Sightsong

自縄自縛日記

2010年8月、恩納村

2010-10-09 00:03:20 | 沖縄

旧盆の頃、恩納村の民宿に泊まった。バスから降りて歩いていると、エイサーをやっていた。


エイサー PENTAX MX、M40mmF2.8、Tri-X(+2)、ケントメアRC、3号フィルタ使用

翌朝、山のほうへと小道をひたすら歩いた。草が通せんぼをしていた。月桃からは露が滴り落ちていた。そしてほどなくして、フェンスに辿り着いた。向こう側はキャンプ・ハンセンの演習場だ。


通せんぼ PENTAX MX、M40mmF2.8、Tri-X(+2)、ケントメアRC、3号フィルタ使用


月桃の滴 PENTAX MX、M40mmF2.8、Tri-X(+2)、ケントメアRC、3号フィルタ使用


フェンス PENTAX MX、M40mmF2.8、Tri-X(+2)、ケントメアRC、3号フィルタ使用


塔 PENTAX MX、M40mmF2.8、Tri-X(+2)、ケントメアRC、3号フィルタ使用

●参照
<フェンス>という風景(普天間、辺野古、高江)


沙柚『憤青 中国の若者たちの本音』

2010-10-08 00:21:58 | 中国・台湾

今回の反日運動ではまるで自分が責められているかのような息苦しい思いを抱いていた。それは反日そのものよりも、かなりの人たちが、マスメディアと同じ論調で反中を説きはじめたことによるものだったと思う。こうなれば何を言おうとも無駄。

毒入り餃子事件、反日デモ暴動など、過去何年かの間でも同じようなことはあって、共通している点は、中国人とあまり接した体験がない人に限って、まるで国家・国民を一枚岩であるかのように見がちであるという側面だった。実はこれは合せ鏡であり、中国でも、日本人を歴史的抽出、ないしはドラマに出てくる凶暴な軍人というフィルタを通してのみ見て判断する人は確かに多いようだ(ホテルで多くのチャンネルを一巡すると、大概は旧日本軍が登場する)。しかし、実際に接する人たちは、そんなカリカチュア化された極端な人物ではない(もちろん、そうでない場合もある)。良い人たちは多い。当たり前の話である。しかし実は当たり前が当たり前でない、それで息苦しい。

沙柚『憤青 中国の若者たちの本音』(新潮社、2005年)は、そんな中国の断片を数多く見せてくれる。報道されるデモとは無関係に存在する世界。教育やインターネット情報のみによって持つ意見。その中での真っ当な少数意見(あるいは多数意見)。政府への批判と憤り(「上には政策があり、下には対策がある」)。デタラメな行政。カネで解決するシステム。格差。自国の歴史への無反省。愚かな大衆。そして日本軍の蛮行の直接的な記憶。これまで見聴きしたような話も含め、いちいち胸が痛くなってなかなか読み進められない。もちろん、合せ鏡という言葉はここでも生きてくる。

答えはない。今回の件で喜んでいる奴は誰なのか、ポイントはそこである。


『海と山の恵み』 備瀬のサンゴ礁、奥間のヤードゥイ

2010-10-07 00:45:27 | 沖縄

『海と山の恵み 沖縄島のくらし2』(ボーダーインク、2010年)を読む。沖縄本島の古老からの聞き書きであり、本部町備瀬、名護市グスクヤマ、那覇市旭町、国頭村奥間、国頭村安田が取り上げられている。昔の生活についての語りがひたすら興味深い。

備瀬集落沖のサンゴ礁、イノーやリーフ(ピシ)だけでなく、リーフの上の穴やらその先の落ち込む斜面やら、ひとつひとつに名前が付けられている。さらに場所ごとに固有名詞があって、それぞれの場所で採れた魚について何人もの漁師が語りあっている。吃驚である。なかでも興味がある魚は、シジャーグヮーとマットゥー。旨いので「親戚にしか売らない」そうだ。本部の食堂で食べることはできないか。

奥間の山の生活も面白い。先日川遊びをした奥間川上流、琉球大学ワンゲル部の山小屋があるあたりの話である。確かに人が住んでいた住居跡があったのだが、ここは、ヤードゥイ(屋取)という、近世に首里や那覇の俸禄を打ち切られた士族が開墾した集落で、野生のイトバショウがあったという。その後、明治30年ころ、公有林の払い下げがあって、個人所有地になったのだということ。つまり個人の一軒家跡か。

確か東村の宇出那覇も、那覇から来た士族が開墾したからだと聞いたような気がするが、あそこもヤードゥイだったのかな。違うかな。


琉大ワンゲル部山小屋 PENTAX MX、M40mmF2.8、Tri-X(+2)、ケントメアRC、3号フィルタ使用


人家の跡 PENTAX MX、M40mmF2.8、Tri-X(+2)、ケントメアRC、3号フィルタ使用。

●参照
備瀬のフクギ、オオタニワタリ、シロバナセンダン草
やんばる奥間川


やんばる奥間川

2010-10-05 07:47:14 | 沖縄

2010年8月、沖縄県国頭村、奥間川の上流部で子どもたちと川遊び。沖縄で最も高い与那覇岳の近くだが、玉辻山と違い、高くても眺望はない。歩いて頂まで登ることができる玉辻山は、最近ロープだけではなく道として整備されたが、入山制限も行っているようだ。

毎回案内をお願いしているエコガイドのHさんに動植物の説明をうかがっていると、やんばるの特性が出てきて面白い。那覇から北上する途中のスーパーでクワズイモの葉っぱをお供え用に売っていたという話をすると、北部ではそんなことはしない、業者が入ってきているのだろうとのこと。また、糸満でモンパノキからゴーグルを作っていたことが知られているが、やんばるでは、照葉樹フカノキを使っていたという。

川には亜熱帯林の隙間から光が射し込み、実は暗いのに(モノクロを2段増感することにした)、それを感じない空間だった。水が冷たくて気持ちよかった。

※写真はすべてPENTAX MX、M40mmF2.8、Tri-X(+2)、ケントメアRC、3号フィルタ使用。


光が溢れる


縦と横


イルカンダの蔓


イルカンダの蔓


セザンヌ的


ゴーグルを作っていたフカノキ


何かのシダ


ハシカンボクの花


渓流

●参照 やんばるの森の自然
やんばるのムカデ、トンボ、ナメクジ、トカゲ
ヒカゲヘゴ
オオタニワタリ
イタジイ(ブロッコリーの森)
さがり花
チビカタマヤーガサ(尻を拭く)
比地大滝のよなは徹
やんばるのコーヒー
奥間ダム
こっそり作られている林道
新川川の水
玉辻山
鳥飼否宇『密林』
辻真先『沖縄軽便鉄道は死せず』


2010年8月、高江

2010-10-04 23:25:35 | 沖縄

2010年8月、夕刻、沖縄県東村高江。ヘリパッド増設の強行がなされようとしている場所。このことが全国ネットのテレビで放送されたのは、意外にも、姜尚中が高江を訪れた今年のことだった。

私は東村には毎年のように訪れているが、高江まで足を運ぶのは3年ぶりである。座り込みを行うゲートは以前より絞られていた。そして、「N-4」地区では、以前はクルマが出入りする時に米兵ががらがらと開け閉めしていたゲートも、裏側に「NOTICE! 全ての訓練はこの看板の後方のジャングル訓練センターで実施しなければならない」とグリーンベレー向けに書かれた看板も撤去され、ゲートの位置が少し奥まったところに移動していた。


「N-4」地区のゲート Pentax MX、M40mmF2.8、Tri-X(+2)、ケントメアRC、3号フィルタ


韓国の弁護士の声 Pentax MX、M40mmF2.8、Tri-X(+2)、ケントメアRC、3号フィルタ

●高江
沖縄・高江へのヘリパッド建設反対!緊急集会
ヘリパッドいらない東京集会
高江・辺野古訪問記(1) 高江
今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(1)
今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(2)
ゆんたく高江、『ゆんたんざ沖縄』
沖縄県東村・高江の猫小
東村高江のことを考えていよう 


カーラ・ブレイ+スティーヴ・スワロウ『DUETS』、渋谷毅オーケストラ

2010-10-04 00:25:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

カーラ・ブレイ+スティーヴ・スワロウ『DUETS』(WATT、1988年)が好きでよく聴いている。というのも、渋谷毅オーケストラ(渋オケ)が頻繁に演奏していた曲を探して辿り着いたわけで、1990年代半ばに大好きだった渋オケが自分にとっては先である。

それにしても何とも言えないジャケット。このふたりは手をつないで歩いてみたり、ラブラブである(死語?)。やはりデュオによる映像を持っているが、写真などより凄まじい。ピアニストとベーシストがお互いに見つめ合い、目を潤ませ、切ない顔で身をよじらせながら官能的に演奏する。見てはいけないものを見てしまったような気分になるのだ。それに比べれば、CDならば落ち着いて聴くことができる。

ここに収録されている渋オケのレパートリーは、「Reactionary Tango」、「Utviklingssang」(ライヴでは、渋谷さんは大体誤魔化して発音していた)、「Soon I Will Be Done With The Troubles Of This World」の3曲。2曲はカーラのオリジナル、「Soon・・・」のみトラディッショナルをカーラがアレンジしたものである。どれも哀しさと悦びが混じっていて良い曲だ。

渋谷毅が『DUETS』を聴いて演奏しはじめたことは、『LIVE '91』(Carco、1991年)の「Soon・・・」のキャプションにわざわざそう書いてあることでわかる。「Soon・・・」では、石渡明広の蛍光ペン一色のような(と、昔誰かが表現していた)ギター、峰厚介のテナーソロが聴きどころである。この盤には「Reactionary Tango」も入っており、松風鉱一(師匠)のフルートソロを聴くことができる。

「Utviklingssang」は、『酔った猫が低い塀を高い塀と間違えて歩いているの図』(Carco、1993年)に登場する。林栄一のノイズをまき散らす、切ないようなアルトソロが嬉しいところ。

そして「Soon・・・」は、『ホームグランド・アケタ・ライブ』(AKETA'S DISK、1999年)でも演奏している。石渡明広のギターソロはより個性的に聴こえる。また、松風鉱一のバリトンサックスが支えているのも耳が悦ぶ。この曲のあとに、渋谷毅のピアノソロ「Lotus Blossom」で盤が締め括られるのだが、これが切なくて素晴らしく、涙腺さえゆるむ。

聴き比べていると、カーラ・ブレイと渋谷毅に共通点があるような気がしてくる。シンプルなメロディ演奏と絶妙な和音、融通無碍な間、コードを移動して循環するピアノ。ストップ・アンド・リッスン。

渋オケは最新作『ずっと西荻』(Carco、2003年)からも7年も録音していないし、ライヴも月一ではなく少なくなっているようだ。来月は行こう行こうと思いつつ何年も経っている。何だか取り返しのつかないことをしてしまったような気がしている。

●参照
渋谷毅のソロピアノ2枚
浅川マキ+渋谷毅『ちょっと長い関係のブルース』


「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(2)

2010-10-03 12:42:45 | アヴァンギャルド・ジャズ

2010年7月28日、座・高円寺。


原田依幸 Leica M3、Elmarit 90mmF2.8(初代)、PRESTO 400(+2)、ケントメアRC、3号フィルタ


トビアス・ディーリアス Leica M3、Elmarit 90mmF2.8(初代)、PRESTO 400(+2)、ケントメアRC、3号フィルタ


ルイス・モホロ Leica M3、Elmarit 90mmF2.8(初代)、PRESTO 400(+2)、ケントメアRC、3号フィルタ


ルイス・モホロ Leica M3、Elmarit 90mmF2.8(初代)、PRESTO 400(+2)、ケントメアRC、3号フィルタ


トリスタン・ホンジンガー Leica M3、Elmarit 90mmF2.8(初代)、PRESTO 400(+2)、ケントメアRC、3号フィルタ


セルゲイ・レートフ Leica M3、Elmarit 90mmF2.8(初代)、PRESTO 400(+2)、ケントメアRC、3号フィルタ


トリスタン・ホンジンガー Leica M3、Elmarit 90mmF2.8(初代)、PRESTO 400(+2)、ケントメアRC、3号フィルタ


セルゲイ・レートフ Leica M3、Elmarit 90mmF2.8(初代)、PRESTO 400(+2)、ケントメアRC、3号フィルタ

【再掲】

座・高円寺で、「KAIBUTSU LIVES!」を観た。原田依幸(ピアノ)、鈴木勲(ベース)、ルイス・モホロ(ドラムス)、トリスタン・ホンジンガー(チェロ)、トビアス・ディーリアス(テナーサックス、クラリネット)、セルゲイ・レートフ(ソプラノサックス、フルート、小笛)という強力メンバーであり、前回(2007年)に比べると、ベースがヘンリー・グライムスから替わり、さらにセルゲイ・クリョーヒンとも共演したレートフが加わっている。

またしても1時間ずつ2回のフリー・インプロヴィゼーション大会。このような場に居合わせると、嬉しくて心臓の鼓動が激しくなることがある。

レートフは時にチャルメラのようなソプラノサックスを吹きまくり、このメンバーの中でも目立っていた。ディーリアスのサックスは野犬が吠えるようだった。原田依幸のピアノを聴くのは前回以来だが、相変わらずナマナマしく暴れていた。鈴木勲のベースとなるともっと久しぶりだが、ダンディな早弾きソロが存在感を示していた。しかし何といっても、今回素晴らしいと痛感したのは、ホンジンガーとモホロだ。

ホンジンガーのチェロは、祝祭的としか言いようのない奇妙な中間音とメロディーであり、他のプレイヤーのソロに絶妙に斬り込んで行く。アンコールでは高揚してヴォイスで参加していた。そしてモホロは「剛の者」。タイトに張ったタイコに、まるでボクサーのように攻め続けた。モホロの魅力に気が付いたのははじめてかもしれない。

●参照
「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(2007年)
イレーネ・シュヴァイツァーの映像(モホロと共演)
現代ジャズ文化研究会 セルゲイ・レートフ
セルゲイ・クリョーヒンの映画『クリョーヒン』(レートフ登場)
ICPオーケストラ(2006年、ホンジンガー登場)


ポール・オースター『オラクル・ナイト』

2010-10-02 11:04:17 | 北米

出先の福岡で手持ちの本を読み終わってしまい、帰る前に天神のジュンク堂で、ポール・オースター『オラクル・ナイト』(新潮社、原著2003年)を買った。柴田元幸訳、出たばかりだ。羽田への飛行機内ではラーメンと疲れのために泥のように眠ってしまい、大阪上空あたりで目覚めてから読み始めた。いくつものストーリーが絡み合い、頭を整理しながら行きつ戻りつする。

大怪我から生還しリハビリ中の作家シドニー。年上の友人作家トラウズから、ダシール・ハメットが書いた不思議なプロットを聞く。それは、建築現場から自分の数センチ先に梁が落下する話だった。男はこの偶然を天啓とし、家庭に帰らず、別の町で別の人生を一からはじめる。そしてシドニーは、文房具店で買ったポルトガル製の青いノートに、それを発展させた話を書き始める。やはり深夜に散歩中の男ニックは、数センチ脇にビルの置物が落下し、妻を置いて飛行機に乗る。鞄には、知らない人から託された物語『オラクル・ナイト』があった。辿りついた先で、ニックは、戦時中のユダヤ人たちの電話帳など、死者のアーカイヴを整理する仕事を開始する。

物語中の物語、その中の物語。シドニーが物語をノートに書いている途中、彼は部屋から消えている。妻グレースは、ニックの彷徨と同じ夢を見る。なぜかトラウズも全く同じノートを使っている。それだけではなく、他の物語が接近しては消えていく。秘密と謎が交錯する。言葉はオラクル(神託)のように、未来を予見する、あるいは、捻じ曲げる。

複数の無関係に思われる物語がやがて収斂する、マリオ・バルガス=リョサ『緑の家』のような構成とは全く異なり、ここでは、物語は語られ、共鳴し、断絶し、破かれる。読者はその連続と不連続との間に放置される。珍しく、シドニーという語り手自らによる長い注釈も、ひとつの物語の複層構造を支えている、あるいは、梯子を外す。

この作品が、オースター本人が言ったような「室内楽」だとすれば、それぞれの楽器はすべて別の世界から現れ、語りという場での音楽を奏で、またそれぞれ自分の世界に戻っていくかのようだ。そして、やはりオースターの他の作品と同様に、世界は理不尽な裂け目を常に用意している。そこからこちら側の世界に引き戻し、踏みとどまらせるのは「愛」?

まだ30分前に読み終えたばかりで、室内楽の和音と不協和音の余韻が残っている。

●参照
ポール・オースター『ティンブクトゥ』
ポール・オースター『Invisible』
ポール・オースター『Travels in the Scriptorium』
ポール・オースターの『ガラスの街』新訳