森口豁『紙ハブと呼ばれた男 沖縄言論人・池宮城秀意の反骨』(彩流社、1995/2019年)を読む。
沖縄には「紙ハブ」と呼ぶ慣わしがあった。新聞で噛みつく人という意味である。そして本書初版時の題名は『ヤマト嫌い』であった。すなわち、池宮城秀意という人は、明治から戦前までの抑圧された沖縄、捨て石にされた沖縄戦での沖縄、施政権返還の前も後も米軍基地を押し付けられる沖縄に生き、ヤマト(日本)の醜さを見出し続けた言論人なのだった。
ジャーナリストがジャーナリストを対象とする書物はさほど多くはないだろう。しかしそれだけに、池宮城の功績も、弱く汚い部分も、隠すところなく描いている。本書を読む者は森口豁というふたりの眼をもって沖縄を視ることになる。(いや、さらに高校時代から豁さんと付き合いのあった金城哲夫の眼もある。)
今回わたしにとって発見がふたつあった。
ひとつは、戦前、「アカ狩り」と並行して「ユタ狩り」も行われていたことだ。ユタたちは、天皇制に支えられた国家主義的な精神統制に対して批判的であった。もとよりユタも琉球王国において聞得大君を頂点とする宗教的・精神的ネットワークの中に位置付けられる存在なのだと思うが、国家との関連であっても、ユタは民間信仰に支えられていたということである。
もうひとつは、「琉球新報」がアメリカ・日本の影響のもとかなり保守的だった時代もあったのだということだ。池宮城はいちどはそのために追放され、戻って社長になってから「沖縄タイムス」との統合話を進めている(頓挫)。また大学を中退し沖縄に渡った豁さんをあたたかく受け入れてもいる。この人がいなければ、沖縄をめぐるジャーナリズムもまた違う形になっていたのかもしれない。
●森口豁
『アメリカ世の記憶』(2010年)
『最後の学徒兵』(1993年)
『沖縄 こころの軌跡 1958~1987』
『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』(1979、80年)
『毒ガスは去ったが』、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1971、79年)
『沖縄の十八歳』、『一幕一場・沖縄人類館』、『戦世の六月・「沖縄の十八歳」は今』 (1966、78、83年)
『乾いた沖縄』(1963年)