田中一郎『ガリレオ裁判 ―400年後の真実』(岩波新書、2015年)を読む。
ガリレオ・ガリレイは、17世紀に、ローマ教会の異端審問所により有罪の判決を受ける。言うまでもなく地動説を唱えたためだが、それは、後世に語り継がれるような「科学対宗教」の結末ではなかった。あくまでも、争点は、キリスト教においてその考えを許容できるのか、すなわち聖書に書かれていることを冒涜するものではないか、異端かどうかという点なのだった。
もちろん、既に天体観測により、アリストテレスによる天動説にはかなりの無理が出てきていた。本書を読むと、前世紀に新たな考えを拓こうとしたコペルニクスは、あくまで仮説として許容される微妙なものだったことがわかる。ガリレオの発見と論理展開が明晰であったがために、その微妙さまで直視せざるを得なくなったということだろうか。
それにしても、この異端審問と宗教裁判の膨大な記録が、ナポレオンの介入により失われたのだということには驚かされた。ナポレオンは、教会の後進性を論証するために、ローマからフランスへと資料を輸送させ(冗談ではないほどのオカネがかかった)、その後の失脚と復活の騒動の中で、消えてしまったのだという。
その18世紀は、ニュートンによる万有引力の発見とともに、科学興隆の時期でもあった。どうやら、このときに「それでも地球は動いている」というガリレオの言葉が後付けで追加され、固陋な宗教界とたたかった科学の英雄というストーリーが確立されたようである。そして、そのストーリーは今でも生きている。