新宿ゴールデン街の裏窓で、西村卓也ソロ(2017/5/5)。
西村卓也 (b, vo)
渋いメロディー、ベースを揺らす音、伸びる音。店内がびりびりと震えた。
ライヴ後の話題は、7/8の渋谷毅+西村卓也+中尾勘二@ひかりのうま。
Fuji X-E2、XF35mmF1.4
新宿ゴールデン街の裏窓で、西村卓也ソロ(2017/5/5)。
西村卓也 (b, vo)
渋いメロディー、ベースを揺らす音、伸びる音。店内がびりびりと震えた。
ライヴ後の話題は、7/8の渋谷毅+西村卓也+中尾勘二@ひかりのうま。
Fuji X-E2、XF35mmF1.4
ギュンター・ハンペルがジーン・リーと共演した録音はいろいろと残されているようだが、わたしは以下の3枚だけを持っている。
どれを聴いても、ハンペルやウィレム・ブロイカーの多彩さと底知れなさ、愉快さ、それからリーの奥深いヴォイスにやられてしまう。
■ 『Gunter Hampel Group und Jeanne Lee』(Wergo、1968年)
Gunter Hampel (vib, fl, bcl)
Willem Breuker (bcl, ss, cotralto sax, ts, cl)
Arjen Gorter (b, harmonium)
Pierre Courbois (perc)
Jeanne Lee (voice)
西ドイツ、オリジナル盤LP。
A面からいきなり魅せられる。ウィレム・ブロイカーの曲「Leoni Antoinette」においては、ブロイカーの静かでいきなり吠えるケレン味たっぷりのカデンツァから、アリエン・ゴルターのベース、ハンペルのヴァイブ、ピエール・クルボワのパーカッションが同時に参入して次第にぐちゃぐちゃになってゆき、リーが歌い始め、さらにはハンペルのヴァイブがきらめく中にアリエン・ゴルターのハルモニウムが重なって興奮。アーチ―・シェップに捧げたリーのオリジナルでは、ゴルターのベースをバックにしたリーのヴォイスがあまりにも素晴らしい。「The Capacity of this Room」では、ブロイカーが騒ぐ中、リーが、この部屋のキャパシティは262人だと繰り返し呟き、あまりにも不可解な雰囲気を残す。
B面では、水、空気、火、土という四元素をモチーフにした曲がトリッキー(「Fire」でのブロイカーの咆哮にビビる)。最後の「Lazy Aftrnoon」における薄暗くどろりとした感じは何か。
■ ギュンター・ハンペル『the 8th of July 1969』(Birth Records、1969年)
Gunter Hampel (p, vib, bcl, compositions, lyrics)
Anthony Braxton (as, contra-bcl, sopranino sax)
Jeanne Lee (voice)
Willem Breuker (as, ts, bcl, ss)
Arjen Gorter (b, bass-g)
Steve McCall (ds)
3曲のボーナストラックが追加されたCD。
何といってもアンソニー・ブラクストンの参加である。アルトを吹いていても、コントラバスクラリネット、ソプラニーノサックスという奇怪なものを吹いていても、とにかく吹きだしてしまうほどブラクストンの音。一方でブロイカーもなにやらいろいろ試していて、このふたりが並ぶなんて凄い風景なんだろうなと想像する。
どの曲も面白いのだが、特に、途中で何度も同時に、ハンペルのヴァイブをはじめとした者たちが参入し、混沌の美を炸裂させる「Crepscule」が良い。
■ ギュンター・ハンペル『Cosmic Dancer』(Birth Records、1975年)
Gunter Hampel (vib, bcl, fl, p, steel drum)
Jeanne Lee (voice)
Perry Robinson (cl)
Steve McCall (ds)
西ドイツ、オリジナル盤LP(CDは出ていないのかな)。
A面最初から、ペリー・ロビンソンとジーン・リーのヴォイスが絡み合ってまたこれも素晴らしい。そのあとの「Mystic Pilgrimmage」では、なぜかハンペルのバスクラの息遣いがあらく、マイペースで唄うリーとのコントラストが面白い。やがてハンペルがピアノを弾き始め、見事に音風景が夕暮れのように一変する。そしてロビンソンがクラで入ってきて、多彩な音色を発する。最後のリーの消え入りそうな余韻もまた素敵。
B面では、最初の「Doorway to the Mikrokosmos」におけるクラとバスクラのみのへろへろとした絡みが愉快。木管2本というのは柔らかい木を触っているような独特な感覚があるのだな。しばらく静寂があって、スティーヴ・マッコールのドラムス。「Different Point of View」は息を潜めるような空気でハンペルのヴァイブ、やがてマッコールが参入し、硬いガラス面から水を鮮やかにはじきあげるような、実に見事なソロを叩く。その中でもハンペルのヴァイブは静寂さを身にまとっている。そして最後の「The Cosmic Dancer」では、ハンペルのスティールドラムやロビンソンのひしゃげたクラの音と、リーのヴォイスとが器楽的に奇妙な混然一体さを醸し出し、遊ばれている気分。
●参照
ウィレム・ブロイカーの映像『Willem Breuker 1944-2010』
ハン・ベニンク『Hazentijd』(2009年)
ウィレム・ブロイカーの『Misery』と未発表音源集(1966-94、2002年)
ウィレム・ブロイカーが亡くなったので、デレク・ベイリー『Playing for Friends on 5th Street』を観る(2001年)
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1985年)
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット(1979-86年)
レオ・キュイパーズ『Heavy Days Are Here Again』(1981年)
ウィレム・ブロイカーとレオ・キュイパースとのデュオ『・・・スーパースターズ』(1978年)
サニー・マレイのレコード(1966-77年)
昨日、写真家の海原修平さんから、陸田三郎『紅旗 271奇跡』(健真國際、2016年)という本を頂戴した。海原さんご自身もブログで紹介している。
もちろんこの中国製カメラの存在は知っている。同じ著者の『中国のクラシックカメラ事情』(2006年)においても紹介され、興味深く読んでもいた。しかし、実際に見たことも触ったこともない。本書のタイトルにあるように、271台しか製造されなかった希少なカメラである。
外観はライカM4とキヤノン7に割と似ている。本書によれば、横幅はライカM4の138mmに対し143mmと少し長く、重さもライカM4の560gに対し620gと少し重かったようだ。だがそんなことよりも、性能自体は大したものだった。わたしは見くびっていた。いま残るものはいまだ動作品が多く、ファインダーフレームはピント位置にあわせて自動的に動き(レンジファインダーは一眼レフと違い見えたものはそのまま写らない)、しかもライカMマウント。用意された35mmF1.4、50mmF1.4、90mmF2.0のレンズの描写は、ライカの同時期同スペックのもの(それぞれズミルックス、ズミルックス、ズミクロン)と変わらないほどのものだった。
さすがに、国を挙げて作られたカメラである。江青が1949年の中国建国から20周年を記念して開発、「ライカに負けないカメラを作れ」と指示したのだという。「紅旗」のロゴは毛沢東の筆。なお、日本がライカに追いつけ追い越せでコピーを作っていたのは、M型より前のバルナック型の時代である。しかし紅旗が開発されたころには、既に1954年のM3ショックを経て、一眼レフの時代に入っていた(このあたりは、神尾健三『ミノルタかく戦えり』にも詳しい)。その意味でも、極めて面白い歴史である。