高野秀行『ミャンマーの柳生一族』(集英社文庫、2006年)を読む。おかしなタイトルだが、フィクションではない。
2004年。著者は、作家・船戸与一に案内役を依頼され、ミャンマーに入国する。著者は、それまで、ミャンマーには2年に1回くらいの割合で行っているが、基本的には「非合法で行く国」であった。なぜかといえば、反政府少数民族ゲリラの支配区を訪れるためであり、それにはタイや中国との国境を非合法に越えるしかなかったからだという。のっけから驚愕である。
それで、何が「柳生一族」か。江戸時代初期、柳生一族は、徳川幕府安定のために表でも裏でも活躍した。ミャンマーは、テイン・セイン大統領のもと民政に移管したとされているが、それまでは、長い軍政期にあった。その維持のために軍情報部が必要とされたのだが(KCIAなどのように)、著者は、その軍情報部を柳生一族になぞらえているのである。
しかし、ミャンマーにおいては前例のない話ではない。建国の父アウン・サンは、抗日活動前に日本軍に取り込まれていたとき、何と、「面田紋次」という名前を付けられていたというし(ビルマ=ミャンマーを意味する「緬」を姓名に分割)、彼と共闘したネ・ウィン(のちに大統領)の日本名に至っては「高杉晋」。冗談のようだが史実だ。
そんなわけで、著者の悪乗りは際限なく続く。柳生一族の大目付たるキン・ニュン(軍情報部のトップ、首相)は柳生宗矩、そのライバルであるマウン・エイは松平伊豆守。幕府の最高権力者として、アウン・サンは徳川家康、ネ・ウィンは二代目・秀忠、タン・シュエは家光。アウン・サン・スー・チーは千姫。面白すぎる。
いつか使えそうなネタはいろいろある。たとえば、千葉真一(サニー千葉)は「サニチバ」と呼ばれ有名。真田広之は「ヘンリー・サナダ」。
ふざけているばかりの旅行記ではない。カレン、カチン、シャンなどの少数民族問題や、アヘンを財源としていたシャン州の独自性については、数少ない人にしか書けないものに違いない。
この取材旅行が終わった直後、柳生キン・ニュン宗矩は松平マウン・エイ伊豆守との権力争いに敗れ、終身刑を言い渡された。それに伴い、軍情報部は解体、柳生一族は崩壊。
さらにタン・シュエ政権からテイン・セイン政権に変わった今では、柳生キン・ニュン宗矩は恩赦にて軟禁を解かれ、松平マウン・エイ伊豆守は失脚させられた。盛者必衰。
大推薦の本なのだが、今後、ミャンマーのことを考えるときには、必ず「柳生一族」という言葉が浮かんできそうで・・・。