Sightsong

自縄自縛日記

ジョシュ・エヴァンス『Hope and Despair』

2015-10-17 11:13:39 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジョシュ・エヴァンス『Hope and Despair』(Passin' Thru、2014年)を聴く。

Josh Evans (tp)
Bruce Williams (as)
Abraham Burton (ts)
Lawrence Clark (ts)
David Bryant (p)
Rashaan Carter (b)
Eric McPherson (ds)
Kush Abadey (ds)

NY「Smalls」の顔のひとりと言っていいのかな、ジョシュ・エヴァンス。先日、この盤を聴く前に、Smallsの前でエヴァンスと話したときに、つい「ビッグバンドのCD」と言うと「いやビッグバンドは集めたり管理したりとすごく大変で、あれはそうじゃない」と指摘されてしまった。参加メンバーは多いが、曲によって組み合わせが異なり、カルテット、クインテット、セプテットである。

いずれも、ジャッキー・マクリーンがハードバップから脱却せんと展開した新時代のサウンド、さらにその現代版である。みんな、曲のどこでも再ブーストし、熱く演奏し、熱く転調する。こういうものを聴くと本当に嬉しくなる。

もちろんエヴァンスも熱い。トランペットが金管であることを再認識させてくれるように、音はメタリックに響く。以前はイモだと思っていたエイブラハム・バートンも、直情的にテナーの音をエネルギーの続く限り吐き出すのであり、つい心が動かされてしまう。

エヴァンスのビッグバンドには、ときにビリー・ハーパーが参加している。まさに出会うべくして出会った熱さなのではないかと思うがどうか。


Josh Evans, Smalls, 2015年

●ジョシュ・エヴァンス
マイク・ディルーボ@Smalls(2015年)
ジョシュ・エヴァンス@Smalls (2015年)
フランク・レイシー@Smalls(2014年)
フランク・レイシー『Live at Smalls』(2012年)
ラルフ・ピーターソン『Outer Reaches』(2010年)


高橋哲哉『沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える』

2015-10-17 09:00:15 | 沖縄

高橋哲哉『沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える』(集英社新書、2015年)を読む。

従来の反戦平和運動においては、沖縄の米軍基地は無条件撤去、あるいは海外移設すべきだという論調が主なものだった。しかし、現実としてそれが理想論にとどまっており、実現するとしてもそれまでには短くない時間がかかってしまう。また、日米安保体制を必要だとする人の割合は、日本「本土」でも、沖縄でも、ほぼ一貫して高くなっている。米軍基地が必要だというなら、それを置く必然性がないことが明らかになっている沖縄にではなく、日本「本土」で引き取るべきだ、という主張が、「県外移設論」である。もとより戦後、「本土」での基地反対が政治体制に影響を及ぼすことを忌避し、「国体」の維持のためにアメリカに差し出した沖縄に、米軍基地を押し付けてきた歴史があるのだから(豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』吉次公介『日米同盟はいかに作られたか』などに詳しい)。

これは日米安保体制の容認を意味するものではない。著者が以前から主張しているように、誰かの犠牲のうえに社会を成立させる「犠牲のシステム」を維持するのであれば、憲法上も、倫理上も、犠牲を自ら引き受けることでなければ、このシステムを成立させ享受する権利はない。また、知念ウシ氏の言うように、日本人が自分で基地を引き取って何らかの決着をつけないといけないということに過ぎない。(いま、沖縄「問題」を考える ~ 『沖縄の<怒>』刊行記念シンポ

すべて正論であり、異論を差し挟む余地はない。それは大前提として、わたしが差別者側の「日本人」であることの居心地の悪さは除いても、もやもやとした違和感が残るのはなぜだろう。(四の五の言わず、一刻も早くこのような差別的政策を差別者側で解消せよというメッセージなのだが。)

それは、「日本人」である高橋氏が雄弁に正論を語るということではないだろう。あるいは立派すぎるほど被抑圧側を代弁する「マイノリティ憑依」でもないだろう。その指摘は倒錯に過ぎない。

本書には、新城郁夫氏による異論が紹介されている。つまり、現在の軍事的構造・政治的構造を所与のものとする時点で誤りだということであり、また、あえて「日本人」「沖縄人」という類型化を明確にしてしまうということである。これもまた、高橋氏によれば、問題の現実的な解消につながりにくい「ヴィジョン」として括られてしまう。

あるいは、目の前の現実に焦点を絞る「・・・ならば」という論理展開が、たとえば、「普天間にも辺野古にも反対していてはいつまでも問題が解決しない。ならば辺野古に」という、日米のパッケージ論にやすやすと乗り、相似的な論理の再生産につながるのではないかという想像もありうるのだろうか。

OAM(沖縄オルタナティブメディア)の西脇尚人氏が、本書の書評をいくつか送ってくれた。それらは主に本書への賛意を示すものであり、違和感への言及はない。一方、西脇さんの寄稿(沖縄タイムス、2015/10/2)には共感するところ大だった。

●参照
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』
高橋哲哉『デリダ』
高橋哲哉『記憶のエチカ』
徐京植、高橋哲哉、韓洪九『フクシマ以後の思想をもとめて』
高橋哲哉・徐京植編著『奪われた野にも春は来るか 鄭周河写真展の記録』
林博史『暴力と差別としての米軍基地』
豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』
吉次公介『日米同盟はいかに作られたか』
太田昌克『日米同盟』
前田哲男『フクシマと沖縄』
琉球新報『普天間移設 日米の深層』
琉球新報『ひずみの構造―基地と沖縄経済』
沖縄タイムス中部支社編集部『基地で働く』
前泊博盛『沖縄と米軍基地』
屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
渡辺豪『「アメとムチ」の構図』
渡辺豪『国策のまちおこし 嘉手納からの報告』
高野孟『沖縄に海兵隊はいらない!』
宮城康博・屋良朝博『普天間を封鎖した4日間』
エンリコ・パレンティ+トーマス・ファツィ『誰も知らない基地のこと』
押しつけられた常識を覆す
来間泰男『沖縄の米軍基地と軍用地料』
佐喜眞美術館の屋上からまた普天間基地を視る
いま、沖縄「問題」を考える ~ 『沖縄の<怒>』刊行記念シンポ
ガバン・マコーマック+乗松聡子『沖縄の<怒>』
由井晶子『沖縄 アリは象に挑む』
大田昌秀『こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題―最善・最短の解決策』
浦島悦子『名護の選択』
浦島悦子『島の未来へ』
新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』
『世界』の「普天間移設問題の真実」特集
久江雅彦『日本の国防』
久江雅彦『米軍再編』、森本敏『米軍再編と在日米軍』
『現代思想』の「日米軍事同盟」特集