高野秀行『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』(講談社文庫、原著2012年)を読む。
他の国においてと同様に、日本には多くの外国人コミュニティがある。たとえば自動車工場の街にブラジル人が多く住んだり、「2000年問題」のときのIT対応として、成田や羽田に行きやすく金融機関にも東西線で行くことができる西葛西~行徳にインド人が増えてきたり。あるいは、沖縄人が集まる鶴見に、かつて移民としてブラジルに渡った沖縄人の子孫が住み着くようになったり。あるいは、「君が代丸」で出稼ぎにきていたコリアンが集まっていた旧・猪飼野に、さらに済州島から逃げてこざるを得なかった人々がたどり着いたり。そのようなもっともらしい理由が見つかる場合があるとはいっても、むしろ、同胞や仲間がいるから、特定の場所に集中するようになるという理由のほうが実態に近いように思える。
理由や経緯はどうあれ、それらのコミュニティでは、当然、他の日本とは異なる食文化が発達する。本書は、そのような場を訪れ、何を食べているのかについて体験したルポである。成田=タイ、神楽坂=フランス、館林=ムスリム・特にミャンマーの被弾圧民族ロヒンジャ、鶴見=沖縄とブラジル、西葛西=インド、下目黒=ロシア、あちこち=中国の朝鮮族、など。どこの事情を読んでも、日本にいると感じることが難しい同胞意識がコミュニティを形成せしめていることがよくわかる。そして、物語として理解しやすい「らしさ」もあったりなかったり。
新鮮なことは、たとえばタイ寺院、モスク、ロシア正教の教会、ヒンドゥー寺院など、信仰の場がコミュニティに欠かせないということだ。僧侶の大來尚順さんによると、日本の地方でも「駆け込み寺」的な文化は残っているというし、むしろ東京のドライな空間のほうが非人間的で異質なのかもしれない。
何しろ本書を読んでいると猛烈に腹が減ってくる。とりあえず、西葛西のインド料理店と、鶴見の沖縄とブラジルの料理店には足を延ばしてみようと思うのだった。
●参照
高野秀行『ミャンマーの柳生一族』
最相葉月『ナグネ 中国朝鮮族の友と日本』
朝鮮族の交流会
中国延辺朝鮮族自治州料理の店 浅草の和龍園
金賛汀『異邦人は君ヶ代丸に乗って』
藤田綾子『大阪「鶴橋」物語』