島袋純さん(琉球大学)の講演会「島ぐるみ会議の挑戦ー自治権拡大の国際的潮流の中で」を聴いてきた(2016/5/19、主催・反差別国際運動)。特に、独立性の強いスコットランドの政治がどのように成立し、それが、沖縄にとってどのような意味を持つのか、といったテーマである。
以下のような内容。(※文責は当方にあります)
欧州では、地域分権や地域での経済発展が成立しており、EUと地域政府とが直結する形ができている。特筆すべき成果は、スコットランドやカタルーニャにおいてみられる。
英国では1979年に小さな政府を指向するサッチャー政権が誕生し、民営化の推進により失業率が増加し、新自由主義的な急進的な政策により、地域の社会的連帯が破壊された。そういった負の成果は、フォークランド紛争(1982年-)におけるナショナリズムの高揚によりかき消された。サッチャーの保守党が不人気だったスコットランドでは、1989年に、「権利章典」を制定し、それに基づく基本法が、英国国会において認められた。すなわち、スコットランドという地域の人々が、独立を含め、権力機構を創出する自己決定権を持つということが、英国政府に認められた。これを認めたことは、英国政府にとっては失敗だった(キャメロン政権)。
このことがいかに重要だったか。外交やマクロ経済などを除き、ほとんどの権利が地域に移されることになったからである。先日の独立住民投票がどうあれ、既にスコットランドは実を得ていたわけである。
英国政府はなぜスコットランドの独立を認めたくないのか。それは、英国の核基地がグラスゴーの軍港だけであり(原潜)、それなしでは、英国は、アメリカの戦争に付き合うことで保っている国家的威信を失うからである。もちろんアメリカも困る。
近代において、政治的混乱なしで、民主的手続きを経て、無血で、国家の再編・離脱、新国家の建設が行われた事例はない。スコットランドのあり方は、少数派の主権獲得の新たなモデルたりうる。
以上のように、沖縄のあり方を、スコットランドを参照しながら検討していくことには大きな意味がある。新自由主義的に地域が抑圧されること、アメリカの軍事戦略の手段として使われていること、好戦的なナショナリズムによって地域の主権が無力化されることなどの類似点がある。
国連の国際人権規約(1996年)では、すべての人民(ネイションではなくピープル)が、国内での主権的な権限(内的自決権)と、分離独立し主権国家を形成する権利(外的自決権)を持つことを定めている。この規約を引用する形で、国連人種差別撤廃委員会は、日本政府に対し、沖縄における軍事基地の集中を含めた差別的政策に関する勧告を発した(2010年)。
もとより戦後、沖縄からは、日米の共謀により恒久的な軍事基地とすべく自決権が排除されてきた。サンフランシスコ講和条約(1952年)も、沖縄の代表者がいないところで決められたという点で無効である。
土地の占拠については特別法等でなされてきたが、憲法第95条では、特別法はその地域の住民投票において過半数の賛成を得なければ適用できないことを規定している。また、たとえば、新潟県巻町(旧)の住民投票(1996年)により、原発の建設が不可能となった(被爆66周年 8・6 ヒロシマのつどい(2))(条例に基づく住民投票)。しかし、沖縄では、名護市の住民投票(1997年)があったにもかかわらず、いまだ辺野古新基地の建設が強行されている。明らかなダブルスタンダードである。
日本では、戦後、憲法・立憲主義の血肉化に失敗してきた。これを再構築することが必要であり、その意味で、島ぐるみ会議の「建白書」が位置付けられる。
ところで、沖縄の基地の「県外移設」によって、地位協定や米軍基地の強引な存続が憲法違反であることが明白となるのかと言えば、現在の日本での問題意識の希薄さからみれば、そうはならず、ただの立憲主義の破壊に終わるだろう。したがって、「県外移設論」には賛成ではない。集団的自衛権と辺野古の新基地とは直結している。この動きの先には、自衛隊が米軍の統制下に入る構造が考えられる。そうなれば、日本の統制が利かないものとなっていくだろう。
●参照
島袋純さん講演会「"アイデンティティ"をめぐる戦い―沖縄知事選とその後の展望―」(2014年)
琉球新報社・新垣毅編著『沖縄の自己決定権』(2015年)