Sightsong

自縄自縛日記

『グリーン資本主義』、『グリーン・ニューディール』

2010-01-13 22:31:18 | 環境・自然

佐和隆光『グリーン資本主義 グローバル「危機」克服の条件』(岩波新書、2009年)、寺島実郎・飯田哲也・NHK取材班『グリーン・ニューディール 環境投資は世界経済を救えるか』(NHK出版、2009年)。

基本的にこのブログでは、仕事に関連するものは採りあげないのだが(気分転換にならないから)、これらは割に面白かった。前者は、異を唱えたいところはあるが、一本筋が通っており気持ちが良い。後者は、テレビ取材の成果として書かれたものであり、テレビの常として、見たいところだけを、いかにも興味深そうに書いている面は多々ある。

温暖化陰謀論などを読んで斜に構えている暇があるならこれを。

 


イ・ジェハン『サヨナライツカ』

2010-01-12 23:59:16 | 東南アジア

イ・ジェハン『サヨナライツカ』(2010年)の試写を観る。会場は女性2人組とカップルが圧倒的に多く、アラフォー男がひとりで観るのは相当間が抜けている。入口で配られたアンケートには、「あなたはどこで泣きましたか」などと、どうかしている質問が書かれている。

映画は、眠くならないという意味では面白かった。手前勝手で支離滅裂な妄想を脈絡なくつなげあわせるという作品である。奔放な女、南国での破目を外した生活、金持や企業のお偉いさんという格差の肯定、『サラリーマン金太郎』的な企業戦士ぶり、エロ、破滅、敗れた恋愛、待つだけの女、若い過ちへの後悔、父親に反発して家を出る息子、・・・すべてのパーツが揃っている。アホじゃなかろか。そういえば、村上龍の『ラッフルズホテル』って映画があったな。

しかし観る方も、ステレオタイプの妄想から逃れているわけではないから、それなりに愉しく観てしまうわけである。ぜんぜん感情移入できないが。


井出孫六・小中陽太郎・高史明・田原総一郎『変貌する風土』 かつての木更津を描いた貴重なルポ

2010-01-12 00:08:21 | 環境・自然

井出孫六・小中陽太郎・高史明・田原総一郎『変貌する風土 ―開発と地域社会―』(三一書房、1978年)は、かつて千葉・内房の木更津がどのように重厚長大の企業の侵出にさらされ、海を失っていったかを探った、貴重なルポである。今みても豪華なメンバーの彼らが木更津に足繁く通っては、漁師、住民、企業の労働者などに話を聴き、それぞれの語り口で報告している。(これがブックオフで105円とは勿体ないことだ。)

木更津に関する報道といえば、東京湾アクアラインの値下げによっても青写真にあったような観光客誘致にはつながっていない、という程度だ。しかし、昔は、ずいぶん様相が異なっていた。

●ヤマトタケルが海を渡って去ろうとしなかった「君去らず」、もっとも古い地名のひとつ。
●江戸時代には、日本橋との間を通う「木更津船」により、内房随一の商業港として栄えた。
●明治になりその特権は剥奪された。そして県庁所在地にもなれなかった。
●往時の繁栄を取り戻すため、軍を誘致して軍都にする意図があったが、敗戦とともに潰えた。(ただし、いまだ陸上自衛隊の駐屯地がある。)
●埋立前は、漁業や海苔の養殖が盛んだった。
●埋め立てられてから、漁業を失い、新日鉄中心のマチと化した。

おそらく日本の津々浦々で見られたプロセスと同様に、巨大資本がマチを破壊し、いびつなコミュニティをつくり出していくさまが描き出されている。当時と現在とでは環境に対する意識水準がまったく異なるのは当然だが、それを置いておいても、このいびつさは変わっていないどころか、なお小さなもの、拠り所をねじり続けている。駅前に全国チェーンのスーパーが進出し、商店街がなすすべなく衰退することも、冗談のように同じである。

いま、小櫃川河口には盤洲干潟が、富津岬にも富津干潟が、残されているのは奇跡的なことのように感じられる。ただ海苔の養殖については、この埋立により失ってしまっている。かつての漁業権の地図を見ると、あらためて隔世の感がある。


(「区画漁業権」とある場所で海苔の養殖が行われていた)

それでも、現在でも富津岬以南で海苔の養殖が盛んな理由として、まさにこの時期に、富津の漁協が補償金を海苔養殖の設備投資と技術開発に使ったことがあるようだ。

それにしても、漁業権というのはよくわからない概念だ。浦安もかつて漁業権を全面放棄し、その代わりに莫大な補償金を得たことは、このあたりを散歩すれば、特定の名字に偏った豪邸が数多く見られることで実感できる。そして、大三角を埋め立てて建造された東京ディズニーランドからのアガリにより、市の財政には余裕があり、市立郷土博物館というハコの中で海苔養殖の歴史を振り返ってみるという皮肉。

しかし、なぜ漁協という主体なのか。本書によると、漁業権の名義人は戸主であり、漁業組合は権利所有者の集まりである。父親から漁業権を譲り受けていない若者には、発言の場が与えられなかったという。また、漁協という組織に属していなくても海とともに生活してきた人々には、補償金が与えられなかった。すなわち、漁民などという言葉で括ってしまっては、こぼれ落ちる存在が見えなくなる。そして暴力というものは、こぼれ落ちるプロセスにこそ如実に顕れている。(沖縄の辺野古にも、漁協を巡るねじれがある。)

●参照
盤洲干潟 (千葉県木更津市)
○盤洲干潟の写真集 平野耕作『キサラヅ―共生限界:1998-2002』


浦安市郷土博物館『海苔へのおもい』

2010-01-10 23:34:03 | 関東


おかきの天日干し


獅子舞もやっていた

鏡開きがあって汁粉が振舞われるというので、家族で浦安市郷土博物館へ足を運んだ。

自宅からは歩いて30分以上かかるが、旧江戸川から曲って境川沿いを歩くのは気持ちが良い。息子と、あの煎餅屋の隣の公園でおかきを干していたよねなどと話しながら煎餅屋の前に行くと、やっぱり天日干しにしていた。

郷土博物館では、『海苔へのおもい』と題した展示を行っていた。海苔には少なからず興味を持っているので、じっくりと観た。かつての海苔養殖の器具が興味深く、沖縄のもずく用の網との比較まで行っていた。そして初めて知ったことだが、1958年の本州製紙(当時)からの黒い水事件が沈静化し、工場も水処理設備を導入したあとも、実はなお汚水が流されていたのだという。事件後に制定された水質二法(現在の水濁法)の縛りが甘すぎたということに他ならないが、それが表面化しないほど漁業への意欲が衰えていたという評価もできるようだ。

もっと知りたくなって、博物館の報告書『のり―東京湾のノリ―』(2002年)、『のり2 ちば海苔いまむかし』(2006年)の2冊と、過去の企画展のパンフレット『おらんハマのゆくえ』(2008年)を入手し、帰宅してざっと読んだ。

現在の東京湾での海苔養殖は、主に富津以南、それに木更津、わずかながら三番瀬でなされている。君津あたりで江戸末期にはじまったのは、大森・品川での海苔養殖を倣ってのことらしい(確か大森に海苔の博物館があり、いつか行ってみたいと思っている)。しかしそれも、日本発祥ではないという指摘がなされている。

海苔養殖は東京湾で発祥したといわれるが、文献では韓国の方が先に行っていたようだ。15世紀には、そのことを示唆する文献がある。仮説が含まれるが、韓国で海苔養殖が行われていて、その方法が秀吉の朝鮮出兵が終わって撤退するときに、広島あたりを支配していた毛利の本隊が技術者を連れて帰り、広島湾で養殖をはじめた可能性がある(16世紀後半頃)。竹1本でヒビを作るなど、いくつかの点で韓国と共通しており、可能性を示唆している。海苔養殖発祥の地が品川沖で、すべて日本のオリジナリティーがあるといういい方は難しいかもしれない。
(千葉県立中央博物館・宮田昌彦、『のり―東京湾のノリ―』所収、2002年)

●海苔
三番瀬の海苔
豊かな東京湾
東京湾は人間が関与した豊かな世界
『境川の人々』


北井一夫『Walking with Leica 2』

2010-01-10 11:08:24 | 写真

北井一夫の写真展『Walking with Leica 2』(ギャラリー冬青)に足を運んだ。

今回展示されている作品は、「引きこもり」ものが多い。柚子、剥いた林檎と剥かない林檎、ハンガー、丸めた紙屑。それらを自然光で、逆光で、おそらくは旧ライカレンズの最短撮影距離1メートルくらいから撮影している。そのような撮影条件であるから、オールドレンズ(最近はエルマー50mmF3.5が多いとか)では甘く、背後のボケは汚い。

しかしこれが良いのだ。枯淡でもないし、アナクロニズムでもない。北井写真の魅力を人に伝えるのは難しい。敢えて反骨と言ったところで、あのソフトな人柄に触れると肩透かしをくらってしまう。

ギャラリーのテーブル上に、2つの箱に沢山のオリジナルプリントが収められ、自由に観ることができる。今回の写真集『Waliking with Leica 2』(冬青社、2009年)とじろじろと比較しながら観るという贅沢な行為をしていると、印刷媒体とオリジナルプリントとの違いがまざまざとわかる。バライタの印画紙に焼き付けられたそれは、生々しく、濡れている。もちろん、生きることは濡れることだ、という意味で濡れている。一方の印刷も、冬青社の最近使っている矢沢印刷のクオリティが素晴らしい。

そうしているうちに、北井さんと冬青社の高橋社長が戻ってきた。署名していただき、中国の写真家の話、海外の印刷会社の特性の話などを伺う。前から話のあった、米国での写真集出版は進んでいるようだ。これは楽しみである。

『抵抗』『バリケード』 米国の出版社から2010年10月発売予定
『三里塚』 英国の出版社から2010年10月発売予定
 ※ワイズ出版のものとは異なり、オリジナルの復刻
東京都写真美術館での個展 2013年

中野駅への帰路、渋い中古カメラ店「光映社」に寄ろうと思ったら再開発のようで見当たらない。ああ、もう銀塩カメラじゃなあ、と思っていたら、駅前に小奇麗になって店を構えていた。会員制だということで、おそらくもう暖簾をくぐることはないだろう。 

●北井一夫
『Walking with Leica』、『英雄伝説アントニオ猪木』
『境川の人々』
『ドイツ表現派1920年代の旅』
『フナバシストーリー』


浅川マキ+渋谷毅『ちょっと長い関係のブルース』

2010-01-09 00:45:00 | アヴァンギャルド・ジャズ

浅川マキ渋谷毅のピアノとのデュオで作り上げたLP、『ちょっと長い関係のブルース』(東芝EMI、1985年)を手に入れてしまった。

この盤は中古レコード店でもほとんど目にすることはない。また、旧作のオムニバス『DARKNESS』4部作にも収録されていないのだ。うれしいなあ。

さっそく、2回続けて聴いた。唄は馴染のものばかり。マキの声はちょっとエコーがかかっているようだが気にならない。まだ張りのあるころだ。これに渋谷毅のピアノが絡んでいく。

この盤の白眉はB面。「マイ・マン」、「セント・ジェームス病院」、「炎の向こうに」での文字通り融通無碍の渋谷毅のピアノが素晴らしい。循環し、絶妙極まりない和音を響かせる。ときどき、意図的かと思えるようなもたつきを見せたりもする。静かでかつ過激。それだけ聴いていてもトロンと酔ってしまうようである。

最後の「さかみち」、夜中に部屋に籠り独りで聴いていると、たまらない。

その夜も遅く坂を戻って来た
ふと見ると部屋に明かりが点いていた
なんだか嬉しくなって立ち止まったが
わたしにはわかっていた
あれは消し忘れだってね

●参照
浅川マキ DARKNESS完結
ハン・ベニンク キヤノン50mm/f1.8(浅川マキとの共演)
オルトフォンのカートリッジに交換した(『ふと、或る夜、生き物みたいに歩いているので、演奏者たちのOKをもらった』)
浅川マキ『闇の中に置き去りにして』
渋谷毅のソロピアノ2枚


イエメンにも子どもはいる

2010-01-08 00:19:42 | 中東・アフリカ

サッカー日本代表は大丈夫か、だとか、CNNに至っては、サヌアでコーランのカセットテープを売る人々を映しながら「もちろん敬虔な気持ちで買うのでしょうが、その中からテロリストが出ないとも限りません」だと。駄メディアは日本に限らない。

イエメンにも、もちろんどこの地域にも、子どもは育っていて、素朴なアウラを発散している。

飛躍はしていない。


イエメン(1998年) Pentax MZ-3、FA28mmF2.8、Provia100、DP


イエメン(1998年) Pentax MZ-3、FA28mmF2.8、Provia100、DP


イエメン(1998年) Pentax MZ-3、FA28mmF2.8、Provia100、DP


『LP』の「写真家 平敷兼七 追悼」特集

2010-01-06 23:20:36 | 沖縄

『LP』は、沖縄でつくられている季刊の写真誌である。創刊以来気にはしていたが、今号の特集が「写真家 平敷兼七 追悼」だというので、初めて購入した。

2008年末に銀座ニコンサロンで開かれた写真展「山羊の肺」は、ちょっと感動的だった。同年に国立近代美術館で開かれた「沖縄・プリズム1872-2008」における氏の作品の展示よりも素晴らしかったのは、言葉の力、匿名多数の記憶の力をも感じたからだろうと思った。そんな写真家が、昨年2009年に亡くなった。年末に東京で開かれた写真展には、足を運ぶことができなかった。

特集には、平敷兼七が那覇新都心開発前の「銘苅古墳群」を撮影した作品群が掲載されている。被写体は「山羊の肺」などとは違って「もの」だが、それでも「人」に対する場合と同じように、間合いの自然さ、優しさといったものを感じる。技巧的に大見得を切っているところは全くない。モノクロのトーンが素晴らしい。

いろいろな方が追悼文を寄せている。見たことも会ったこともない写真家だが、平敷兼七という人物を慕う気持ちだらけで、つい泣けてしまう。そんな中で、オサムジェームス中川という写真家が、納得させられる言葉を記している。

「1970年代の日本の写真家の多くが「粗粒子、ブレ、ノーファインダー」といった、アグレッシブな表現スタイルが主流の時代に、平敷さんのような欲のない、メディテイティブな優しいまなざしに、ボクが共鳴する何かがあったのかもしれません。」

平敷兼七はライカM4コンタックスG1を使っていた。この「まなざし」にはやはりレンジファインダー機だよなあ、と、これも納得した次第。

特集外ではあるが、豊里友行という俳人・写真家による、「彫刻家 金城実の世界」と題した写真が何枚か掲載されている。彫刻家の手、その手により作り上げられたぐちょぐちょとした人物のマチエールがとらえられている。金城実という異色の彫刻家の手仕事を実感できるような視線を提供してくれるもので、これも素晴らしい。この2月に同名の写真集が出されるようで、ちょっと楽しみだ。

●参照
平敷兼七、東松照明+比嘉康雄、大友真志
沖縄・プリズム1872-2008
金城実『沖縄を彫る』


行友太郎・東琢磨『フードジョッキー』

2010-01-06 00:02:39 | 中国・四国

行友太郎・東琢磨『フードジョッキー その理論と実践』(ひろしま女性学研究所、2009年)。新宿の「模索舎」で何気なく手に取ったら、その場で頭をやられてしまいテイクアウトしてしまった。

別に、サブタイトルにあるような「理論」の本などではない。グルメ本などでもない。生きることは食べること、「生きる」には愉悦も苦悩も誤解も矛盾も無意味も害毒もすべて含まれているから、「食べる」にも愉悦も苦悩も誤解も矛盾も無意味も害毒もすべて含まれている。従って、いわゆるジャンクフードさえ当然のように受け容れている。

ただ、ここでは権力が徹底して拒否されている。レシピなる存在さえ、権力のように感じられてくる。

章ごとに、レシピとは言えないようなレシピが紹介され、BGMも付記され、そして雑談。これがいちいち愉快である。「「明かしえぬ共同体」煮込み」って何だ?「存在者が存在から離脱する鍋」って何だ?

「シャリバリ風貴族鍋、あるいは、万国のマメ、団結して散会せよシチュー」では、オーネット・コールマン『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』をBGMに、マメの話を始め、いつの間にかシモの話に突入する。それでも食欲には火がつくばかり。正月明けに体重計に乗って猛省したばかりなのに、これでは困る。

それにしても、広島の「イカ天」や「あぶらかす」のことなど知らなかった。数える位の回数しか行ったことがない場所だが、どうにかして潜入できないものか。とりあえずは、本の最後でポロリと触れてある店がわが家の近くにあるチャンポン屋であることを、とある筋から確認したので、近々また晩飯を食べに行くつもりなのだ。

●参照
東琢磨・編『広島で性暴力を考える』


ヘンリー・スレッギル(7) ズォイドの新作と、X-75

2010-01-03 23:44:24 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジャズについて、2009年の私的に嬉しいニュースのひとつは、ヘンリー・スレッギルの新作が出たことだ。ズォイド(Zooid)というグループによる『this brings us to / volume I』(PI RECORDINGS、2009年)であり、同じグループでのLP限定盤『Pop Start The Tape, Stop』(PI RECORDINGS、2003年)以来6年ぶりのことである。なお、ズォイド名義の盤には、この前に『Up Popped The Two Lips(ふたつの唇の音色)』(PI RECORDINGS、2001年)があり、ディスクユニオンが「8年ぶり」だと宣伝しているのはこの盤のことを指している。どこかの英語解説のコピーだったかと記憶しているが、間違いである。

前2作の編成が、スレッギルの他に、ギター、ウード、チューバ、チェロ、ドラムスであったのと比較すると、若干変化した。ウードが抜け、チェロの代わりにベースギターが入っている。ギターのリバティ・エルマンやチューバ(今回はさらにトロンボーンも吹く)のホセ・ダヴィラはずっと同じメンバーである。ベースギターがツトム・タケイシというのは嬉しいところだ。

ウードが抜けた影響はありそうで、何となくオリエンタル臭が消えている。それよりも、音楽全体の緊密度が格段に向上している。漫画『美味しんぼ』で、インドのタンドリーチキンを評して「肉の繊維ひとつひとつに旨味がある感じ」なんてものがあったが、思い出したのはそれ。ドラムスが走る中、ぎっちりと詰まり、しかも綿密に組み上げられたアンサンブルには、興奮する要素だらけである。過度の緊張感に押しつぶされそうになっていた前作から、一段フェーズを上げたスレッギル音楽に戻ってきたという印象だ。

もちろんそれには、切実に空間を切り裂き続けるスレッギルのソロが不可欠なのであって、ここでは、コアとなる4曲のうち、スレッギルはフルートで2曲、アルトサックスで2曲ソロを取っている。

曲調は不穏で暗く、もう少し、『Carry A Day』(Columbia、1995年)の躁的な明るさが欲しいところではある。これにトロンボーン、チューバ、ベースという低音の楽器が貢献していることは明らかで、エルマンのギターは、低音アンサンブルの不穏さを掻き乱すほど個性的ではない(かつてのブランドン・ロスのようには)。

いずれにしても、この緊密さは圧倒的であり、異色の前作は置いておいても、その前の『Up Popped The Two Lips』を改めて聴くと、本作よりもルーズな感さえ覚えてしまう。

スレッギルは、このズォイドといい、メイク・ア・ムーヴヴェリー・ヴェリー・サーカスセクステットと、80年前後から低音アンサンブルに憑りつかれているように思える。中でも異色作は、X-75というグループでのただ1枚の作品、『X-75 / Volume 1』(ARISTA RECORDS、1979年)である(たぶんVolume 2は存在しない)。

ここでは、何と、ベースを4人(レナード・ジョーンズ、ブライアン・スミス、ルーファス・リード、フレッド・ホプキンス)揃えている。その上を、アミナ・クローディン・マイヤーズの高いヴォイス、そしてスレッギルを含め4管(ダグラス・エワート、ジョセフ・ジャーマン、ウォレス・マクミラン)が吹くという編成。誰がどう見ても異常である。実際に聴いてみると、アンサンブルがルーズである(あるいは個々のインプロヴィゼーションに任せている)ためか、さほどベース4倍の迫力は感じない。サーカス音楽としてではなく、低音の力を活かした音楽としてのスレッギル音楽は、実は現在もさらにグレードアップしているのだと思える。

ただ、各自のソロの自由度が高く、隙が多い音楽のほうが聴きたくなることもある。かつてのサックストリオ、エアーのような編成でのスレッギルを待望しているのだが。

●ヘンリー・スレッギル
ヘンリー・スレッギル(1) 『Makin' A Move』
ヘンリー・スレッギル(2) エアー
ヘンリー・スレッギル(3) デビュー、エイブラムス
ヘンリー・スレッギル(4) チコ・フリーマンと
ヘンリー・スレッギル(5) サーカス音楽の躁と鬱
ヘンリー・スレッギル(6) 純化の行き止まり?


萩原朔太郎『猫町』、清岡卓行『萩原朔太郎『猫町』私論』

2010-01-02 23:35:51 | 思想・文学

年末年始には(たまたま、だが)、萩原朔太郎『猫町』(岩波文庫、原著1935年)と、それについての評論、清岡卓行『萩原朔太郎『猫町』私論』(文藝春秋、1974年)を読んでいた。後者は、札幌の古書店、書肆吉成で入手した。なお、現在では、筑摩叢書として復刊された版の方が入手しやすいようである。

世田谷文学館には、ムットーニによるからくり箱が収蔵されている(>> リンク)。何年か前に観て愉しい驚愕を覚えてから、いつか原作を読もうと思っていた。この現実から離れそうで離れることができない微妙な感覚が、だらしない正月休みにフィットするというものだ。

「私」は、ひなびた温泉街近くの駅で気紛れに下車する。道に迷い、気がつけば繁華街。ところが危ういバランス、張りつめた切実さ、凶兆といったアウラが濃厚となってゆき、突然の沈黙。町の街路にも、家々の窓口にも、猫の大集団がうようよしている。

このあたりの描写は凄まじく、H・P・ラヴクラフトさえも想起させる。(なお、ラヴクラフトは本当に怖いため、私は読みたいのにあまり読んでいない。) 深沢七郎島尾敏雄の作品にも発狂してしまいそうな切迫感があったように思うが、いずれにしてもムットーニから想像するような人形劇独特の怖さなどを凌駕しており、とてもファンタジックとは言うことができない。

「町の特殊な美しさも、静かな夢のような閑寂さも、かえってひっそりと気味が悪く、何かの恐ろしい秘密の中で、暗号を交わしているように感じられた。何事かわからない、或る漠然とした一つの予感が、青ざめた恐怖の色で、忙しく私の心の中を馳け廻った。すべての感覚が解放され、物の微細な色、匂い、音、味、意味までが、すっかり確実に知覚された。あたりの空気には、死屍のような臭気が充満して、気圧が刻々に嵩まって行った。此所に現象しているものは、確かに何かの凶兆である。確かに今、何事かの非常が起る!起るにちがいない!」

清岡卓郎の評論においては、この作品を産み出した萩原朔太郎という人物について探っている。読みすすめるにつれ、資質的に社会生活から疎外されざるを得なかった詩人に、なぜか感情移入している自分を発見する。

朔太郎は、いわば田舎の金持のボンボンであり、金銭感覚に乏しかった。田舎では変人と蔑まれ、近代に、都会に、憧れた。結婚生活は、都会での放縦な暮らしの中で、悲惨な末路を辿った。夢見ていた欧州への旅を強行するほどの行動力はなく、朔太郎は、脳内での妄想・歪んだ内的世界への旅を肥大化させていった。(阿片やハッシッシが入手できないため)モルヒネやコカインさえも使っていた。

いまふうに言えばコンプレックスとして片付けられるのかもしれないし、このような芸術家はそもそも生きる場所を探すのにもっと困難に直面するかもしれない。実際に、田舎を激烈に憎み(このあたりは共感できなくもない)、かつ、その田舎の父からの仕送りで都会生活を送るという、どうしようもない男である。しかし、そうした朔太郎の屈折した個性が、『猫町』の世界に結実したのであった。 

 「かなしき郷土よ。人々は私に情なくして、いつも白い眼でにらんでゐた。単に私が無職であり、もしくは変人であるという理由をもって、あはれな詩人を嘲辱し、私の背後から唾をかけた。「あすこに白痴が歩いて行く。」 さう言って人々が舌を出した。」

清岡卓郎は、『猫町』に見られる切迫感が、朔太郎の内在的な「精神的な飢え」だけでなく、30年代という時代の圧迫も影響して産まれたものだとしている。中国への軍事侵略が本格化し、国内的にも2・26事件が起るなど騒然とした中で色濃くなる全体主義は、放縦な個性と相容れなかったのは明らかである。すなわち、突如として「私」が取り囲まれる「猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。」は、匿名・無個性の人間の集団でもあった、ということだ。

もっとも、社会や政治には全く無知無頓着であったというから、外的な要因があったにせよ、それらが精神と言葉の歪みとなってのみ顕れたという意味では、社会派などでは決してなく、やはり前衛と言っていいのか。 


『世界』の「韓国併合100年」特集

2010-01-02 00:54:02 | 韓国・朝鮮

『世界』2010年1月号(岩波書店)で、「韓国併合100年 現代への問い」と題した特集を組んでいる。言うまでもなく、今年は1910年の韓国併合から100年目にあたる。

重要な年ではあるが、ある週刊誌で韓国でのイベントを揶揄する記事が掲載されるなど、意識レベルは極めて低い。北朝鮮への感情的なバッシングや竹島問題ばかりに偏り、かつて北朝鮮を含む朝鮮を植民地として軍事支配したこと、南北分断の直接的な原因となった朝鮮戦争に基地貸しという加担を行った挙句に特需だけ享受したことなどに対する視線と比べると、アンバランスという他はないのではないか。

あまりにも非対称な意識のあり方、政治のあり方に関して、姜尚中は、和田春樹・藤原帰一との対談において、次のように発言している。

このような歴史をくぐり抜けてきた韓国・朝鮮人と、沖縄など一部を除いて、「平和憲法」と日米安保のもとで、「冷戦」というある種の「城内平和」の戦後史を歩んできた日本国民との間に、60年にわたり「隣人(となりびと)」としての同時代的な共通の体験が分かち持たれてきたか、甚だ疑問です。そのギャップが、植民地支配という過去の歴史をどうみるのかについて、双方に著しいすれ違いを生み出しているのではないでしょうか。

朝鮮で、沖縄で、中国で発生する裂け目を隠蔽し、すり替えているのは、日本という総体ということである(私が総体と言いたいのは、国家は単一の人格ではなく、政治、記憶、個人などさまざまなフェーズでの意識を孕むものであるから)。それにしても、「城内平和」という言葉にはハッとさせられる。

過去の<責任>にどう向き合うかについて、以前より、哲学者の高橋哲哉は、<応答>することを軸にその考えを提示している。ここでも、日本の保守政権は、被害者からの責任を問う声に応答することに失敗してしまったのだと評価している。そんな潮流の中での2010年は、あらためて重要だと発言している。興味深いのは、東アジア共同体構想についての指摘だ。この点では随分と理想主義的のようにも感じられるが(ただの経済共同体だという現実的な評価はない)、さて、新政権にどれほど期待できるだろうか。

東アジア共同体構想を自民党政権の首相が言い出せば、大東亜共栄権の再来かという反応を即座に呼び起こしたことでしょう。韓国も中国も前向きに受け止めているとするなら、新政権が「歴史を直視する」可能性に期待を持っているからではないか。
 戦後補償問題と東アジア共同体構想は隣り合う問題として考えるべきです。EU統合を可能にしたのは、さまざまな要素はあるにしても、その核心はやはり独仏の和解です。鳩山首相がそれを「原形」にするという以上、日本は少なくとも「過去の克服」に関してドイツと同じような姿勢を見せなければならないことになります。

さらには、尹健次は、日本が原因をつくった朝鮮分断のままでの日韓・日朝和解は現実的にあり得ないとしている。そして池明観(かつてのT・K生)は、金大中の太陽政策を高く評価している。北・南・日本という視線は同じものである。

●参照
高橋哲哉『戦後責任論』
尹健次『思想体験の交錯』
尹健次『思想体験の交錯』特集(2008年12月号)


池田篤『Here We Are』

2010-01-01 23:59:15 | アヴァンギャルド・ジャズ

新宿ピットインを擁するピットイン・ミュージックが、2009年より自身のレーベルでCDを発表している。池田篤『Here We Are』(ピットイン、2009年)はその2枚目。

辛島文雄(ピアノ)、岡崎好朗(トランペット)を含めたクインテットの編成。池田篤はアルトサックスとテナーサックスを吹いている。新宿ピットインでのライヴ演奏であり、スタンダード中心である。

実はこの人は、ライヴでの圧倒的なパフォーマンスの割にCDが少ない。10年以上前、どこだったかで、サム・リヴァースの「Beatrice」をバリバリ吹くのを観て驚き、録音を探したがほとんど見当たらなかった。唯一、デビュー盤『Everybody's Music』(King Records、1996年)があったが、大人しい印象で、ライヴとの落差が大きかった。そんなわけで、この盤は私にとって待望のCDでもあるのだ。

サックスの音はちょっとダークで官能的、「鳴らす」音である。インプロヴィゼーションも凄い。選曲やサイドメンを含め、あまりにも生真面目で、はみ出す刺激が欲しいところではあるが、この音があれば文句は言わないことにする。ここまでサックスが吹ければ怖いものはないだろうね。

随分前に、やはり新宿ピットインでチャールス・マクファーソン(アルトサックス)が吹いたとき、最前列でマクファーソンのプレイを観察する池田篤の姿を見たことがある。マクファーソンもストレート・ジャズの枠内でコード進行に沿ったインプロヴィゼーションに賭ける人であり、似ているのかなと思った記憶がある。

ついでに、棚からチャールス・マクファーソン『Beautiful!』(ザナドゥ、1975年)のLPを取り出して聴いてみる。デューク・ジョーダン(ピアノ)、サム・ジョーンズ(ベース)ら渋いサイドメン、朗々と鳴るアルト、スタンダード曲中心の選曲など共通点は多い。素晴らしいのだけれど、やはり生真面目に過ぎて、聴き終わったらすぐに棚に戻す。私にとっては、『Here We Are』はもっと魅力的な盤である。

『Here We Are』では、「Orange Was The Color Of Her Dress, Then Blue Silk」と「Peggy's Blus Skylight」の2曲、チャールス・ミンガスの曲を演奏している。この組み合わせで思い出すのは、大西順子『Piano Quintet Suite』(Somethin' Else、1995年)である。

90年代前半に、大規模な宣伝とともに登場してきたピアニストであり、事実、その演奏はとても個性的で良く聴いた。アクが強くて聴き厭きてしまったのか、ピアノ・トリオ盤はすべて手放してしまった。しかし、この盤は好きでいまだに聴き続けている。何しろ林栄一(アルトサックス)やトニー・ラベソン(ドラムス)の音が尖っていて、さらにマーカス・ベルグレイヴ(トランペット)が重鎮として存在感を示している。

(ベルグレイヴについては、この盤と、池田篤のデビューアルバムに参加しているという程度の認識だったのだが、実は、滅茶苦茶にファンキーなリーダー作を出していることに気がついたのは、つい最近のことだ。)

一時期の流行のように捉えられるアルバムではない。