Sightsong

自縄自縛日記

オッキュン・リー+ビル・オーカット『Live at Cafe Oto』

2016-05-07 23:28:54 | アヴァンギャルド・ジャズ

オッキュン・リー+ビル・オーカット『Live at Cafe Oto』(OTOROKU、2015年)を聴く。OTOROKUはロンドンのCafe Otoによるレーベルである。700枚限定の180グラム重量盤LP。

Okkyung Lee (cello)
Bill Orcutt (g)

まずはオッキュン・リーのチェロが実に多様な音の貌を持っていることに驚く。音域が広く、流れるように滑らかであったり、突然摩擦係数が高くなって引っ掛かったり。ためらいの無さによるものなのか、異様な迫力さえも覚える。ファンタスティックである。

どうしても場を支配しているのがオッキュンのように感じられるのだが、その場において、ビル・オーカットのギターが、なにものかを突き通すように鋭く、またブルース的にも絡んでくる。それがまるで異文化の出逢いのようでもある。

Cafe Otoにはいちどだけ足を運んだことがある。その薄暗く、また親密な空間において、これが繰り広げられたのだと思うと、陶然とした時間であったに違いないと想像できる。今年(2016年)にはオッキュンが来日し、六本木のスーパーデラックスで演奏した。やはり親密で良い空間である。都合が悪くて目撃できなかったことが残念でならない。いつオッキュンのプレイに立ち会うことができるだろう。

●参照
エヴァン・パーカー ElectroAcoustic Septet『Seven』(2014年)(オッキュン・リー参加)
エヴァン・パーカー+オッキュン・リー+ピーター・エヴァンス『The Bleeding Edge』(2010年)
オッキュン・リーのTzadik盤2枚(2005、11年)


李鶴来『韓国人元BC級戦犯の訴え』

2016-05-07 19:41:26 | 韓国・朝鮮

李鶴来『韓国人元BC級戦犯の訴え―何のために、誰のために』(梨の木舎、2016年)を読む。

日本統治下の朝鮮において、「捕虜監視員」の軍属として南方に赴いた人たちがいた。応募したのではあっても、それは差別政策と皇民化教育のもとでのことである。かれらには「捕虜監視員」の実態も、ましてや、戦時中の捕虜の取り扱いを定めたジュネーブ条約についても、知らされることがなかった。

日本はジュネーブ条約を批准しないまでも「準用」すると対外的に告げていたが、その一方で、東條英機による訓令「戦陣訓」にあるように「生きて虜囚の辱めを受けず」と軍人に教え込んでいた。すなわち、「生きて虜囚」される捕虜は、適切に処遇する以前の存在であった。(このあたりは、内海愛子『朝鮮人BC級戦犯の記録』に詳しい。)

著者の李さんも、タイとビルマの間を結ぶ泰緬鉄道の建設のため、主に連合国軍の捕虜を派遣する役目を担った。行ってみると実感できることだが、森林や岩山や崖があって、大変な場所である。それにも関わらず、ごく短期間で、食糧も人手も足りない中で、捕虜たちは酷使された。約5.5万人の捕虜のうち、約1.1-1.6万人が亡くなったと言われる。したがって、「捕虜監視員」も加害の側に立っていたことには間違いがない。

しかし、である。朝鮮・韓国人のかれらは、祖国でもない日本の政策の末端を担わされたのであった。そして、戦後、ろくに検分がなされることもなく、かれらはシンガポールや香港の刑務所に収監され、死刑や有期・無期刑が処された。1952年のサンフランシスコ講和条約のあと、日本政府は、戸籍によって国籍を定めた(植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』)。すなわち、BC級戦犯とされた朝鮮出身者は、突然、国家補償の対象から外されてしまった。その一方で、罪は、日本国籍であったときのものだとされた。たいへんな不条理である。(その姿は、大島渚『忘れられた皇軍』においてもリアルにとらえられている。)

この不条理に対し、日本政府は、1965年の日韓基本条約ですべて解決済みだとして、極めて冷淡な態度を取り続けた(しかし、本書によれば、条約の協議のときに、この問題については考えないとする文書が後で発見されている)。「条理」に基づく補償要求を含む訴訟は、地裁においては「日本国民と同様に受忍せよ」、高裁においては「補償の立法が先である」、最高裁は棄却と、不当な判決を受けてきた。そしてなお、李さんたちは立法化に向けた運動を続けている。 

●参照
内海愛子『朝鮮人BC級戦犯の記録』(1982・2015年)
植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』(2013年)
泰緬鉄道(2011年)
罪は誰が負うのか― 森口豁『最後の学徒兵』(1993年)(ジュネーブ条約に言及)
大島渚『忘れられた皇軍』(1963年)
スリランカの映像(10) デイヴィッド・リーン『戦場にかける橋』(泰緬鉄道)(1957年)


カーラ・ブレイ+アンディ・シェパード+スティーヴ・スワロウ『Andando el Tiempo』

2016-05-07 12:16:26 | アヴァンギャルド・ジャズ

カーラ・ブレイ『Andando el Tiempo』(ECM、2015年)。待望の新譜である。昨夜入手して、何度も聴いた。

Carla Bley (p)
Andy Sheppard (ts, ss)
Steve Swallow (b)

哀しく、抒情的で、時間が不可逆的でありながらたゆたうような、カーラ・ブレイ音楽がここでも全面的に展開されている。

コードに乗せて、思索的に周辺の音を置いていくカーラ。アンディ・シェパードの透き通ったサックスが歌う中、ゆったりとスティーヴ・スワロウのベースが入ってくると、ぞくりとする。この人のベースはなぜここまでエロチックなのか。情感もここまで出せばもはや過激の領域である。

後半にいたり、微妙に喜びのムードもあったりして、「慢性的に泣きそうな」感覚をおぼえる。

●参照
カーラ・ブレイ+アンディ・シェパード+スティーヴ・スワロウ『Trios』(2012年)
カーラ・ブレイ+スティーヴ・スワロウ『DUETS』、渋谷毅オーケストラ(1988年)
アンディ・シェパード『Surrounded by Sea』(2014年)
キース・ティペット+アンディ・シェパード『66 Shades of Lipstick』、シェパード『Trio Libero』(1990年、2012年)
アンディ・シェパード、2010年2月、パリ
ケティル・ビヨルンスタ『La notte』(2010年)(シェパード参加)
アンディ・シェパード『Movements in Color』、『In Co-Motion』(2009年、1991年)
スティーヴ・スワロウ『Into the Woodwork』(2011年)
ケニー・ホイーラー『One of Many』(2006年)(スワロウ参加)
ポール・ブレイ『Homage to Carla』(1992年)
ポール・ブレイ『Plays Carla Bley』(1991年)
日野元彦『Sailing Stone』(1991年)(スワロウ参加)
アート・ファーマー『Sing Me Softly of the Blues』(1966年)(スワロウ参加)
ポール・ブレイ『Complete Savoy Sessions 1962-63』(スワロウ参加)


Timelessレーベルのジョージ・コールマン

2016-05-07 08:43:32 | アヴァンギャルド・ジャズ

Timelessレーベルの諸作が廉価盤で出ていて、ジョージ・コールマンが吹いている2作品を入手した。今まで、このレーベルのコールマン作品としては、『Amsterdam After Dark』(1978年)だけを持っていた。

シダー・ウォルトン『Eastern Rebellion』(Timeless、1975年)

Cedar Walton (p)
George Coleman (ts)
Sam Jones (b)
Billy Higgins (ds)

この鉄壁のメンバーで「Bolivia」とか「Naima」とか「Mode for Joe」を演って悪いわけがないのだ。こんなにサプライズも何もなしで安心してぬるま湯につかって酒を飲んでいるような気分で聴いていていいのだろうか。もはやコメのおにぎりである。

ブルージーで粒が立ったシダー・ウォルトンのピアノはなかなかステキである(そういえば、渡辺貞夫との共演盤もよかった)。村上春樹がたしか『スイングがなければ意味はない』において彼のピアノについて書いているはずだが、読んでいない。地味だとでも言っているのかな。

サム・ジョーンズのベースは、もともとそうではあるのだが、中音域を重くなくブンブンと録音していて、ちょっと物足りない。ビリー・ヒギンズのどや顔が見えるようなシンバルワークも同様。こういう演出や録音がウケていたのだろうか。

そしてジョージ・コールマン。コードに乗って実に巧みで渋いソロを取る。

同時期のライヴ映像(シダー・ウォルトン『Recorded Live at the Umbria Jazz Festival』)を持っているが、これがまたいいのだ。

ジョージ・コールマン+テテ・モントリュー『Meditation』(Timeless、1977年)

George Coleman (ts)
Tete Montoliu (p)

さすがにこのデュオになると、上のベタなハードバップよりも尖っている。テテ・モントリューのピアノは、期待通り、エッジが立っていて鮮やかである。それに対するいつもの懐の深いコールマン。こんなにマッチする演奏もなかなかないのではないか。

ところで、モントリューにとっては、アンソニー・ブラクストン『In the Tradition』に参加した数年後である。そこでもモントリューらしさが発揮されていて好きではあるのだが、当の本人はブラクストンの奇怪なプレイに対してどう思ったのだろう。引いたのか、喜んだのか、マイペースだったのか(マイペースに一票)。

●参照
シダー・ウォルトンの映像『Recorded Live at the Umbria Jazz Festival』(1976年)
アーマッド・ジャマル『Ahmad Jamal A L'Olympia』(2001年)(ジョージ・コールマン参加)
エルヴィン・ジョーンズ『Live at the Village Vanguard』(1968年)、ジョージ・コールマン『Amsterdam After Dark』『My Horns of Plenty』(1978、1991年)
マックス・ローチの名盤集(ジョージ・コールマン参加)