和『クラッシャージョウ』(1983年)を観てしまった。中学生になる前だったか、宇部だか小野田だかの松竹系の映画館に観に行った記憶がある。

あらためて確認しても、手作業感がみなぎった作品のアニメはやはり良い。映画版のオリジナルだけあって物語がまとまっており、アニメーターを特定したためか安彦良和独自の絵の雰囲気も統一されており、とても完成度が高い。比較してはならないが、描いた人がばらばらなものを寄せ集めた『機動戦士ガンダム』よりも(ガンダムの鼻にある線が2本でなく3本の絵さえあった)。

当時まったく意識していなかったことだが、ジョウは19歳、ヒロインのアルフィンは17歳。彼らがディスコで泥酔し暴れる場面がある。『風立ちぬ』の喫煙場面騒動のように、いまなら難しいところかもしれない。

ところで、『ユリイカ』の安彦良和特集号(2007年9月)を紐解いてみても、この映画への言及はほとんどない。やはり自身の原作でなく、高千穂遥の意向がかなり反映されているからかな。

意外なことに、かつて、安彦良和は左翼学生であった。「別冊宝島」の『左翼はどこへ行ったのか!』(宝島社、2008年)というふざけた本に、そのあたりを振り返ったインタビューがある。『虹色のトロツキー』や『クルドの星』を置いておいても、このような兵器ドンパチものを観ていると、逆なのではないかと感じてしまう。

●参照
半神半人の英雄譚 『タイタンの戦い』、『アリオン』