Sightsong

自縄自縛日記

フィル・ミントン+オッキュン・リー『Anicca』

2017-07-04 22:01:25 | アヴァンギャルド・ジャズ

フィル・ミントン+オッキュン・リー『Anicca』(Dancing Wayang、2009年)を聴く。350枚限定のLPである。

Phil Minton (voice)
Okkyung Lee (cello)

要するに、フィル・ミントンがヘンな声を出しまくり、オッキュン・リーが弦を擦るというものである。それにしてもふたりとも繰り出す技がデパートすぎる。従って要する意味はまるでない。

ミントンの声ときたら、心の底から純真に遊ぶようなスキャットもあり、喉から笛のような音を出したり、唸って何だかよくわからない倍音を出したり、朗々と民謡を唄うようであったりする。ときには異様に素早く動く。一方のオッキュン・リーは、チェロの胴体が破壊されるように全体がびりびりと不協和を起こしたり、弦の微分音でミントンのヴォイスと絡んだり。弦そのものが肌を持つ生き物のように艶めかしい。

そんなわけで、いちいち驚く。ナマで観るならいちいち痙攣するように笑ってしまうことだろう。

ライナーノートでは、クリスチャン・マークレイが書いている。なるほどね、というか、さすがの芸か。「You may recognize sounds like buzzing, shrieking, rustling, burping, spitting, plucking, gasping, vibrating, (この10倍くらい続く). But then again it will not sound like this at all. Words are powerless when it comes to describing what Okkyung Lee and Phil Minton are doing here.」

●フィル・ミントン
フィル・ミントン、2010年2月、ロンドン(2010年)
フィル・ミントン+ロジャー・ターナー『drainage』(2002年)
フィル・ミントン+ロル・コクスヒル+ノエル・アクショテ『My Chelsea』(1997年)
コクスヒル/ミントン/アクショテのクリスマス集(1997年)

●オッキュン・リー
オッキュン・リー+ビル・オーカット『Live at Cafe Oto』(2015年)
エヴァン・パーカー ElectroAcoustic Septet『Seven』(2014年)
アクセル・ドゥナー+オッキュン・リー+アキム・カウフマン『Precipitates』(2011、13年)
ジョン・エドワーズ+オッキュン・リー『White Cable Black Wires』(2011年)
エヴァン・パーカー+オッキュン・リー+ピーター・エヴァンス『The Bleeding Edge』(2010年)
オッキュン・リー+ピーター・エヴァンス+スティーヴ・ベレスフォード『Check for Monsters』(2008年)
オッキュン・リーのTzadik盤2枚(2005、11年) 


ニコラス・ペイトン『Letters』

2017-07-04 20:53:51 | アヴァンギャルド・ジャズ

ニコラス・ペイトン『Letters』(Paytone Records、2014年)を聴く。2枚組で発売直後はそれなりに高かったのだが、もうアウトレットのカゴに見つけることができるようになった。

Nicholas Payton (tp, p, Fender Rhodes, org, vo)
Vicente Archer (b)
Bill Stewart (ds)

前作の『Numbers』は、トランペットよりもフェンダーローズのほうを多用し、全体をダークな雰囲気でまとめたコンセプト・アルバムだった。そして本作では楽器をさらに増やしている。ときにはピアノトリオ、ときにはオルガントリオ。

ひとつひとつの曲は短く、完成度高くまとまっている。トランペットはどうなのかといえば、昔から変わらずエンジンの出力が半端なく大きいため、余裕を持って色気のある音が放たれている(90年代に来日して原朋直グループと対バンでやったときにはあまりの違いに驚愕してしまった)。この点ではジェレミー・ペルトよりも良いなとさえ思える。

しかし、なんでこんなに突破力が希薄なんだろう。サウンドのショーケースはもう要らないし、「BAM」という名のジャズに自らを押し込めることもないのだ。トランペットのトリオで1枚分厚いものを作ってくれればいいのに。

●参照
ニコラス・ペイトン『Numbers』(2014年)
ニコラス・ペイトン『#BAM Live at Bohemian Caverns』(2013年)