Sightsong

自縄自縛日記

田中一郎『ガリレオ裁判』

2015-11-24 07:25:53 | ヨーロッパ

田中一郎『ガリレオ裁判 ―400年後の真実』(岩波新書、2015年)を読む。

ガリレオ・ガリレイは、17世紀に、ローマ教会の異端審問所により有罪の判決を受ける。言うまでもなく地動説を唱えたためだが、それは、後世に語り継がれるような「科学対宗教」の結末ではなかった。あくまでも、争点は、キリスト教においてその考えを許容できるのか、すなわち聖書に書かれていることを冒涜するものではないか、異端かどうかという点なのだった。

もちろん、既に天体観測により、アリストテレスによる天動説にはかなりの無理が出てきていた。本書を読むと、前世紀に新たな考えを拓こうとしたコペルニクスは、あくまで仮説として許容される微妙なものだったことがわかる。ガリレオの発見と論理展開が明晰であったがために、その微妙さまで直視せざるを得なくなったということだろうか。

それにしても、この異端審問と宗教裁判の膨大な記録が、ナポレオンの介入により失われたのだということには驚かされた。ナポレオンは、教会の後進性を論証するために、ローマからフランスへと資料を輸送させ(冗談ではないほどのオカネがかかった)、その後の失脚と復活の騒動の中で、消えてしまったのだという。

その18世紀は、ニュートンによる万有引力の発見とともに、科学興隆の時期でもあった。どうやら、このときに「それでも地球は動いている」というガリレオの言葉が後付けで追加され、固陋な宗教界とたたかった科学の英雄というストーリーが確立されたようである。そして、そのストーリーは今でも生きている。


ジョン・ブッチャー+高橋悠治@ホール・エッグファーム

2015-11-24 00:05:00 | アヴァンギャルド・ジャズ

埼玉県の深谷まで、高崎線ではじめて足を伸ばした。ジョン・ブッチャーの演奏を堪能するためである。

John Butcher (ss, ts)
Yuji Takahashi 高橋悠治 (p)

ファースト・セットはブッチャーのソロ。強烈な音圧の循環呼吸によるソプラノは、うなりを起こした。それがブッチャーの体躯の近くなのか、ホール全体なのか、自分の耳の中なのか、それとも全部なのか、よくわからないほどの代物だった。まずは会場から「凄い」という声が聞こえた。テナーに持ちかえると、低音も高音も強く発する奇怪な音。

セカンド・セットは高橋悠治とのデュオ。まずはテナーにて、まるでヴァーチャルな空間において間合いを探りあい、高速ですれ違うような、相互の呼応が展開された。眼を見合わせて突然演奏を終えるスリリングさ。そしてソプラノでは、貫通するような強さでのせめぎ合い。と思いきや、高橋悠治はひらひらとダンスするように弾き、衝突したのか、しなかったのか。達人同士の手合わせなのだった。静かに興奮し、動悸が激しくなった。

演奏後、ブッチャー氏と少し話をした。マドリッドでの写真をウェブサイトに使ってもらってどうも、と言うと、ああ、あんたか、と。新宿のナルシスの話になった。もう随分前だが、小さなカフェだ、覚えている。店に入るとすぐに窓があって花があって。まだ同じ場所にあるのか。あのレディーは元気か。ああ、そうか(笑)。ぜひ、わたしからのBeeest Wisheeesを伝えておいてほしい、と。これでナルシスに行って、川島ママに伝える用事ができた。

Nikon P7800

●ジョン・ブッチャー
ロードリ・デイヴィス+ジョン・ブッチャー『Routing Lynn』(2014年)
ジョン・ブッチャー@横浜エアジン(2013年)
ジョン・ブッチャー+大友良英、2010年2月、マドリッド(2010年)
ジョン・ブッチャー+マシュー・シップ『At Oto』(2010年)
フレッド・フリス+ジョン・ブッチャー『The Natural Order』(2009年)
ジョン・ブッチャー『The Geometry of Sentiment』(2007年)
デレク・ベイリー+ジョン・ブッチャー+ジノ・ロベール『Scrutables』(2000年)
ジョン・ラッセル+フィル・デュラン+ジョン・ブッチャー『Conceits』(1987、92年)

●高橋悠治
姜泰煥・高橋悠治・田中泯(2008年)
姜泰煥・高橋悠治・田中泯(2)(2008年)
『富樫雅彦 スティーヴ・レイシー 高橋悠治』(2000年)