Sightsong

自縄自縛日記

リロイ・ジョーンズ(アミリ・バラカ)『根拠地』 その現代性

2009-11-14 00:39:21 | 北米

『根拠地』(せりか書房、原著1966年)は、リロイ・ジョーンズ(のちのアミリ・バラカ)が60年代前半にアジテートした、黒人としての怒りに満ちた記録である。原題は『Home』、赤軍による国際根拠地論などを意識しての翻訳だろうか。北朝鮮を革命の根拠地と信じてよど号が乗っ取られたのが1970年、日本赤軍がパレスチナに向かったのが1971年、本書が翻訳された1968年はおそらく新左翼運動のピーク前後にあった。

ここでの「Home」とは、最初にジョーンズによる訪問記があるキューバ(30代のフィデル・カストロの描写は魅力的だ)は勿論だが、自分たちの住む米国そのものをこそ意味しているだろう。黒人の公民権運動が火を噴いた時代である。

しかし、ジョーンズのスタンスは、キング牧師に代表される「非暴力」の標榜とはまったく異なっている。彼に言わせれば、貧困でない「中産階級」の黒人たちや「白人寄り」の黒人たちの言動は欺瞞、偽善なのである。非暴力についても、黒人が抑圧されることのない社会の実現には貢献しないものとして、容赦なく批判する。何故なら、如何に非暴力が善意と信念に基づくものであったとしても、非対称の信念であるから、ゴールには決して到達しないから、であった。

「そして、あの《消極的抵抗》の叫びが、共通の社会的活動という言葉に移しかえられるとき、その意味するところは、きわめて簡単である。すなわちこうだ、「これまで通りにやりなさい。そうすれば、白人に何らかの奇蹟が起って、みなさんの苦しみが偶然であったこと、そして結局は、甲斐あるものであったことを、きっと証明するのだから。」

「黒人は、白人社会内の相対立する勢力によって絶えずその境界を限定し直されてきたところの、アメリカ社会の特定の場所に存在しているので、非暴力と消極的抵抗とは、それらの勢力のなかの最強の分子、つまり生まれつき伝道者的な工業・自由主義的分子によって認められたものとしての黒人の地位の現代における境界再確定の反映であるにすぎない。」

「ともかくも人間なるものは、たいていの場合黒人たるものは、《自由に向って前進しなければならない》という名目主義の偉大な格言のひとつ(この格言は人種差別的な新植民主義の最悪の連中たちによってはじめられた)を、いそいそと支持するのもまた、スカイラーのような人間である。ともかくも人間なるものは、《独立、あるいは民族自決のための用意が整っている》ことを示さなければならないという格言である。人は、自由であるか、もしくは自由でないかのいずれかである。自由を獲るための見習修行といったことはありえない。」

勿論、この書は現在に向けてのアジテーションではないし、いま本書を読むことは、歴史を読むことに他ならない。現在の「非暴力」を、変革を望まない態度だと断ずることもできないだろう。それでも、想像力を働かせるならば、現代に訴える精神性は大きいように思われてならない。

当時の黒人が権力構造のマージナルな域にあったとすれば、いまの日本におけるそれは何か。折りしも成果が披露されたばかりの、日米首脳による曖昧なスピーチを聴いて、ついこの間流行した「チェンジ」という言葉を思い出すことができるだろうか。

「かつて、ナット・コールが言ったように、「あなた方の話には大いに感動されます。しかし、嘘みたいに聞こえますね。」」

●参照
ビリー・ハーパーの新作『Blueprints of Jazz』(アミリ・バラカ参加)


テンギズ・アブラゼ『懺悔』

2009-11-13 00:57:55 | 北アジア・中央アジア

去年見逃していたグルジア映画、テンギズ・アブラゼ『懺悔』(1984年)だが、幸運にもDVD発売記念の試写会に行くことができた。ちょっと仕事のしすぎで偏頭痛がひどく、辛かったのではあるけれど。アップリンクには15人くらいしか来ていなかった。

地方都市の市長ヴァルラムが死ぬ。彼は独裁者であり、味方が3人いれば敵は4人とするような脅迫感に駆り立てられた独裁者であり、粛清を繰り返していた。地勢的にはスターリンを、チョビ髭はヒトラーを思わせる彼は、音楽を愛するユーモラスな人間でもあり、また考えすぎる弱者でもあった。(ところで、妄想だけマッチョ志向の為政者がもっともタチが悪いことは、最近の日本の政治を見てもよくわかる。)

ヴァルラムの遺体は、毎日墓から掘り起こされる。それは、他の人のように墓に眠ることを許せないと思った、両親を粛清された娘による確信犯であった。その両親も、ヴァルラムの市長就任演説で窓を閉めたという理由だけで目を付けられていた。夫の逮捕後、ヴァルラムに気に入られた妻は、娘から引き離され、その後死んだということだけが知らされる。

東欧でもアフリカでもアジアでもそのような記憶のある今となっては、典型的な独裁者の姿である。スターリンや誰かとのアナロジイで観るというよりは、別の面でこの映画の価値があるだろう。

ヴァルラムの息子は、父親の罪を認識できず、両親の粛清から生き残った娘の告発に激怒する。その息子は、祖父の罪を初めて知り、父親の態度を詰った挙句に自殺してしまう。過去に向き合うことのできない者たちの背負う十字架である。

頑迷なヴァルラムの息子といえど、法廷では動揺し、幻を見る。真っ暗な洞窟のようなところで、魚を素手でむしゃむしゃ喰う神父に懺悔をする。良いことと悪いこととの区別がつかなくなったのです、と。お前は自分の罪を認めたくないのだ、怖いのだ、と、神父に指摘されて激昂したところで、まだ汗だくで法廷に座っている自分を発見する。唐突に白昼夢が挿入される大胆な手法は、ルイス・ブニュエルのそれである。

邪なもの、醜いものがさらけ出される恐ろしさ。今までグルジア映画といえばセルゲイ・パラジャーノフしか知らなかったが、アブラゼのような存在があったとは驚きだ。


チェコ・ジャズ入門

2009-11-12 00:05:12 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジャズ評論の岡島豊樹さんが、「チェコ・ジャズ入門」という講演をされるというので、チェコ大使館のチェコセンター東京に足を運んだ。当方の知識はほとんど皆無に近い。岡島さんは、どこで見つけたのと笑っていた。パワーポイントで説明しながら音源を聴かせる形。

1968年のプラハの春とソ連の軍事介入以降、1989年のビロード革命まで、チェコにおいては東側の共産党政権が支配していた。しかし、独自のジャズは生き続けていた。

イジー・スチヴィーン フルート、サックス、リコーダー。演奏技術のレベルはかなり高い。正統的なフルート・ソロを聴かせるかと思えば、曲によっては脱線しまくる。

エミル・ヴィクリツキー ピアノ。ボヘミアがビールを好み、音楽にはハーモニーを求めるのに対し、モラヴィアはワインと古代旋法だと言ったとか。ジョージ・ムラーツ(この人もチェコ出身)のアルバムで演奏している「ポプラの葉」や、イヴァ・ビトヴァのヴォイスと共演する「あの山を越え森を越えて」はモラヴィア民謡であり、哀しく、魅力的。

カレル・ヴェレブニー ヴィブラフォン、サックス、ピアノなど。人形劇に音楽をつけた「神経症の犬と歩けば」、「マリアム」は、キーワード「ミスター創意工夫」とあるように、何やってるのと笑いたくなるくらい色々ぶち込んでいる印象だ。『SHQ』(ESP、1968年)は、盤の存在は知っていたものの、あまりにもジャケットが禍々しいので手を出さなかった。スチヴィーンのアルトサックス・ソロ、ヴェレブニーのテナーサックス・ソロと続き、これも面白い。プラハの春、ソ連介入前の時期であり、米国ESPレーベルに売り込んで出したとはいえ、こんなふざけたジャケットの作品を出すことが愉快だと捉えるべきだった。なお、ヴェレブニーはビロード革命を目前にして、1989年に亡くなっている。


ESPのカタログだけは大事に取っている

ところで、チェコにおいて著書がすべて発禁となりフランスに逃れた作家ミラン・クンデラは、『冗談』(1967年)の中で、ジャズやモラヴィア民謡に関する解説を行っている。自分もジャズ・ファンのつもり、クンデラの少しファンのつもりだったが、まったく覚えていなかった(笑)。もう1回読む動機ができた。

●参照
ミラン・クンデラ『不滅』
エルヴィン・ジョーンズ+ヤン・ハマー(この人もチェコ人だった)


エルメート・パスコアールのピアノ・ソロ

2009-11-10 00:48:04 | アヴァンギャルド・ジャズ

ブラジルの音楽家、エルメート・パスコアールが好きで、全部ではないものの、目についたレコードやCDは集めている。サックスもフルートも、ピアノも、珍妙な打楽器も、声も、動物も、すべてエルメートにとっては一様に表現の手段でしかない。来日時、金物屋の店先で演奏に使えるものを試し始めて店主を吃驚させたとか、ステージ上で共演したナベサダを困惑させまくったとか、逸話はいろいろある。そんなエルメートの(たぶん)唯一のピアノ・ソロによるアルバムが、『por diferentes caminhos』(SOM DAGENTE、1988年)である。LP 2枚組で、結構レアではないかと思うが、よくわからない。

哀愁を溢れさせながら祝祭のようにはしゃぐ、というのがエルメートの特色で、他にこのような底知れないエネルギーに満ちた人はいない。ただ、これはピアノ・ソロである。楽しさも哀しさも孕んでいながら、何だか、冷たくて旨い水を飲むような気分だ。ファンタスティック。

エルメートの名曲はいくつもあって、矢野顕子が『エレファント・ホテル』でカバーした「Pipoca」も忘れられないが、このアルバムで演奏している「Leo, Estante Num Instante」もひたすら楽しい名曲である。ただ、ここではタイトルは「Sintetizando de Verdade」となっているが、きっと同じに違いない。ひたすらジャンプする16分音符で埋め尽くされ、フォークソング的でもあり、ジャズ的でもある。時によれたかと思うと変な方向に走り出し、ひとしきり踊った後に元に戻ることの快感がある。

この曲は、知っている範囲では、ミシェル・ポルタル(バスクラリネット)とリシャール・ガリアーノ(アコーディオン)が組んで2回吹き込んでいる。リシャール・ガリアーノ『Laurita』(Dreyfus、1994年)では、この2人にパレ・ダニエルソン(ベース)、ジョーイ・バロン(ドラムス)が加わり、ジャズ色が強くなる。ただ、曲の楽しさという意味では、2人だけのデュオによる、ガリアーノ=ポルタル『Blow Up』(Dreyfus、1996年)の方に軍配を上げたい。本当に元気の出る演奏とはこのことで、ポルタルの技術にも唖然とさせられる(この人はバンドネオンも凄く、かつて目の当りにしたときには口を開けて聴いてしまった記憶がある)。

エルメートのピアノソロでは、弦の上に何かタンバリンのようなものを置いて、プリペアド・ピアノ様にしている。つまりこれも、随伴する演奏者がもうひとりいるようなのだ。何度聴いても素晴らしい演奏である。

アルバムには、もうひとつ聞き覚えのある曲「Bebe」が収録されている。曲作りの上手さ、というより、これは音楽への愛情なんだろうなと手放しで誉めてしまうが、実際そうに違いない。


「Bebe」が収録された『A Musica Livre de Hermeto Pascoal』(Verve、1973年)

エルメートは何年か前に来日した。嬉しかった。その前には、もう来るのは無理だろうなんて言われていたから、もう無理だろうねなどとは言わないが、やっぱりもう観ることはできないかな。


仲宗根政善『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』、川満信一『カオスの貌』

2009-11-08 21:58:08 | 沖縄

古本屋で、仲宗根政善『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』(角川文庫、1982年)を105円で見つけて読む。表紙は、今井正による『ひめゆりの塔』リメイク版のスチルだろう。

著者は、引率教師として、沖縄戦の末期にひめゆり学徒と行動を共にしている。本人の他に、生き延びたひめゆり学徒の手記を織り交ぜており、そこには、文字通りの地獄を見ざるを得ない。米軍の機銃や爆弾だけでなく、常に言われているように、日本軍の存在が地獄を創り出していた。住民を壕に入れない、食糧調達が上手くないと言って殴る、現地召集された息子の行き場所を尋ねた住民をスパイ容疑で銃殺する、米軍に投降する住民を後ろから撃ち殺す、そのような醜さが、証言として記されている。

「南風原陸軍病院壕にいたときから、満州から戦いに疲れて転進し、人間性をすっかり失い、獣欲にうえた兵隊のみにくい姿をいやというほど見せつけられた。看護のつらさや、砲弾よりもくされきった兵隊のほうがもっとこわかった。」(女学生の手記)

著者は、学生たちを守ることができないことへの贖罪の念を何度も記している。しかし、戦争という状況に置かれた教師の行動という点にとどまらず、その状況を生んだものへの視線は、ゆれ動いて固まることがない。「一少女の自決、それは美しい話にちがいない。しかし美しい話のみが真理であろうか。」と悩むように、「殉国美談」の否定さえも、徹底してはいない。手記は、その事実が起きたときの言動や心理を書くものではあるが、書くときの心理も曖昧に紛れ込む。その意味で、著者にも、女学生たちにも、皇民化教育が楔となって打ち込まれていたことを思い知らされる。美しいからこそ映画になり、後世の者の心に残るのだとしても、その美しさは容易に別の文脈に乗ってしまう。

「制服をまとって安らかに眠っている姿を見ていると、私は深い敬虔の念にうたれた。勇士とともに制服の姿で死出の旅立ちをする。その胸には靖国神社が美しく描かれているのであろうか。」

「「先生すみません」とのどもとでくり返し、頭をたれて、あやまっている彼女の目は、殉じていく至情に、美しく輝いていた。」

「あの場合はしかたがなかったと、いくらいいわけをしてみても、それはいいわけにはならない。自分を社会からひき離し、戦争からひき離して考えたときのいいわけで許されるべきことではない。日本国家全体が犯した罪が、具体的には自分を通じてあらわれたのである。環境がしからしめたということが、どれほど罪を軽くしうるであろうか。」

川満信一は、個人誌『カオスの貌』(6号、2009年)において、仲宗根政善への追悼文を掲載している。琉球大学で、国語学を師事したのだという。当時、文学の中からのみ沖縄戦への言説を発する師に対し、川満は苛立ちを感じていた。その消極性、あるいは、静かさについて、追悼文ではある着地点を見いだしているようだ。

「鉢巻締めて、「ヌチドゥタカラ」と、空疎なはやり概念を叫ぶより、乙女の魂が累々とひしめく暗い死の淵を、心の現実として見つめ続けた師の、戦後の生き方は、むしろ良しとすべきかも知れない。出来れば、戦時下の皇国教師として、生徒たちにどのような忠魂愛国のイデオロギーを指導したのか、指導しなかったのか、散文的自己断罪も、と思うのだが、贖罪と祈りの中で静かな優しさを生きた師の魂に、あえて喧騒を持ち込む愚は避けねばなるまい。
 誰だって、完ぺきに、非のうちどころなく生きることは不可能なのだから・・・・・・。」

本誌には、島尾ミホ岡本恵徳への追悼文も掲載されている。

島尾ミホについては、石牟礼道子との対談『ヤポネシアの海辺から』を読んで、選ばれし作家であることを納得している。そして「柳田民俗学をはるかにこえていく南島シャーマンの、研ぎすまされた観察眼」とまで表現している。ここでは、柳田國男について、魂よりも政治がその世界を覆っていると評価しているのだろうか。

●参照
『ひめゆり』 「人」という単位
岡本恵徳批評集『「沖縄」に生きる思想』
島尾ミホ・石牟礼道子『ヤポネシアの海辺から』
島尾ミホさんの「アンマー」
村井紀『南島イデオロギーの発生』


松井正文『カエル―水辺の隣人』、科学映像館『かえるの話』

2009-11-05 00:19:41 | 環境・自然

松井正文『カエル―水辺の隣人』(中公新書、2002年)を気分転換に読む。幼少時には田舎に居たので、カエルと生活空間で共存するのは当然であったし、近くの小川ではカエルの卵をよく見た。オタマジャクシも素手で捕まえていた(と、ここまで書いて、力加減を調節できなかったためのイヤ~な想い出が脳裏に甦った。あああ!)。一方いまでは、街に暮らしていて、普段はカエルを見ることがまずない。去年ヴェトナムで食べたカエルは旨かったな、という程度。たいへんな落差だ。もちろん子どもの成長にはそんな里山のほうがいいに決まっている。罪深き大人で申し訳ない。

気軽に読んだ本書だが、実は結構な奇書だ。系統的にカエルの種類や特徴を説明してはいるものの、あまりにも多様であるため、それぞれ異なるカエルのことを、嬉しそうに、憑かれたように、話し続けている感じである。カエルを語らせるにはカエル狂いに限る、といったところか。

ヒキガエルは、自分の生まれた池までの道筋の臭いを覚えており、毎年、自分の生まれた池に集まる。
タゴガエルは、地下を流れる伏流水に卵を産む。5月の繁殖期、京都の東山では、渓流の岩の隙間や穴の中で鳴くため、声はすれども姿が見えない。
ツチガエルはアリをよく食べる。捕らえると放つ、毒性が高く嫌な臭いの粘液は、アリをもとにしてつくられている。
○石垣島のハナサキガエルは、大型と小型の2タイプに分かれている。どうやら、最初分化して別々に島に侵入し、お互いが生きていくために分化の程度を高めたらしい。
○西表島のアイフィンガーガエルは、オタマジャクシのときに母親の肛門を付いて刺激し、無精卵を産み出させて、それを食べて育つ。
○南米のソバージュネコメアマガエルは、乾燥しないよう、皮膚から液体を出し、手足で体になすりつける。これがプラスチックの服になり、完璧な防水加工となる。
アフリカツメガエルは、年中産卵が可能であり、誘発するホルモンを注射すれば、卵を産ませることができる。妊婦の尿にはそのホルモンが含まれるため、妊娠判定に使われていた。
○オーストラリアのカモノハシガエルは、雌が受精した卵を飲み込み、オタマジャクシは母親の胃の中でしばらく過ごす。母親は消化しないよう1月半の間、飲まず食わず。そして母親の口のなかまで出てきて変態し、子ガエルになり、ジャンプして外界に旅立つ。
○アフリカ産のヒキガエルには、卵を対外に生み出さない、哺乳類のような胎生の種類もいる。

と、ごく一部でもこんな具合である。ちょっとカエルを食べたくなくなるが(どうせそんな機会はあまりない)、身近に感じられることは確かだ。

科学映像館が配信している無声映画『かえるの話』(1938年、十字屋)(>> リンク)も、カエルを身近に感じさせてくれる作品である。春のヒキガエルの産卵、アカガエルの産卵。水田の畦道に卵が産みつけられ、やがて卵塊から多数のオタマジャクシがでろでろと外界にデビューする。その後、アオガエルが小川べりに産卵。モリアオガエルは木の上に産卵する。

モリアオガエルの名前は、その特殊な産卵習性のために広く知れ渡っているようだ。本州では地域によっては多いが、四国や九州の記録は疑わしく、何度も探しに行くのだが、見つけたことがない。特殊な産卵習性とは、木の上に白い泡状の卵を産むことである。あまりに有名なので、天然記念物とされている地方もあるが、決して珍しいカエルではなく、京都市内では金閣寺や銀閣寺にもたくさんすんでいる。
 大きなアマガエルという感じのカエルで、とくに雌は雄にくらべ著しく大きく、雄では平均体長が57ミリメートルなのに、雌では72ミリメートルもある。足だけでなく、手の指の間にもみずかきが比較的よく発達しており、これを木登りに役立てる。4月から7月頃、池や水田、ときに防火水槽の近くからさえ、カララ・カララ・・・・・・コロコロと鳴いて雌を呼ぶ雄の姿が見られる。
」(上述書)

戦前の映像であり鮮明ではないが、たとえばモリアオガエルにしても、水かきをひけらかしながら木登りをする姿も、泡の卵も、よく見ることができる。それに何と言っても、田んぼや、コンクリートで覆われていない小川の様子は、本当に嬉しいものである。

●科学映像館のおすすめ映像
『沖縄久高島のイザイホー(第一部、第二部)』(1978年の最後のイザイホー)
『科学の眼 ニコン』(坩堝法によるレンズ製造、ウルトラマイクロニッコール)
『昭和初期 9.5ミリ映画』(8ミリ以前の小型映画)
『石垣島川平のマユンガナシ』、『ビール誕生』
ザーラ・イマーエワ『子どもの物語にあらず』(チェチェン)
『たたら吹き』、『鋳物の技術―キュポラ熔解―』(製鉄)
熱帯林の映像(着生植物やマングローブなど)
川本博康『東京のカワウ 不忍池のコロニー』(カワウ)
『花ひらく日本万国博』(大阪万博)
アカテガニの生態を描いた短編『カニの誕生』

●カエル・ジャズ
ロル・コクスヒル『Frog Dance』
マッツ・グスタフソン+バリー・ガイ『Frogging』


天児慧『巨龍の胎動』

2009-11-03 23:04:10 | 中国・台湾

天児慧『巨龍の胎動 毛沢東vs鄧小平』(講談社、2004年)は、文字通り、革命、建国から現在に至るまでの中国の歴史を、毛沢東と鄧小平という巨大な政治家の動きを通じて描いている。あらためて追いたいところだったので、非常に興味深く読むことができた。

社会主義国家、そして中国という壮大な社会実験を主導し、死後もなお影響を及ぼし続けている、この2人の存在を追ってしまうと、もうこのような政治家は現われないのではないかとさえ思われてくる。現在ですらそうなのであるから、情報が伝わらず文化大革命が「偉大な革命」として脚光を浴びたという同時代において、毛沢東の存在感は凄まじいものであったのだろうなと想像する。

著者は、毛について、具体的な敵がいればきわめて冷徹に辛抱強くなれたのだが、目に見えない政治という目標に対しては得意でなかったという。毛は人間の主観的な頑張りや能動性に過度に依存した。そのような精神性が、大躍進政策や文革の破綻、党内部の闘争を生み出した一因だとしても、日本や西側には、「魂に触れる革命」として受け入れられることにもつながったのだろう。それにしても、政敵たちを利用し、追い落として行く毛の策士ぶりはもの凄い。

鄧小平は一貫して毛の弟分であった。失脚時の処分緩和にも、復活にも、毛の意向が強く働いていたようだ。鄧の経済開放政策は毛とはまったく異なるものの、あまりにも手堅い権謀は毛の姿と重なっている。毛は紅衛兵を文革時奪権の段階で利用し、後で切り捨てた。そして鄧は華国鋒グループとの闘争時に民主活動家の主張を擁護したにも関わらず、危険な対象と見なし、後の第二次天安門事件では戦車で押し潰した、というように。

鄧の進めた国づくりの路線は、手の付けられない大国を生み出してしまっている。いま誰と話しても、今後は中国の世の中だ、中国には絶対に叶わない、という言葉が出てくる。もちろん私も本気でそのようなことを口にしている。一方では、格差(日本とは比べようもない格差社会である)、環境、少数民族などあまりにも危ういところに立っているのであって、マクロ的な成長優先のビジョンをじわじわと転換しなければ、何らかのカタストロフの姿が見えてきそうな気がする。

本書では、胡耀邦趙紫陽の失脚に至るプロセスについても見せてくれている。英語版が敢えて先に出て、後に中国語版も出た趙紫陽の手記(もちろん中国の大書店では目にしない)の日本語訳を、早く読みたいところだ。なお、第二次天安門事件の直前における動きは、加々美光行『現代中国の黎明 天安門事件と新しい知性の台頭』(学陽書房、1990年)に詳しい。

著者は随分と楽観的であるようだ。たとえば、国民の平和意識が戦後根付いたため、日本の再軍国化はありえないと断定しているが、これはどんなものか。

それは置いておいても、台湾と中国との関係については、歴史を辿ることで決着点を見いだせるはずだとする主張は、確かに示唆的だと感じた。孫文のビジョンにまで遡り、国民党と共産党とは「憎しみ合い戦い合いながらも、「対話のできる相手」」なのだと説いている。

「ロシアからコミンテルン代表のボロディンを国民党最高顧問に迎え、中央執行部への権力の集中、赤軍に相当する国民革命軍の建設と軍官学校の設立など、かなりの点でソ連型革命組織を模倣した。それ故、中国共産党と中国国民党は、共産主義と三民主義を「母」とし、ボルシェビキを共通の「父」とする「異母兄弟」としても過言ではなかった。」

●参照
『情況』の、「現代中国論」特集
加々美光行『現代中国の黎明』 天安門事件前後の胡耀邦、趙紫陽、鄧小平、劉暁波
加々美光行『中国の民族問題』
竹内実『中国という世界』
中国プロパガンダ映画(3) 『大閲兵』


ウィレム・ブロイカーとレオ・キュイパースとのデュオ『・・・スーパースターズ』

2009-11-01 23:23:34 | アヴァンギャルド・ジャズ

ウィレム・ブロイカーの活動は、奇怪で猥雑な(勿論、誉め言葉である)グループ「コレクティーフ」でのオーガナイザーとして専ら評価されている。サックスなどマルチ・インストルメンタリストとしての実力について、誰かちゃんと書いているのだろうか。もっとも、私もそもそもブロイカーの音楽をそんなに多く聴いているわけではない。

それでも、ギュンター・ハンペル『ミュージック・フロム・ヨーロッパ』(ESP、1966年)でのバスクラは魅力的であるし、コレクティーフのピアニストを務めたレオ・キュイパースとのデュオ作『・・・スーパースターズ』(FMP、1978年)も好きなLPだ(CDが出ているかどうか知らない)。タイトルからしてすっとぼけている。

ここで、ブロイカーは7種類の管楽器を吹く。ソプラノサックス、アルトサックス、テナーサックス、Bフラット・クラリネット、Eフラット・クラリネット、バスクラリネット、リコーダー。最後のリコーダーは電子機器ではなく縦笛のリコーダーである。このソロがなかなか傑作で、音をよれよれさせながら終えたところで大きな拍手が起きている。また、あからさまな剽窃が頻発し、ベートーヴェンの「第九」さえ登場する。B面最初の曲「THERE'S NO BUSINESS AND SO ON」は、ミュージカル「THERE'S NO BUSINESS LIKE SHOW BUSINESS」(ショウほど素敵な商売はない)のパクリであり、ブロイカーとキュイパースが声を揃えてハモったかと思えばすぐに自分の楽器に戻り、爆笑させられてしまう。この曲は、チャーリー・パーカー「ナウズ・ザ・タイム」で締めくくられる。最後の曲は「カーク」と題され、なんとブロイカーがローランド・カークばりに同時に2本のサックスを吹いてみせる。

ふざけたものを軽いものとしか捉えられない、シリアスな演奏こそが王道だと思っているようなジャズ・ファンは多いだろうから(勿論、批判である)、これも傑作として扱われる機会は少ないかもしれない。しかし、これだけの楽器を余裕しゃくしゃくで吹きこなすブロイカーは凄いと思うのだ。5年ほど前に、コレクティーフをライヴで観たときは、構成とそれに反するアナーキズムとの共存、ブロイカーのソロの疾走に、この爺は凄いなと印象付けられたのだった。

もっとも、ブロイカーならではのサックスの音色はと言われると、よくわからない。


ライヴのときに変なポストカードを貰った