Sightsong

自縄自縛日記

2004年、大城美佐子

2012-04-15 11:21:20 | 沖縄

2004年9月、那覇の「島思い」にはじめて足を運んだ。大城美佐子先生は深夜12時ころ現れ(店の方が、「ヤマトゥからのお客さんだから絶対に顔を出すように」と美佐子先生に電話してくれたのだった)、深夜4時ころ、歌いはじめた。お店には、わたしと、土建会社の社長だという酔っぱらいのふたりだけだった。

Pentax MZ-3、FA77mmF1.8、Tri-X(+2)、ラボプリント


サインが豪快だった

●参照
OKI meets 大城美佐子『北と南』
大城美佐子&よなは徹『ふたり唄~ウムイ継承』
大城美佐子の唄ウムイ 主ン妻節の30年
代官山で大城美佐子を聴いた
Zeiss Biogon 35mm/f2.0 で撮る「島思い」
Leitz Elmarit 90mm/f2.8 で撮る栄町市場と大城美佐子
高嶺剛『夢幻琉球・つるヘンリー』 けだるいクロスボーダー(大城美佐子主演)
『ゴーヤーちゃんぷるー(大城美佐子出演)
知名定男の本土デビュー前のレコード(大城美佐子との『十九の春/二見情話』、瀬良垣苗子との『うんじゅが情どぅ頼まりる』)


セシル・テイラー『The Tree of Life』

2012-04-14 10:50:20 | アヴァンギャルド・ジャズ

セシル・テイラー来日中止の報。アントワープで2004年、トニー・オクスレーとのデュオを観て以来だと楽しみにしていただけに残念至極である。

ブルーノート東京からのメールには、「アーティスト都合」だと書いてあるだけ。デレク・ベイリーも、スティーヴ・レイシーも、ドロシー・ドネガンも、足を運ぼうと思っていたら突然の来日中止になり、それが最後の機会になってしまったことを思い出す。いやいや縁起でもない、体調が理由でないのを願うのみだ。

そんなわけで、『The Tree of Life』(FMP、1991年録音)を聴く。

ベルリンで行われたソロピアノのコンサートである。なかでも、45分ほどの「Period 2」が白眉。不穏なテーマフレーズを提示し、そこからギラギラと内面反射するクリスタルを思わせる展開を見せては、フレーズに戻っていく。時に静寂とも感じられる時間が訪れ、とてもスリリングでさえある。煌めき、暴力的かつ静謐という相反する矛盾の共存、解体と再構築、何ものかの記憶をたぐり寄せつつ時間を操るセシル・テイラーのピアノを表現することは難しい。何を言おうと、ただの賛辞になってしまう。

このコンサートは、セシル・テイラーによるベルリンへの「ダンケ・シェーン」であった。米国で演奏する機会も意欲も乏しかったテイラーに、自分の世界を表現する契機を与えた場が、1988年のベルリンであり、FMPレーベルからのまとまった作品群となった(>> リンク)。それから数年後のパフォーマンスである。

本CDの解説を書いているマネージャによると、1988年にトニー・オクスレーという存在を見出して以降、テイラーの音は明らかに「欧州」サウンドにシフトしたという。テイラーはテイラー、それを意識したことはなかったが、あらためて、『Unit Structures』(Blue Note、1966年録音)と聴き比べてみると、納得できる点もある。過去の録音に感じられるのは、確かに、米国のジャズという重力場であるように思える。

●参照
1988年、ベルリンのセシル・テイラー
ドミニク・デュヴァル+セシル・テイラー『The Last Dance』、ドミニク・デュヴァル+ジミー・ハルペリン『Monk Dreams』
セシル・テイラー『Dark to Themselves』、『Aの第2幕』
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット
イマジン・ザ・サウンド(セシル・テイラーの映像)


マヤ・デレン『Divine Horsemen』

2012-04-14 00:52:54 | 中南米

マヤ・デレンハイチを訪れて撮ったドキュメンタリーフィルム、『Divine Horsemen』(1947-51年)を観る。

1時間弱の異様なフィルムである。ブードゥー教の祭祀は、それが非日常なのか日常なのかすら判らなくなってくる。定型が無いというのか、あり得ない動きでの踊りが続いていく。しかも彼らは、普通の延長として神と交感し、神と一体化し、白目を剥いている、としか思えない。

様々な神が登場する。中には、アーヴィング・ペン『ダオメ』において記録したレグバ神も紹介される。ペンが訪れたのはアフリカのダオメ共和国(現在のベニン)であったが、この地からハイチに奴隷が送られていたのである。勿論、ブードゥーも同時に海を渡った。

底知れないユーモアもある。巨大な顔の張りぼてをかぶった人びとがねり歩く様子を見ていると、自分の立脚点が何やら危くなってくる。凄まじい魔力なのだ。マヤ・デレンは実験映画作家として有名な存在ではあるが、生贄の儀式をスローモーションで撮っているところに「らしさ」を感じた以外には、連続性は感じられない。マヤ・デレンもこれに魅せられて通い、作家性を発揮する以上に呑みこまれてしまったということなのだろうか。

そして、延々と続くポリリズムのドラミングは陶酔を誘う。ナレーションでは、これがジャズにも影響を与えたとしている。

フィルムの最後には、ジョナス・メカスへの謝辞の文字を見ることができる。メカスがこのフィルムについて何を考えているかと思い、『メカスの映画日記』を開いてみたが、言及はなかった。そういえば、四方田犬彦『星とともに走る』(>> リンク)に、メカスからマヤ・デレンの研究書を貰う場面があった。

●参照
「まなざし」とアーヴィング・ペン『ダオメ』


安部ヨリミ『スフィンクスは笑う』

2012-04-13 00:07:31 | 思想・文学

安部公房の母、安部ヨリミによる唯一の長編小説『スフィンクスは笑う』(講談社文芸文庫、原著1924年)を読む。

愛する女性を親友に譲り、その親友の妹と結婚した男。その事実を知り、嫉妬と怒りに悩まされる妻。男の親友と結婚することができず、失恋の痛みに耐えられず自暴自棄になる女。現在ではあり得ないシチュエーション、小説の前半は退屈と言ってもよい。

安部公房の母という以上の価値はないのかと思いつつ読み進めていると、突然、話がデモーニッシュなものに急転回する。恋人に去られ、仕向けられた相手を愛することもできず、その女は何故か作家志望の男と北海道へと駆け落ちする。貧困と、都会の住民が理想を追って始めた農業の辛さ。そして、駆け落ち前にレイプされた義兄の子を産むや、相手の男は悪魔に変貌する。

唐突に読者を投げ出すように終わる後味の悪さは、安部公房「人魚伝」を思い出させてくれる。公房出産前に書かれ、出産後に刊行された作品である。その意味では、公房の双生児のような小説なのかもしれない。正直、驚いた。

●参照
安部公房『方舟さくら丸』再読
安部公房の写真集


波多野澄雄『国家と歴史』

2012-04-12 06:00:00 | 政治

波多野澄雄『国家と歴史 戦後日本の歴史問題』(中公新書、2011年)を読む。

なぜ、日本は今に至るまで、戦争責任を共通認識として持ちえず、被侵略者への誠実な対応ができないでいるのか。なぜ、愚かな歴史認識を持つ政治家やエセ文化人たちが跋扈するのか(河村・名古屋市長の発言など氷山のごく一角に過ぎない)。本書は、この歪んだ姿に至った歴史的経緯を丹念に示してくれる本である。

指摘されているポイントは次のようなものだ。

○サンフランシスコ講和条約(1951年締結)を経て、日本政府の立場は、「大東亜戦争」を侵略戦争であるとする国際的批判を受容しつつ、その一方で、自ら侵略戦争として認めることはない、という矛盾したものであり続けた。
○それは、国家補償の根拠となり、経済的負担が耐えられないものとなることを是が非でも回避するためであった。
○謝罪や賠償の代わりに、アジア諸国の経済開発への貢献により<贖罪>するのだ、という意識が、政府にも民間にも脈々と広く共有されている。
○犠牲者意識に支えられた平和主義は、リアリティを持ちえなかった。
○平和憲法は、戦争責任を問われた際に示す解として、隠れ蓑のように利用されてきた。すなわち、平和憲法によって過去の戦争は清算されたとみなすものであった。
○責任や賠償を論じる前提として<国籍>が置かれ(憲法も、審議段階で、その対象を人から国民へと変更した)、そのために、朝鮮など植民地支配下の住民、強制連行・強制徴用した住民、慰安婦など、そのカテゴリーから外れた(外された)人びとへの戦後の待遇が理不尽なものとなった。
○日本国内での戦後補償についてもアンバランスである。戦後補償費の98%は軍人恩給であり(2010年)、日本人の軍人・軍属に対する厚遇ぶりは他国に比べて際立っている。
○国家間の取り決めは外交上の処理であり、個人がその被害補償を相手国に請求する権利まで奪うものではないというのが国際法上の解釈である。しかし、日本はこれに極めて冷淡であり続けている。

「1955年6月、戦争責任の問題をあらためて問われた花村四郎法相は、「やがて歴史家がはっきりすべきもの」であり、「戦争の責任が何人にあるのかをせんさくすべく苦労するよりも、戦争を放棄し、これから戦争をやらぬということに全国民が反省することがむしろ望ましいことであり、必要であろう」(1955年6月3日衆議院予算委員会)と答えている。これはその後に続く、政府答弁の一つの典型である。」

歴史を健忘し、指弾する者があれば過剰に自己防衛し、そのうち戦責任を問う声が出なくなるまで持ちこたえようとする態度は、まともなものではない。自らを裁く態度でない限り、開き直る者が出てきても当然だと言える。

沖縄の「集団自決」に関する教科書検定の経緯に関する書きっぷりには若干の不満もあるが、良書である。

●参照
高橋哲哉『戦後責任論』
柄谷行人『倫理21』 他者の認識、世界の認識、括弧、責任
鈴木道彦『越境の時 一九六〇年代と在日』
尹健次『思想体験の交錯』


安部公房『方舟さくら丸』再読

2012-04-10 01:36:12 | 思想・文学

ふと思い出して、安部公房『方舟さくら丸』(新潮社、1984年)を再読する。わたしの最も愛する小説のひとつである。

中学生のときに『壁―S・カルマ氏の犯罪』を読んでしまってからすっかり安部公房の世界に引きずり込まれてしまっていたが、このような化粧箱入りハードカバー本を気軽に買うような小遣いは、もちろんなかった。高校1年か2年生のときだから刊行から数年後のこと。同級生に、いや読みたい本があるんだけど図書館にも置いていないんだよね、などと話していると、たぶん俺の親父が文学好きだから家にあるかもしれないぞ、との信じられない言葉。そして彼は翌日本当に持ってきてくれた。期待をはるかに上回る面白さに何度も読んでしまい、なかなか返さなかった記憶がある。

その後、文庫本にもなってやはり繰り返し読んだが、数年前に古本屋で初版本を見つけ、感激して入手した(古い作品でもないから、初版の価値などないんだろうね)。結局、何度この傑作を読んだのだろう!

街くらい余裕で入るほど巨大な、既に棄てられ忘れられた石切り場。社会への適応力を欠く「もぐら」は、まるで自己の延長のように、この巨大空間の唯一の主=船長として棲息していた。彼にとって、ここは核戦争が起きても生き延びうるシェルターになるべき場所だった。来るべきその時の同乗者には「生き延びるための切符」を渡すつもりだったが、結局は、昆虫屋とテキヤの男女を闖入客として迎え入れることになってしまう。しかし、ここを知っているのは彼らだけではなかった。毎夜軍歌を合唱しながら街を掃除する老人たちの「ほうき隊」、不良少年たちの「ルート猪鍋」といった連中までも、組織的論理と殺意と友情をもって入り込んでくる。「便器」に吸い込まれた「もぐら」は、ヴァーチャルな核戦争を勃発させる。

奇妙な寓話というには、想像力が飛翔しすぎている。その一方で、この怪物的な現実世界の重力も横溢した作品である。重力を逃れ、反重力的な個人と自由をこれ以上ない形で求めた筈が、何故だか、国家という最終権力へと収斂する展開には、慄きすら感じさせられる。また、死体であろうと六価クロムであろうとすべてどこかへと流し去ってくれる「便器」というアイデアは素晴らしく、その彼岸への入り口に、女の魅力に調子を狂わされた「もぐら」の足が吸い込まれ、その痛みによって全ての幻想が無化されていくように思える。

そして、ラストに至り、現実世界は実体を失う。これは本当に怖ろしい。わかってはいても、読後しばらくは動悸が続くのだ。

さすがに勅使河原宏をもってしても映画化はできなかったであろう。あるいは、CGで石切り場を再現し、実相寺昭雄にこの世界を再現してほしかった。

●参照
安部公房の写真集


エンリコ・パレンティ+トーマス・ファツィ『誰も知らない基地のこと』

2012-04-09 00:27:44 | 沖縄

エンリコ・パレンティ+トーマス・ファツィ『誰も知らない基地のこと』(2010年)を観る。原題は『Standing Army』、すなわち常備軍のことであり、この存在が軍産複合体という産業・政治構造を絶えず形成し続けている、というわけだ。

沖縄の普天間、辺野古、高江。英米が手を握って島民全員(!)を追い出したディエゴ・ガルシア。イタリアにある世界遺産の街、ビチェンツァ。コソボのボンドスティール

改めて驚かされるのは、常駐する米軍内部とその地とのあまりにも大きい温度差だ。故郷を追われて英国やモーリシャス(マダガスカルの東に浮かぶ島)で暮らす人びとの怒りとは対照的に、米軍内部では、米兵向けに、サンゴ礁からなるこの島を、リゾート的な場所だと軍内部で宣伝するヴィデオを作成している。コソボでは、基地内の映画館やゲームセンター(ゲリラ戦の!)などレクリエーション施設を紹介したあと、米兵は、これは正義のため将来のためなのだと哀しくなるほどよどみなく述べる。故アレン・ネルソン氏は、自らの沖縄駐留時の体験から、戦闘の専門集団たる米兵にとって地元民は影のようなもの、考えていることは酒と女と喧嘩だけだと断言する。

このことは、沖縄のフェンスを上空から俯瞰した映像で実感される。人間の眼の高さからのフェンスは、既に風景と化している。

一方、この理不尽な暴力に抗う人びとがいる。辺野古では東恩納琢磨氏が、高江では伊佐真次氏らが登場し、なぜ抵抗するのか、どこに理があるのかを説く。勿論、その真っ当な姿は、いかにも立派な正論らしきことを恥かしげもなく述べるヒラリー・クリントンや基地の米兵に比べるまでもない。

映画には、チャルマーズ・ジョンソンノーム・チョムスキーらも登場し、アメリカという帝国が如何に異常であり、ソ連崩壊後に敵を生み出し続けてきたかを指摘する。そして、湾岸戦争(1991年)、ユーゴ内戦(1991-2000年)、アフガン戦争(2001年)、イラク戦争(2003年)など大きな戦争の後には、必ず、周辺地域において基地は増殖しているのだという。

常に戦争ごっこと戦争を行い続けなければアメリカ帝国は存続できず、日本はその一端を担っている。メッセージは極めてシンプルであり、かつ正鵠を射ているのだ。


ジュゴンの見える丘から大浦湾の方向を眺める(2007年) Pentax LX、FA★24mmF2.0、Provia 400X、DP

●参照
辺野古の似非アセスにおいて評価書強行提出
由井晶子『沖縄 アリは象に挑む』
久江雅彦『日本の国防』
久江雅彦『米軍再編』、森本敏『米軍再編と在日米軍』
『現代思想』の「日米軍事同盟」特集
終戦の日に、『基地815』
『基地はいらない、どこにも』
前泊博盛『沖縄と米軍基地』
屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
渡辺豪『「アメとムチ」の構図』
○シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(1)(2)(3)(4)(5)(6
押しつけられた常識を覆す
『世界』の「普天間移設問題の真実」特集
大田昌秀『こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題―最善・最短の解決策』
鎌田慧『沖縄 抵抗と希望の島』
アラン・ネルソン『元米海兵隊員の語る戦争と平和』
二度目の辺野古
2010年8月、高江
高江・辺野古訪問記(2) 辺野古、ジュゴンの見える丘
高江・辺野古訪問記(1) 高江
沖縄・高江へのヘリパッド建設反対!緊急集会
ヘリパッドいらない東京集会
今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(1)
今こそ沖縄の基地強化をとめよう!11・28集会(2)
ゆんたく高江、『ゆんたんざ沖縄』


ジム・ジャームッシュ『リミッツ・オブ・コントロール』

2012-04-08 00:50:15 | ヨーロッパ

ジム・ジャームッシュ『リミッツ・オブ・コントロール』(2009年)を観る。amazonで、このDVDが5ドルで投げ売りされていたのだ(念のため、リージョンコードは異なる)。

主人公の「孤独な男」は、何らかのミッションを負って行動している。この男はヘンな奴で、カフェでは必ず2杯のエスプレッソを注文する。間違えてダブルサイズのエスプレッソを持ってこられたときには厳しく拒むほどのこだわりだ。

ミッションの遂行にあたって会う奴らもいちいちヘンで、まず何かと自分の趣味や嗜好についてどう思うか、「孤独な男」に訊くのである(皆、最後に「by any chance?」と付けるのが笑える)。それは「楽器」であったり、「絵画」であったり、「映画」であったり、「セックス」であったり、「科学」であったり。

そして、事あるごとに、運命的なフレーズが飛びだす。「自分が他人よりビッグだと思っているような奴は/墓場に行かなければならない/彼らはそこで人生について知るだろう/それは一つかみの土くれに過ぎないということを」、と。また、「宇宙には中心も、端もない」と。この運命の流れは、ミッションの伝達のため会う奴らと赤と緑のマッチ箱を交換し、折りたたまれて中に入っているメモを読んだあと、「孤独な男」が、エスプレッソで呑みこむことを繰り返すのを見せられるうち、悪夢的に観る者に刷り込まれていく。

場所はスペインのマドリッドやセビーリャである。わたしはマドリッドにしか行ったことがないが、あの石畳の狭い坂道を見ていると嬉しい気持ちになってくる。「孤独な男」がたびたび訪れるのはマドリッドのソフィア美術館、パブロ・ピカソの「ゲルニカ」やゲルハルト・リヒターの作品を収蔵しているところだ。ここで、ホアン・グリスのキュビズムによるヴァイオリンの絵を観たあとにギターを抱えた男と接触したり、ロベルト・フェルナンデス・バルブエナの女性ヌード画を観たあとには部屋に裸の女性が待ち構えていたり、ぼろ宿の家具を凝視したあとにそれに似たアントニ・タピエスの抽象画を観ることとなったり、もうすべてが奇妙に必然的なのだ。

独特な書き割的な画面構成や、奇妙な事件の連続に、ジャームッシュらしいなとそれなりに愉しんで観ていたのだが、映画の最後になって、実はそんなものではないことに気付く。体系的でないもの、多様なものを無意味だと切って棄てる権力者(ビル・マーレイ!)の暗殺こそが、「孤独な男」のミッションであったのだ。そして、彼が出遭うヘンな奴らこそ、汲めども汲めども尽きない多様な世界の象徴、有象無象であったのだ。突然に、激しく感動させられてしまった。映画の締めくくりには、大きく「NO LIMIT NO CONTROL」と表示される。ジャームッシュ万歳。

この意図は、DVDに併録された「Behind Jim Jarmusch」という内輪映像におけるジャームッシュの発言からもよくわかる。ジャームッシュは、「俺はたくさんの音楽や映画を知っている。それでも、知らないものがどんどん出てくる。これが嬉しいんだよ」と。

途中で登場する「ブロンド女」の発言についても示唆がある。彼女は、うっとりとして、特にオーソン・ウェルズ『上海から来た女』が好きだと「孤独な男」に呟くのだが、実は、オーソン・ウェルズが最も好きな街はセビーリャであった。ジャームッシュは、セビーリャへの旅からニューヨークに深夜戻り、テレビを付けたところ、そう喋るウェルズの姿を見たのだという。偶然は面白いが、それをこのような映画にして見せてくれるジャームッシュはもっと面白い。

●参照
2010年2月、マドリッド
テート・モダンとソフィアのゲルハルト・リヒター
北井一夫『西班牙の夜』


1988年、ベルリンのセシル・テイラー

2012-04-07 16:24:44 | アヴァンギャルド・ジャズ

1988年の6月から7月にかけて、セシル・テイラーはベルリンに滞在し、多くのライヴをこなしている。そのときの記録が、FMPレーベルから出ている10枚組CD『Cecil Taylor in Berlin '88』である(>> リンク)。これが世に出たころ、ディスクユニオンの壁に飾られているのを見ては、ああ欲しいなあ、高いなあ、などと思い続けていた。そのうちに姿を消してしまい、結局手元にあるのは、バラで購入した2枚のみだ。実はまだ欲しい。

■ セシル・テイラー+トリスタン・ホンジンガー+エヴァン・パーカー『The Hearth』

Cecil Taylor (p)
Tristan Honsinger (cello)
Evan Parker (ts)

約1時間のインプロヴィゼーション一本勝負。テイラーの煌めくピアノの中を、ではなく、テイラーのピアノ、ホンジンガーのチェロ、パーカーのテナーサックスの三者が押したり引いたり、絡んだり離れたりして、実にカラフルで有機的な音空間を形成する。パーカーの唯一無二のサックスはもとより、ホンジンガーの精力的なアルコも様子を見るようなピチカートも素晴らしい。

■ セシル・テイラー+デレク・ベイリー『Pleistozaen mit Wasser』

Cecil Taylor (p)
Derek Bailey (g)

30分前後の2セッションから成る。第一セッションでは、ベイリーのアコースティック・ギターが響く中、おそらくはダンスしたり、詩を詠んだり、ピアノの弦を弾いているのだろう、テイラーの動く様子が伝わってくる。こればかりは実際のパフォーマンスを観てみたいところだ。映像は残されていないのだろうか?

そして第二セッションでは、遂に椅子に座ったテイラーと、エレキギターを弾くベイリーとが最強のインタラクションを見せる。それにしても、ベイリーの音色の多彩さには改めて驚かされる。ギターソロ演奏とはまるで異なるのだ。生前に一度も生の演奏に接することができなかったのは残念でしかたがない。最後のチャンスは新宿ピットインでのライヴで、大友良英とのデュオ、吉沢元治とのデュオの2日分を予約して期待していたのだが、本人の体調不良で来日中止となってしまったのだった。

今月には久しぶりにセシル・テイラーが来日する。前回はいろいろあって観に行かなかったので、わたしにとっては、2004年にベルギーのアントワープにおいて、トニー・オクスレーとのデュオを観て以来7、8年ぶりだ。そのときも終電でブリュッセルまで戻らなければならず、演奏を最後まで見届けることができなかった。ひたすら楽しみである。


セシル・テイラーとトニー・オクスレー、アントワープ(2004年) Leica M3, Summitar 50mm/f2.0, スペリア1600

●参照
ドミニク・デュヴァル+セシル・テイラー『The Last Dance』、ドミニク・デュヴァル+ジミー・ハルペリン『Monk Dreams』
セシル・テイラー『Dark to Themselves』、『Aの第2幕』
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット
イマジン・ザ・サウンド(セシル・テイラーの映像)
「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(2007年)(ホンジンガー登場)
「KAIBUTSU LIVEs!」をエルマリート90mmで撮る(2)(2010年)(ホンジンガー登場)
ICPオーケストラ(2006年、ホンジンガー登場)
ネッド・ローゼンバーグの音って無機質だよな(エヴァン・パーカーとのデュオ)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(エヴァン・パーカーとのデュオ)
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』(エヴァン・パーカー参加)
シュリッペンバッハ・トリオの新作、『黄金はあなたが見つけるところだ』(エヴァン・パーカー参加)
ウィレム・ブロイカーが亡くなったので、デレク・ベイリー『Playing for Friends on 5th Street』を観る
デレク・ベイリーvs.サンプリング音源
田中泯+デレク・ベイリー『Mountain Stage』
トニー・ウィリアムス+デレク・ベイリー+ビル・ラズウェル『アルカーナ』
デレク・ベイリー『Standards』


内田康夫『藍色回廊殺人事件』 吉野川第十堰と可動堰

2012-04-07 15:33:13 | 中国・四国

内田康夫『藍色回廊殺人事件』(光文社文庫、原著1998年)を読む。

もともと「浅見光彦シリーズ」にあまり興味のないわたしが読んだのはこれでやっと3冊。姫野雅義『第十堰日誌』(七つ森書館、2012年)において、吉野川第十堰の撤去と可動堰の建設という問題を題材としていると知ったからだ。ここで可動堰建設反対が多数を占める結果となった住民投票(2000年)の前、おそらくは地元で問題がもっとも顕在化していた時期に書かれている。

雑誌ライターの仕事で吉野川や四国八十八ヵ所を取材しているうち、浅見光彦は、時効目前の殺人事件に遭遇する。それを調べているうち、被害者のひとりが、可動堰建設を強く推進する地元土建会社にあって、それが吉野川の治水・利水に必要だとする根拠のデータ捏造に気付いたため殺されたのだということに気付く。地元利権を代表する政治家、激しく建設に反対する住民、土建会社に天下りした中央官僚など、いかにも存在しそうな人物たちが登場して面白い。

また、フィクションではあっても、吉野川をめぐる治水・利水の歴史がさらってあり、これもなるほどと思わせる。江戸時代(約260年前)に造られた第十堰だったが、明治政府がオランダから技術者ヨハネス・デ・レーケを招聘したところから河川の悪しき近代化の歴史がはじまる(デ・レーケは、日本の河川を見て「川ではない、滝だ」という名言を吐いた人物)。デ・レーケは内務省に第十堰の撤去を提案し、それがいつか可動堰に姿を変え、工事のオカネをめぐる欲望と利権の流れとして生き続けてきた、ということである。

そうか、吉野川の南岸に徳島本線と国道ができたために、北岸の発展が停滞し、古い街並みが残っているのか。まだ見ぬ吉野川第十堰、祖谷の渓谷、藍染など、ぜひいつか足を運んでみたいところだ。何しろわたしは四国には数えるほど、しかも北の2県(香川、愛媛)にしか行ったことがない。

「「堰」というから、浅見はふつうの堰堤を想像していたのだが、イメージがまるで違う。長さ百メートルほどの「鬼の洗濯板」のようなものが川幅いっぱいに広がった、途方もないスケールの堰である。堰の上の藍色に湛えられた水が溢れだし、わずかに傾斜した「洗濯板」が七、八段つづく上を清冽な瀬となって、白いしぶきを上げながら流れ落ちる。堰のあちこちにはシラサギが佇んで、魚を狙っているらしい。のどかで壮大な眺めだ。」

●参照
姫野雅義『第十堰日誌』 吉野川可動堰阻止の記録
内田康夫『赤い雲伝説殺人事件』 寿島=祝島、大網町=上関町
日韓NGO湿地フォーラム(2010年)(吉野川の報告)
川で遊ぶ、川を守る~日本と韓国の水辺環境(吉野川の報告)
抒情溢れる鉄道映像『小島駅』(吉野川沿いの徳島本線)


デイヴィッド・マレイ『Live in Berlin』

2012-04-04 23:25:48 | アヴァンギャルド・ジャズ

デイヴィッド・マレイのライヴ映像、『Live in Berlin』(jazzwerkstatt、2007年)を観る。気になりつつ放っておいて数年、中古で発見した。「Black Saint Quartet」名義である。

David Murray (ts, bcl)
Lafayette Gilchrist (p)
Jaribu Shahid (b)
Hamid Drake (ds)

ジャリブ・シャヒドハミッド・ドレイクは「鉄板」のメンバーだが、残念ながら、音のバランスが悪くあまりプレイを堪能できない。むしろ目立つのは、ラファイエット・ギルクリストのピアノである。2006年に亡くなったジョン・ヒックスの後を継いだ形であり、ヒックスのピアノがモーダル、流麗、抒情的であるのに対し、ギルクリストのそれはコード上で音が立ち、ギクシャクとしている。

そしてデイヴィッド・マレイのプレイ。コードから意図してかせずか外れる音色、フラジオ奏法による高音のクリシェ、決して上手いサックス奏者ではないのだろうと思う。しかし、歌手にとって声の個性が最大の武器であるように、この音とフレーズはマレイ独特の個性である。情がこもっていて、湧き出るイメージとエネルギーがあって、ブルージーだ。ジョン・コルトレーンの曲「Giant Steps」にインスパイアされたマレイのオリジナル曲、「Murray's Steps」では、頻繁なコードチェンジの中で繰り広げるマレイのソロに熱くなってしまう。やはりマレイの訴求力はいい。

惜しむらくは、バスクラの演奏が、短い曲「Banished」でしか聴くことができない。何年前だったか、バスクラのソロで新宿ピットインを(文字通り)狂乱の渦に巻き込んだマレイの姿が忘れられない。

●参照
デイヴィッド・マレイ『Saxophone Man』(Black Saint Quartetでの2010年の演奏がある)
デイヴィッド・マレイのグレイトフル・デッド集
マル・ウォルドロン最後の録音 デイヴィッド・マレイとのデュオ『Silence』
マッコイ・タイナーのサックス・カルテット(デイヴィッド・マレイ『Special Quartet』)
ワールド・サキソフォン・カルテット『Yes We Can』


ラルフ・ピーターソン『Outer Reaches』

2012-04-02 00:50:08 | アヴァンギャルド・ジャズ

気がついたら、ラルフ・ピーターソンの新作『Outer Reaches』(Onyx Music、2010年)が出てしばらく経っていた。日本では「Somethin' Else」レーベルの諸作で一時期だけ持てはやされた存在ではあるが、その後のフォテットというグループの作品はシャープで、結構好きなのだ。


Ralph Peterson (ds, tp)
Josh Evans (tp)
Jovan Alexandre (ts)
Pat Bianchi (org)
David Fiuczynski (g)(2曲のみ)

ドラムス、二管にオルガンなんてイイじゃないか、などと思いつつ聴いた。1曲目はウディ・ショウの曲「The Moontrane」、2曲目はモンク曲「Monk's Dream」。何かおかしい、特に後者なんてラリー・ヤング『Unity』(Blue Note、1965年)とまるで同じじゃないか。この2曲だけでなく、やはりショウの曲「Zoltan」と「Beyond All Limits」も共通。

実はグループ名は「Unity Project」であり、まさに『Unity』へのオマージュなのだった。とは言っても、かなりテーマの展開は同じような演奏であり、アドリブになっても本家よりも冴えない。だって、ウディ・ショウ、ジョー・ヘンダーソン、ラリー・ヤング、エルヴィン・ジョーンズなんてそれぞれ唯一無二の個性ばかりであり、真似する時点で勝負はついている。


Larry Young (org)
Woody Shaw (tp)
Joe Henderson (ts)
Elvin Jones (ds)

さらに追い打ちをかけるように、最後の曲「Spectrum」を聴いて耳を疑う。これは、トニー・ウィリアムス・ライフタイム『Emergency』(Polydor、1969年)での同曲の演奏と激しくかぶる。もちろんアドリブになると違うが・・・、この後言いたいことは同じ。まあ、これも元々ラリー・ヤングがオルガンを弾いている。

結論、ココロザシ皆無。フォテットのような好きな演奏では、ラルフ・ピーターソンの攻める一方の人間扇風機・トマソンぶりも嬉しく聴いていられるのだが、こうなると腹立たしい。おっさん、おっさん、あんたがコピーバンドをやってどうするのか。


姫野雅義『第十堰日誌』 吉野川可動堰阻止の記録

2012-04-01 10:47:29 | 環境・自然

姫野雅義『第十堰日誌』(七つ森書館、2012年)を読む。「第十堰」とは、「四国三郎」こと吉野川に約260年前に設置された石積みの堰であり、第十という地に作られたことから命名されている。決して十番目の堰ということではない。河川環境に融和したものであるにも関わらず、また、治水上問題ないにも関わらず、その代わりに可動堰が建設されようとしてきた。本書は、それを阻止してきた力の一端を担った人による記録である。なお著者は、2010年に川での事故により亡くなっている。

八ッ場ダム川辺川ダムに象徴されるように、土木建設を実施するだけのために、自然環境の破壊を顧みず、治水・利水上必要なのだとの虚構を作りあげたダム堰の計画例は多い。長良川河口堰など、実施強行された挙句に案の定の悪影響を出している例も多い(これにより、ゴーサインを出した当時の社会党は存在意義を失った)。

この吉野川可動堰も、「同様に、必要なく、ろくでもない計画であることが見え見えながら、止まらない公共工事」であった。本書を読めば、計画のデタラメさや、それでも進めようとする国家の姿がどうしようもなく見えてくる。悪影響は「作文」により隠し、水位計算などの根拠は都合のよい見せ方や改竄を行い、地元の政治家と利用し合い、民主主義とは正反対の行動を繰り返している、のである。

本来、著者が指摘するように、日本の河川行政は変ってきており、そのまま正しい方向に導かれるべきものであった。明治初期においては、河川の洪水については、一定程度溢れることを認める考え方だった。それが明治15年頃を境に、土地の工業利用を重視したために溢れることを許さないものに変っていく。高度経済成長期になり、1964年に河川法が全面改正され、それまでの治水に利水という大きな目的が加わる。そうして日本中の河川環境は大きく破壊されていった。1997年、新河川法は河川事業に環境保全を義務付ける。しかし、この「開発中心型」から「環境保全型」へのパラダイム転換は、うまくなされない。著者らが主導した徳島市の住民投票(2000年)では、可動堰建設に9割の反対という結果が出た。まさに河川との付き合いという文脈において、マイルストーンとして記録され、記憶されるべきものだったのである。

この前後、地元首長の選挙結果は、必ずしも住民投票(民意)を反映したものとはなっていない。この点は、原発(三重県海山町、山口県上関町)についてであれ、米軍基地(沖縄県名護市、山口県岩国市)についてであれ、全国的に見られる現象である。従って、政治家の常套句である「選挙で民意を問う」というあり方も、そもそも間違いなのではないか、と考えられるべきだ。

ところで、この問題をテーマにした内田康夫『藍色回廊殺人事件』という小説があるという。上関の原発についての『赤い雲伝説殺人事件』(>> リンク)といい、やるなあ内田康夫。読んでみないと。

●参照
日韓NGO湿地フォーラム(2010年)(吉野川の報告)
川で遊ぶ、川を守る~日本と韓国の水辺環境(吉野川の報告)
抒情溢れる鉄道映像『小島駅』(吉野川沿いの徳島本線)
今井一『「原発」国民投票』
被爆66周年 8・6 ヒロシマのつどい(2)(新潟県巻町の原発住民投票)
八ッ場 長すぎる翻弄』
八ッ場ダムのオカネ
八ッ場ダムのオカネ(2) 『SPA!』の特集
『けーし風』2008.12 戦争と軍隊を問う/環境破壊とたたかう人びと、読者の集い(奥間ダム)
ダムの映像(1) 佐久間ダム、宮ヶ瀬ダム
ダムの映像(2) 黒部ダム
天野礼子『ダムと日本』とダム萌え写真集
ジュゴンのレッドデータブック入り、「首都圏の水があぶない」
小田ひで次『ミヨリの森』3部作(ダム建設への反対)
『ミヨリの森』、絶滅危惧種、それから絶滅しない類の人間(ダム建設への反対)


ドーハの蔡國強「saraab」展

2012-04-01 02:47:46 | アート・映画

カタールドーハでちょっと空いた時間に、マターフ(アラブ近代美術館)に足を運び、蔡國強(ツァイ・グォチャン)の新作展「saraab」を観た。先月、やはりドーハで開かれている村上隆の個展会場で、若い男女の学生たちに、是非行くべきだと勧められていたものだ。「saraab」とは「mirage」の意味であるという。

近未来都市ドーハとはいえ、車で20分も走ると空地だらけだ。その砂っぽい場所に、蔡國強の名前が書かれたフェンスが現れると、さすがに非現実感がある。マターフは小奇麗な美術館だった。

扉を押して入ると、そこには数々の文字が彫られた岩。そしてギャラリー内はフォギーで、大きなプールに朽ちかけた木の舟が浮かべてある。蔡の生まれた福建省泉州の港から運んできたものであり、大きなテーマは、蔡にとってのペルシャ湾・ドーハへの旅なのだった。次の部屋には、巨大な古地図様のドローイングがあり、泉州からドーハへの海上の道が描かれている。船乗りたちにとっての道標たる星座模様は、火薬により、焦げている。


「Endless」


「Route」

蔡・ミーツ・アラブ。火薬の焦げにより出現するモスクや、ラクダと隼とが飛翔するインスタレーション、そして圧巻は、焦げたセラミックである。蔡の故郷の近くで採取された中国の土によるセラミックと、中国発祥の火薬との相互作用は、これまで考えつきもしなかったものであり、蔡はこれを「fragile」であるとしている。まさに火の芸術家・蔡の面目躍如といったところか。


「Mosque」


「Flying Together」


「Fragile」

アラブ世界の馬を自身が撮ったフィルムも面白いが、まだ、蔡のフィルムをどう捉えていいのかわからない。それよりも、その次にある「99の馬」という作品はイマジネーションが素晴らしい。墨の馬、焦げる馬、金の飛ぶ馬による陰が、巨大な作品内に同居している。


「Ninety-Nine Horses」

2階では、蔡のこれまでの歩みを紹介している。なかでも火薬を使ったパフォーマンスは圧倒的であり、2008年に原爆ドームの脇で黒い花火を打ち上げたプロジェクト「黒い花火:広島のためのプロジェクト」の映像も観ることができた。

一方、北京五輪開会式において空に浮かび上がった巨大な足跡(張芸謀が演出)の映像を改めて観ていると、複雑な気分にとらわれてくる。勿論作品は素晴らしく、昔から観る者を畏怖させるような力を持つ。しかし、資本を引き連れてではないと成り立たない種類のインスタレーションやパフォーマンス、国家のお墨付きの芸術、それを直視しなければならぬということだ。同じ時期にドーハで開かれている村上隆の個展といい、金持ち国家の姿を如実にあらわしている芸術の受容ではないか、と思ってしまう。

ミュージアムショップには、ロモのトイカメラのコーナーがあり、何と蔡國強オリジナルの「Diana」まで売られていた。巨大資本や権力をバックにした芸術、さらには流通に乗る形での商品化。これは何のためのものなのか。


「Fragile」の火薬使用映像


広島での「黒い花火:広島のためのプロジェクト」の映像


蔡オリジナルの「Diana」

●参照
燃えるワビサビ 「時光 - 蔡國強と資生堂」展
『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』
ドーハの村上隆展とイスラム芸術博物館