神田小川町のみやら製麺には、職場から近いこともあって、ときどき沖縄そばやチャンプルーの定食を食べに行っている。そこになんと、八重山民謡の巨匠・大工哲弘さんが来るという。CD10枚組(!)の『八重山歌謡全集』を出したばかりであり、記念ライヴということだった。主催はそのオフノート/アカバナーの神谷一義さんと、音楽評論家・プロデューサーの藤田正さん。もちろん駆けつけないわけにはいかない。
大工哲弘さんの演奏を生で観るのは、板橋文夫さんとの共演を新宿ピットインで観て以来、20年ぶりくらいではなかろうか。
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この日は八重山の唄ばかりを取り上げるという変わった趣向であり、大工さんが、笛と太鼓のふたりとともに、唄い、爆笑トークを繰り広げた。店内は身動きできないほどの人で一杯。
「新ションカネー」、「与那国の猫小」、「いやり節」、「崎山節」、「ヒヤミカチ節」、「黒島口説」、「トゥバラーマ」。大工さんご自身が入力したというプリントを見ながら観客も唄い、「ゆんた・しょうら」、「こいなユンタ」、「まやーゆんた」、「安里屋ゆんた」。照屋林助の「あやかり節」。山之口貘/高田渡の「生活の柄」。最後は椅子を撤去して、「鳩間の港」などを唄いながら皆がカチャーシー。
鼻にかかったような大工さんの声は、張りもあって、独特で素晴らしいとしか言いようがない。間近で聴けて幸福だった。
大工さんのお話はどれも面白かったのだが、なかでも笑ったのは嘉手苅林昌のエピソード。一緒に与那国に向かう船の中で酒を飲み続ける林昌さん。「どれくらいお酒を飲んだんですか」「一升瓶を横にしてもこぼれないくらい」。
また、八重山の唄は、虐げられた者たちのブルースであり、唄の半分に「うりずん」(陽春)と出てくるのはその裏返しなのだと、大工さんは言った。
終わってから、神谷さんたちと飲みながら、貴重な話をいろいろ聞かせていただいた。竹中労を送る会がきっかけとなって、大工さんとのお付き合いがはじまったのだということ。川下直広さんの新しい演歌集のこと。原田依幸さんのかつての「KAIBUTSU LIVES!」のこと。昨年の「生活向上委員会」のこと。
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Fuji X-E2、XF35mmF1.4、XF60mmF2.4
●参照
板橋文夫『うちちゅーめー お月さま』(1997年)
大工哲弘『八重山民謡集』(1970年代?)