Sightsong

自縄自縛日記

トム・レイニー『Hotel Grief』

2015-11-15 20:39:03 | アヴァンギャルド・ジャズ

トム・レイニー『Hotel Grief』(Intakt、2013年)を聴く。

Tom Rainey (ds)
Ingrid Laubrock (sax)
Mary Halvorson (g)

終わりもはじまりもないトリオ。トム・レイニーのドラミングは、まるで偶然によって動きを極端に変えながらはじけまくるネズミ花火のようだ。その火花の数々に煽られてか、イングリッド・ラウブロックの懐の深いサックスが、いつになくハード路線であるように聴こえる。メアリー・ハルヴァーソンは、最初から最後までぐにゃりぐにゃりと時空を歪め続ける。

こんな凄い演奏を、年末のCornelia Street Cafeでいつものように繰り広げていたのかと思うと。

●トム・レイニー
イングリッド・ラウブロック UBATUBA@Cornelia Street Cafe(2015年)
イングリッド・ラウブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone(2014年)
イングリッド・ラウブロック(Anti-House)『Roulette of the Cradle』(2014年)
トム・レイニー『Obbligato』(2013年)
イングリッド・ラウブロック(Anti-House)『Strong Place』(2012年)
クリス・デイヴィス『Rye Eclipse』、『Capricorn Climber』(2007、2012年)
イングリッド・ラウブロック『Zurich Concert』(2011年)
ティム・バーン『Electric and Acoustic Hard Cell Live』(2004年)


田代俊一郎『沖縄ジャズロード』

2015-11-15 10:26:17 | 沖縄

田代俊一郎『沖縄ジャズロード』(書肆侃侃房、2015年)を読む。

表紙は故・屋良文雄さん。いちどだけ那覇の「寓話」に聴きにいった。お話すると飄々として笑っておられた。ああ、懐かしいな。

この本には、「寓話」だけでなく、那覇やコザや石垣など沖縄のあちこちにあるジャズスポットが紹介されている。ライヴハウスも、ジャズ喫茶も、レコード店も、バーも。わたしが入ったことがあるところは、「寓話」と「インタリュード」だけ。いつかは浦添の「groove」を覗いてみたいなと思ってはいたが、それにしても、こんなにあるなんて。栄町にもこんなにジャズ的な店があったとはまったく知らなかった。

面白いのは、スポットの紹介にとどまっていないことだ。店を切り盛りする人のジャズ観や人生経験が、沖縄という場と交錯している。そこには、東京とはまるで異なる「アメリカ」がある。

次の沖縄行きには必携。

●参照
屋良文雄さんが亡くなった(2010年)
ひさびさのインタリュード(2013年)
いーやーぐゎー、さがり花、インターリュード(2009年)
与世山澄子ファンにとっての「恋しくて」(2007年)
35mmのビオゴンとカラースコパーで撮る「インタリュード」(2006-07年)
2006年10月、与世山澄子+鈴木良雄
与世山さんの「Poor Butterfly」(2005年)


中沢啓治『オキナワ』

2015-11-15 09:57:43 | 沖縄

中沢啓治『オキナワ』(DINO BOX)を読む。

ここに収録された漫画は、『オキナワ』(週刊少年ジャンプ、1970年)、『うじ虫の歌』(漫画パンチ、1972年)、『冥土からの招待』(ヤングジャンプ、1979年)、『永遠のアンカー』(週刊少年ジャンプ、1972年)、『拍子木の歌』(週刊少年ジャンプ、1972年)の5作品。『オキナワ』のみ、沖縄の施政権返還(1972/5/15)の前に描かれている。そして、『オキナワ』『うじ虫の歌』『冥土からの招待』が沖縄戦と沖縄の米軍基地、『永遠のアンカー』が沖縄の米軍基地と広島の原爆、『拍子木の歌』が広島の原爆とベトナム戦争を主に題材としている。

『オキナワ』は『はだしのゲン』が「週刊少年ジャンプ」に掲載される3年前の作品である。「琉球新報」(2015/8/4)によると、これは、中沢さんが「沖縄の人たちの気持ちを知りたい」と編集者と共に返還前の沖縄を訪れ、飲食店の店主ら地元住民の取材を重ねた作品であり、その後も「『オキナワ』でもっと描きたいことがあったんだよな」と漏らしていたのだという。

わたし自身は、おそらく『オキナワ』以外の4作品をかつて読んだのだが、『オキナワ』には初めて接する。ここには、沖縄戦において、日本兵が壕から住民を追い出したり、泣き声を出す赤ん坊を殺したりという場面があり、戦争の記憶が沖縄の住民の間に生々しく残っていたことがよくわかる。また、中沢さんは米軍基地に厳しい目を向けながらも、ベトナムに出征する米兵の恐怖や、ベトナムで戦死する米兵の家族の嘆きを同時に描いている。すなわち、広島の原爆と同様に、沖縄戦と沖縄差別、ベトナム戦争といったものが、たんなる過去の記憶だけではないリアルとして提示されていたのだった。

●参照
『はだしのゲン』を見比べる
岡村幸宣『非核芸術案内』