山田健太『沖縄報道―日本のジャーナリズムの現在』(ちくま新書、2018年)を読む。
戦後現在に至るまでの沖縄におけるひどい事件と状況を追いかけている者にとっては、本書で整理されている情報は言ってみれば復習である。しかし復習であっても、いかにひどいかをあらためて思い知らされる。沖縄は日本にとってそのような場所であり続けてきた。
では報道はどうか。数字で事件ごとの報道量を示されると一目瞭然である。日本、とくに産経や読売は、都合の悪いことをほとんど報道せず、都合のよいことが起きると急に情報量を増やしている。政府がメディアへの介入のタテマエに使う公平で客観的な報道など、最初からないのである。もっと広く言えば、「数量平等原理」が報道においても教育においても悪用されている。
そのような中で、沖縄において琉球新報と沖縄タイムスという二大紙が存在することが如何に健全なことか、よくわかる。そしてそれゆえに、沖縄のメディアはおかしな政府の動きに極めて敏感であり続けている。
「沖縄が「闘っている」ものは、かつては米軍であり、国民の無関心であったといえようが、いまは日本政府であり、本土の偏見であり、そして県民の亀裂にかわってきている。」
「ジャーナリズム倫理として、「公正さ」は大切な基準であるといえ、その公正さとは、真ん中をさすのでも中庸をさすのでもなく、むしろ社会に埋もれがちな小さな声を拾うことや、弱い者の側に立つことを指す概念だからだ。これからすると、沖縄二紙の紙面編集方針が、公正さを実践する報道であることがわかるのであって、「偏向」報道批判は誤った解釈に基づくものといえる。」
●参照
森口豁『紙ハブと呼ばれた男 沖縄言論人・池宮城秀意の反骨』(1995/2019年)
島洋子『女性記者が見る基地・沖縄』(2016年)
三上智恵・島洋子『女子力で読み解く基地神話』(2016年)
島洋子さん・宮城栄作さん講演「沖縄県紙への権力の圧力と本土メディア」(2014年)