おかきの天日干し
獅子舞もやっていた
鏡開きがあって汁粉が振舞われるというので、家族で浦安市郷土博物館へ足を運んだ。
自宅からは歩いて30分以上かかるが、旧江戸川から曲って境川沿いを歩くのは気持ちが良い。息子と、あの煎餅屋の隣の公園でおかきを干していたよねなどと話しながら煎餅屋の前に行くと、やっぱり天日干しにしていた。
郷土博物館では、『海苔へのおもい』と題した展示を行っていた。海苔には少なからず興味を持っているので、じっくりと観た。かつての海苔養殖の器具が興味深く、沖縄のもずく用の網との比較まで行っていた。そして初めて知ったことだが、1958年の本州製紙(当時)からの黒い水事件が沈静化し、工場も水処理設備を導入したあとも、実はなお汚水が流されていたのだという。事件後に制定された水質二法(現在の水濁法)の縛りが甘すぎたということに他ならないが、それが表面化しないほど漁業への意欲が衰えていたという評価もできるようだ。
もっと知りたくなって、博物館の報告書『のり―東京湾のノリ―』(2002年)、『のり2 ちば海苔いまむかし』(2006年)の2冊と、過去の企画展のパンフレット『おらんハマのゆくえ』(2008年)を入手し、帰宅してざっと読んだ。
現在の東京湾での海苔養殖は、主に富津以南、それに木更津、わずかながら三番瀬でなされている。君津あたりで江戸末期にはじまったのは、大森・品川での海苔養殖を倣ってのことらしい(確か大森に海苔の博物館があり、いつか行ってみたいと思っている)。しかしそれも、日本発祥ではないという指摘がなされている。
「海苔養殖は東京湾で発祥したといわれるが、文献では韓国の方が先に行っていたようだ。15世紀には、そのことを示唆する文献がある。仮説が含まれるが、韓国で海苔養殖が行われていて、その方法が秀吉の朝鮮出兵が終わって撤退するときに、広島あたりを支配していた毛利の本隊が技術者を連れて帰り、広島湾で養殖をはじめた可能性がある(16世紀後半頃)。竹1本でヒビを作るなど、いくつかの点で韓国と共通しており、可能性を示唆している。海苔養殖発祥の地が品川沖で、すべて日本のオリジナリティーがあるといういい方は難しいかもしれない。」
(千葉県立中央博物館・宮田昌彦、『のり―東京湾のノリ―』所収、2002年)