荒井英郎と京極高英により監督された映画、『朝鮮の子』(1955年)を観る。
>> 映画『朝鮮の子』
『東京のコリアンタウン 枝川物語』(樹花舎)より
1949年に全国のコリアンの民族学校に廃校命令が出され、東京では同年から都立の朝鮮人学校となった。しかし、1952年4月の講和条約発効により、在日コリアンが「外国人」となり、今度は「外国人」の学校を都民の税金で運営することはないという議論から、1954年10月、都立朝鮮人学校の廃校が決定された。この映画は、その動きに対抗して作られたものだ。なお、その後1955年4月、朝鮮学校として再出発している。
監督の2人はドキュメンタリー畑の存在であったようで、調べてみると、荒井には『われわれは監視する-核基地横須賀』(1975年)、京極には信州の養蚕農家を撮った『ひとりの母の記録』(1955年)という興味深い作品もある。もちろん『朝鮮の子』は組織的なアピールという側面があって製作されたものであり、在日コリアンの団体が名前を連ねている。
ロケは主に江東区枝川の東京朝鮮第二初級学校やその近くの町で行われており、学校の表札は「都立」である。また、地域の重要な存在だったという江東朝鮮人生活協同組合(既に取り壊し)も見ることができる。1953年には「アサヒグラフ」誌が「カメラ”枝川町”に入る」といった仰々しい潜入ルポ的な記事を載せるなどの扱いを受ける地域であった。貧困のため、女性たちがごみ捨て場で屑鉄を拾う様子も捉えられている。
当然ながら、差別社会・日本の様相がドラマとして描かれている。ある女の子は、日本人学校に通っていた時、自分が在日コリアンであることを隠していた。友達と一緒に家に帰ってくると、神戸のお婆さんが来ている。白い上着と長いドレス、舟のような形をしたはじめて見る靴。友達に「あんた朝鮮人だったの」と言われた子は泣きだし、お婆さんを責めたために母親から叱責される。典型的な姿を再現したドラマとは言え切なくなってくる。
学校で「アボジ!」「オモニ!」「ウリハッキョ!」と、黒板に書かれた朝鮮語を元気に復唱する子供たち。自分の子には朝鮮語を教えたいと望む親たち。自然なことであり、今では国際人権法で確立されている考えである。しかし、高校無償化の対象から朝鮮人学校が排除されるなど、日本社会は差別意識をまる抱えしている。
●参照
○『東京のコリアン・タウン 枝川物語』
○枝川でのシンポジウム「高校無償化からの排除、助成金停止 教育における民族差別を許さない」
○道岸勝一『ある日』
○井筒和幸『パッチギ!Love & Peace』
○枝川コリアンタウンの大喜