Sightsong

自縄自縛日記

サミラ・マフマルバフ『ブラックボード』

2010-07-03 23:08:49 | 中東・アフリカ

サミラ・マフマルバフ『ブラックボード ―背負う人―』(2000年)を観る。父親がモルセン・マフマルバフ、妹がハナ・マフマルバフ、映画一家か。1980年生まれだというから、この映画を撮ったとき、この女性はまだ20歳前後だった。それにしてはステレオタイプでもベタベタでもなく、随分と手練れの印象がある作品だ。

映画は、黒板を背負った男たちが土と岩の山道を歩いている場面からはじまる。生徒を探して歩き続けている教師たちである。それぞれ行く方向が別れてゆき、画面に残ったふたり(そのひとりは、先日来日できなかった映画監督のバフマン・ゴバディ)も、村の方向と山の方向へと別れる。それぞれ、遭う人ごとに生徒はいませんか、何か教えますよと声をかけるが、ことごとく冷たくあしらわれてしまう。

子どもたちは、大きい荷物を持って、イランからイラク側へと密貿易をしている。名前を教えたりしているうち、次第に溶け込んでいく。老人たちは、どうやらクルド人らしく、追い出されてイランを放浪していたものの、故郷のイラク側にやはり入ろうとしている。こちらは固陋で、何か教えるという展開になりそうもない。

やがてそれぞれの一行は国境に近付く。密貿易の途中で兵士に見つかりそうになって必死で逃げるのは、ゴバディ『酔っぱらった馬の時間』(これも2000年)でも何度も使われたプロットだ。子どもたちは羊の群れに四つん這いで紛れ込むも、イラクの兵士に見つかり、次々に撃ち殺されていく。

また老人たちも兵士から逃げる。そのなかにいた女性は、「ハラブチェと同じだ。毒ガスでやられるんだ」とうわごとのように繰り返す。ハラブチェとは、イラクのクルド人地域の町であり、サダム・フセイン政権がイラン・イラク戦争の際に化学兵器でクルド人たちを攻撃した歴史がある。

それにしても奇妙なストーリーだ。いま勉強しなければならない子どもたちにとっても、勉強の時期を過ぎてしまった老人たちにとっても、生きること、死なないことで精一杯で、黒板を使ってあらためて勉強をはじめるなど非現実的である。それに、黒板を背負って行商人のように移動する教師などいるのだろうか。しかし、そのために却って、メッセージ性が強烈なものとなっている。

イラクの故郷に帰っていくクルド人の老人たちは、霧の中に吸い込まれていく。まるで、テオ・アンゲロプロス『霧の中の風景』(1988年)のようだ。あの哀れな姉弟と同じく、老人たちはどうなっていくのだろうか。フセインが拘束されるのは、映画から3年後の2003年である。

●参照
バフマン・ゴバディ『酔っぱらった馬の時間』
ジャファール・パナヒ『白い風船』
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』
シヴァン・ペルウェルの映像とクルディッシュ・ダンス
クルドの歌手シヴァン・ペルウェル、ブリュッセル


2003年12月、ミラノ

2010-07-03 13:49:55 | ヨーロッパ

ポルコ・ロッソが飛行機を修理した70年以上後、ミラノで。

ファシストになるより豚の方がマシさ。」(宮崎駿『紅の豚』、1992年)


市民マラソン優勝 PENTAX MX, M50mm/f1.4, Provia 400F


蚤の市、マミヤ一眼レフ PENTAX MX, M50mm/f1.4, Provia 400F


路上のサックス PENTAX MX, M50mm/f1.4, Provia 400F


中田、中村、柳沢、オーウェン PENTAX MX, M50mm/f1.4, Provia 400F


ポール・オースター『ティンブクトゥ』

2010-07-03 00:37:40 | 北米

文庫本になったばかりの、ポール・オースター『ティンブクトゥ』(新潮文庫、原著1999年)を読む。パリのメトロで巨大な広告を見て仰天、書店に走って読んで以来だから、もう10年以上が経っている。話の内容もぼんやりとしか覚えていなかった。

放浪癖があり、自由で破綻した素敵な精神を持つ男、ウィリーと、すべてを理解する犬、ミスター・ボーンズの物語である。ウィリーは饒舌、喘息、破滅型。自分の死が迫っていることを悟り、ミスター・ボーンズと旅に出る。そして犬を残して死ぬ。この展開に驚かされる、この魅力的な人物が話の途中で姿を消すなんて。

しかし、その後も、ミスター・ボーンズの夢の中に登場し続けるのだ。この夢や幻視は、犬にとっても、読者にとっても、現実の物語と何の違いもない。語り手が犬だから、というだけの理由ではない。世界は無数に存在し、お互いに矛盾したり噛み合ったりしている。この描写はオースターの手腕、とても巧い。

ウィリーの死後、ミスター・ボーンズは放浪と苦難を経て、新しい飼い主を見つける。裕福で仲の良い家族、何の問題もない。しかし、ミスター・ボーンズは行動の場所を制限され、優しく自由を奪われる。物理的な自由だけではない。問題ない生活に慣れたころ、実は、ウィリーと苦労ばかりしていたときには持っていた精神的な自由を失っていたことを知る。これが辛辣な<アメリカ>批判になっていると言ってもよいだろう。

オースターの作品には、「C'est la vie」とでも言いたくなるような、諦念や寂しさや喜びが入り混じっている独自のムードがある。その一方で、ひとつひとつがすべて異色作でもある。『ティンブクトゥ』も、紛れもなくオースターの異色作である。


ポール・オースター『ティンブクトゥ』欧州版(1999年)

●参照
ポール・オースター『Invisible』
ポール・オースター『Travels in the Scriptorium』
ポール・オースターの『ガラスの街』新訳


朴重鎬『にっぽん村のヨプチョン』

2010-07-01 00:07:15 | 韓国・朝鮮

朴重鎬『にっぽん村のヨプチョン』(御茶の水書房、2003年)を読む。著者は在日コリアン作家であり、主に自身の育った室蘭を作品の舞台としている。そういえば、この本も札幌の古書店・書肆吉成で見つけた。

戦前、放蕩の弟を連れ戻すため、兄とその妻が朝鮮半島から北海道へと渡った。妻ジョンスクには、因習的な大家族から離れたい思いもあった。そこで働くことになってしまうが、ジョンスクの夫は戦争で死ぬ。常につきまとう極貧と差別。次男チャンホはその生活から逃れるため、東京の大学に出る。孤独に陰湿な差別を受け続けたチャンホは、同胞とつながることに喜びを見出し、やがて総聯系の組織で働くようになる。ジョンスクに挑み続ける過酷な巡り合わせは運命か、精神が蝕まれていく。

在日コリアン2世代の歴史を描き、ディテールのあまりのリアルさに圧倒される。1958年からの北朝鮮帰国事業や1965年の日韓基本条約といった社会的なマイルストーンだけではない。生きるための苛烈な労働、差別とその裏返しの密告、野蛮な子ども社会、そんなひとつひとつの迫真性が凄いのである。

●参照
菊池嘉晃『北朝鮮帰国事業』、50年近く前のピースの空箱と色褪せた写真
朴三石『海外コリアン』、カザフのコリアンに関するドキュメンタリー ラウレンティー・ソン『フルンゼ実験農場』『コレサラム』
野村進『コリアン世界の旅』
『世界』の「韓国併合100年」特集
尹健次『思想体験の交錯』
尹健次『思想体験の交錯』特集(2008年12月号)
李恢成『沈黙と海―北であれ南であれわが祖国Ⅰ―』
高崎宗司『検証 日朝検証』 猿芝居の防衛、政府の御用広報機関となったメディア
井上光晴『他国の死』