Sightsong

自縄自縛日記

『沖縄でコルヴィッツと出会う』 コルヴィッツ、沖縄、北京、杭州、ソウル、光州

2015-11-08 19:08:56 | 沖縄

NHK・Eテレの『こころの時代』枠で放送された『沖縄でコルヴィッツと出会う』(2015/8/30)を観る。

ケーテ・コルヴィッツは20世紀前半に活動したドイツの版画家。第一次世界大戦において出征した息子を亡くし、嘆きながら、同時に美を見出し、獣のように慟哭する母親の姿を版画作品として結実させた。沖縄・普天間基地の敷地を取り戻して「佐喜眞美術館」を造った佐喜眞館長のコレクションの出発点は、この作品である。というのも、もともと普天間に持っていた土地を米軍に奪われた佐喜眞家には、軍用地料が入ってきて、館長はそのことを不快としてアートの購入を始めたのだった。

場所も時代も違うコルヴィッツの作品が、なぜ現代の沖縄で力を持ちうるのか。徐京植さんは、かつての出来事としてではなく、自らのリアルなこととして描いたことによるのではないかと考える。徐さんにとってのコルヴィッツは、民主化運動に対する白色テロ・光州事件(1980年)であり、また、民主化運動に参加して投獄されたふたりの兄(徐勝・徐俊植)であった。徐さんが橋渡しをして、ソウル北美術館において、佐喜眞美術館所蔵のコルヴィッツ作品が展示された。

コルヴィッツの普遍性がつなぐ先は韓国だけではない。コルヴィッツと同時代に、魯迅も彼女の作品に共鳴し、中国で作品を紹介していた。藤井省三『魯迅』によれば、『世界史のなかの中国 文革・琉球・チベット』を書いた汪暉が沖縄と北京魯迅博物館をつなぎ、展覧会を実現させた。また、杭州の浙江美術館でもまた展示がなされている。(魯迅が生まれた地は、浙江省の紹興であった。)

被抑圧からの解放への希求を紐帯として、沖縄、韓国、中国がつながるという姿は希望を、孕むものではないか。その視線は、『越境広場』シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』などにも見ることができる。もっとも、そういった言い方自体が第三者的でもあるのだが。

●参照
佐喜眞道夫『アートで平和をつくる 沖縄・佐喜眞美術館の軌跡』
佐喜眞美術館の屋上からまた普天間基地を視る
<フェンス>という風景
基地景と「まーみなー」
平和祈念資料館、「原爆と戦争展」、宜野湾市立博物館、佐喜真美術館、壺屋焼物博物館、ゆいレール展示館
汪暉『世界史のなかの中国』
汪暉『世界史のなかの中国』(2)
藤井省三『魯迅』
徐京植のフクシマ
徐京植『ディアスポラ紀行』
高橋哲哉・徐京植編著『奪われた野にも春は来るか 鄭周河写真展の記録』
鄭周河写真展『奪われた野にも春は来るか』
鄭周河写真集『奪われた野にも春は来るか』、「こころの時代」
『越境広場』
シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』


畠山重篤『日本<汽水>紀行』

2015-11-08 15:32:22 | 環境・自然

畠山重篤『日本<汽水>紀行』(文春文庫、原著2003年)を読む。

著者は気仙沼の漁師さんである。環境問題に少しでも関わっている者であれば、沿岸の漁場の豊かさには、陸域の環境が大きく影響していることを聞いたことがあるはずだ。汚染物質や富栄養化物質だけではない。森林の落葉が腐る段階でできるフルボ酸という物質が鉄と結びつき、簡単には酸化しないフルボ酸鉄となり、それが植物プランクトンの成長に欠かせないのだという。また、森林から流れ出るある種のカビが、稚魚など動物プランクトンにとってちょうどいい餌になっているケースもある。

そういった現象を、著者は、<森は海の恋人>という言葉で表現した。まさに、漁業を通じた経験を、環境保全や開発のあり方にも深く関係する知見として広く知らしめたということになる。陸水の環境は河川流域でとらえなければならないものだが、さらには、海水と淡水とが混じり合う汽水域、その海域への影響、また流動のタイムスケールが非常に長い地下水が河川水に混じり合っていくことの影響など、あまり認知されているとは言い難いことが少なくない。本書はそういったことについての恰好の読み物である。

それにしても、著者の貪欲な好奇心には驚かされる。気仙沼だけではなく、四万十川、宍道湖、有明海、富山湾、東京湾、果ては長江の河口域まで足を運んでいっては、目と舌とで実態をとらえんとしているのである。話はなんと上海の上海の魯迅紀念館や内山書店跡にも及ぶ。読んでいると、牡蠣、ウナギ、シジミ、鯨、鮭、鰹、その他あまり縁のない魚介類などが食べたくて仕方がなくなる。

「あとがき」には、東日本大震災により多くの漁場が大打撃を受けたことが書かれている。その復活には、森から河川を通じて流出するマテリアルが欠かせないものだということが、本書を読むことで実感できる。ただその一方で、原子力発電所からの放射性物質の流出・蓄積について一言も触れていないのはなぜだろう。

●参照
栗原康『干潟は生きている』 震災で壊滅した蒲生干潟は・・・
旨い富山
豊かな東京湾
東京湾は人間が関与した豊かな世界
船橋側の三番瀬 ラムサール条約推進からの方針転換
『みんなの力で守ろう三番瀬!集い』 船橋側のラムサール条約部分登録の意味とは
浦安市郷土博物館『三角州上にできた2つの漁師町』
市川塩浜の三番瀬と『潮だまりの生物』
三番瀬を巡る混沌と不安 『地域環境の再生と円卓会議』
三番瀬の海苔
三番瀬は新知事のもとどうなるか、塩浜の護岸はどうなるか
三番瀬(5) 『海辺再生』
三番瀬(3) 何だか不公平なブックレット
三番瀬にはいろいろな生き物がいる(2)
三番瀬にはいろいろな生き物がいる
船橋の居酒屋「三番瀬」
『青べか物語』は面白い
谷津干潟
井出孫六・小中陽太郎・高史明・田原総一郎『変貌する風土』 かつての木更津を描いた貴重なルポ
平野耕作『キサラヅ―共生限界:1998-2002』
盤洲干潟
新浜湖干潟(行徳・野鳥保護区)
江戸川放水路の泥干潟
曽根干潟と田んぼの中の蕎麦屋
佐藤正典『海をよみがえらせる 諫早湾の再生から考える』
『科学』の有明海特集
『有明海の干潟漁』
漫湖干潟
泡瀬干潟
泡瀬干潟の埋立に関する報道
小屋敷琢己『という可能性』
救え沖縄・泡瀬干潟とサンゴ礁の海 小橋川共男写真展
屋嘉田潟原
糸満のイノー、大度海岸
下村兼史『或日の干潟』
日韓NGO湿地フォーラム
加藤真『日本の渚』
『海辺の環境学』 海辺の人為
魯迅の家(3) 上海の晩年の家、魯迅紀念館、内山書店跡


菊地雅章『POO-SUN』

2015-11-08 10:29:50 | アヴァンギャルド・ジャズ

菊地雅章『POO-SUN』(Phillips、1970年)を聴く。

Masabumi "Poo" Kikuchi 菊地雅章 (p, el-p)
Kosuke Mine 峰厚介 (ss, as)
Hideo Ichikawa 市川秀男 (el-p, org)
Yoshio Ikeda 池田芳夫 (b)
Motohiko Hino 日野元彦 (ds)
Hiroshi Murakami 村上寛 (ds)
Keiji Kishida 岸田恵二 (perc)

ヒット曲「Dancing Mist」は、当時、ライヴでこれを演奏しないと終わらないほど受けたものらしい(同時代でないわたしにはピンとこないが)。解説によれば、菊地雅章本人によるダメ出しが続いてもうやめようとしたところ、制作のスタッフが粘って、予定よりもずいぶん長い演奏でOKが出たという。時代を感じさせるスタイルは横に置いておくとしても、内省的で、かつそれと相反するような押し出しの強さがあって、さらにサウンドの伽藍を構築せんとする意思が強く感じられて、とてもいい演奏である。

それは「Dancing Mist」だけでなくアルバム全体でそうなのであって、このあと熟成に熟成を重ねるとはいっても、すでに菊地雅章は菊地雅章なのだなと思わせる。もっとも、極限まで自身の脳と身体にのみ依拠しようとするピアノだという意味では、『銀巴里セッション 1963年6月26日深夜』においても、それを聴くことができるのだが。

●参照
菊地雅章『ヘアピン・サーカス』(1972年)
菊地雅章+エルヴィン・ジョーンズ『Hollow Out』(1972年)
菊地雅章『再確認そして発展』(1970年)
『銀巴里セッション 1963年6月26日深夜』


小栗康平『伽倻子のために』、『泥の河』

2015-11-08 07:56:10 | アート・映画

早稲田松竹において、『FOUJITA』の公開を記念して、小栗康平の全作品を上映している。李恢成の小説を読んで以来、『伽倻子のために』はずっと観たかった映画である(何しろ、小栗康平のDVDボックスにのみ収録されている)。そんなわけで、初日に足を運んだ。

『伽倻子のために』(1984年)

1957年。相俊(サンジュニ)は日本支配下のサハリン・真岡で生まれ、戦後、北海道に渡ってきた。頑固な父は、息子たちに、「<朝鮮人>になれ」と叫ぶ。父の義兄弟であった男も北海道に渡り、青森出身の日本人と結婚していた。かれらの娘・伽倻子(かやこ)は、もとは日本人の捨て子であった。相俊と伽倻子とは惹かれあい、東京で同棲生活を始める。やがて伽倻子の両親が連れ戻しに来て、相俊は伽倻子を失う。

戦後の在日コリアンのコミュニティ、済州島の四・三事件、北朝鮮帰国事業などが丁寧に盛り込まれている。在日コリアンが凝視しなければならなかったであろう世界と自身とのあまりにも大きなギャップが、<間>のような素朴な描写となっており、よくできた映画である。

しかし、映画には看過できない欠陥がある。伽倻子の裡に巣食う底なしの魔が、描かれていないのだ。これでは李恢成の原作の奥深さには遠く及ばない。

『泥の河』(1983年)

1956年、大阪。うどん屋を営む夫婦とその息子、その目の前の川に現れた<水上生活者>の少年少女、客を取る母。

芦屋雁之助、田村高廣、加賀まりこの人情味溢れる顔が素晴らしい。モノクロの撮影もいい。演出も細かいところまで行き届いている。それはそれとして、パーフェクト過ぎて破綻のない映画の教科書は、いまひとつ心をすり抜けて落ちていくのだった。

●参照
李恢成『伽揶子のために』