Sightsong

自縄自縛日記

マイラ・メルフォード『life carries me this way』

2013-12-21 09:06:58 | アヴァンギャルド・ジャズ

マイラ・メルフォードのソロピアノ『life carries me this way』(firehouse、2013年)を何度も聴いている。

Myra Melford (p)
Don Reich (art)

ソロピアノとは言っても、裏面に記されている名前はふたり。2010年に亡くなった画家、ドン・ライヒの作品に触発された演奏集なのである。

ブックレットには11曲それぞれのタイトルを持つライヒの絵が収録されている。具象に近い抽象画であり、パステルなども使ったあたたかみのあるマチエールである。これらを凝視しながらピアノを聴くと、さらにイマジネーションが拡がっていくようだ。邪道の聴き方ではない。

メルフォードのピアノは昔から独自の曲想を持っている。これまで、ピアノトリオや管楽器とのコラボレーションばかりを聴いてきたが、そのことが、他者の勢いとの相乗効果もあって、尖って突き進むメルフォード像をつくりあげてきた。

ソロでもピアノは尖っている。まるで冷たい石を限りなく広い空間で鳴り響かせているようなときもある。しかし、同時に、聴けば聴くほど、さまざまな風景が出現してくる。

●参照
マイラ・メルフォード『Alive in the House of Saints』 HAT HUTのCDはすぐ劣化する?
ブッチ・モリス『Dust to Dust』(マイラ・メルフォード参加)
ジョゼフ・ジャーマン『Life Time Visions』(マイラ・メルフォード参加)
ヘンリー・スレッギル(5) サーカス音楽の躁と鬱(マイラ・メルフォード参加)


ジョン・カサヴェテス『ラヴ・ストリームス』

2013-12-18 23:52:05 | 北米

ジョン・カサヴェテス『ラヴ・ストリームス』(1984年)を再見する。

1993年頃にはじめて観たときには、殴られたようなショックを覚えた。その後、海外版VHSを入手して大事にもっていたものの、やはり、耐えられずDVDを入手してしまった。

享楽的に生きる弟。離婚して傷つき、心が平衡を保てなくなって弟を頼ってきた姉。ふたりとも希求し、そのために得られないものが愛なのだった。

夜の光のなかで、孤独に耐え、揺れ動くふたりの姿を撮るカメラが素晴らしい。もしかしたら人間の幹こそが孤独であって、目を開けている間の活動なんてすべて誤作動に過ぎないのではないか、とさえ思わせられる。愛を得られないがための狂気など、たかが、誤作動のひとつである。

百年経ってもこの映画の光と闇はまったく損なわれないだろう。

●参照
ジョン・カサヴェテス『こわれゆく女』(1974年)
ジョン・カサヴェテス『グロリア』(1980年)
ACT SEIGEI-THEATERのカサヴェテス映画祭


ミシェル・フーコー『わたしは花火師です』

2013-12-17 07:58:00 | 思想・文学

ミシェル・フーコー『わたしは花火師です』(ちくま学芸文庫、2008年)を読む。フーコーが1970年代に行った講演録集である。

この時期、ちょうど『監獄の誕生』(1975年)を上梓する前後。フーコー思想の幹である権力や知について、語り言葉でわかりやすく述べたものになっている。

とは言え、その言葉が孕む内容は苛烈であり、まさに、フーコー自身が言うように「花火師」のものだ。読んでいて、あまりの面白さに笑い出しそうになってくる。

権力は、あらゆる毛細血管にまで浸透していること。批判とは、権力とのセットで発展してきたこと。権力と知とは対立概念ではなく、互いに交錯して出来あがっていること。それらは体系的・構造主義的・統一的なものなどではないこと。医療も、管理や権力の発展とともに変貌してきたこと。大学や個別の学問が閉ざされた世界において存在していること。

そして、『狂気の歴史』、『知の考古学』、『監獄の誕生』などにおいて問うたことは、18世紀における近代の<しきい>であったこと。

おそらくは、フーコー自身がゲイであったことや、権威や管理に対する憎悪のようなものを考えあわせて彼の思想をとらえることは間違いなのだろう。しかし、人となりは語りから感じられることであり、その上でフーコーの思想を読むことはマイナスにはならない。

それにしても、既存のシナプスのようなものに異議を唱えるあたりには、ジル・ドゥルーズとの共通点を強く印象付けられてしまう。以下の発言など、まさに<逃走線>そのものではないか。

「―――これは終りなき戦争のようなものでしょうか。
 そうだと思います。
―――この戦争で、あなたの敵は誰ですか。
 わたしの敵は人ではなく、むしろディスクールにおいて、できればわたしのディスクールにおいて跡づけることのできるある種の<線>のようなものです。わたしはその<線>から離れたい、その<線>を厄介払いしたいと願っているのです。いずれにしてもこれは戦争なのです。そして戦争では軍隊が道具であるように、わたしのディスクールは一つの道具のようなもの、むしろ一つの武器のようなものなのです。あるいは火薬の詰まった袋のようなもの、火炎瓶のようなものなのです。最初の譬えに戻るならば、これはある花火師(アルティフィシェ)の物語なのですから・・・・・・。」 

●参照
ミシェル・フーコー『狂気の歴史』(1961年)
ミシェル・フーコー『知の考古学』(1969年)
ミシェル・フーコー『ピエール・リヴィエール』(1973年)
ミシェル・フーコー『監獄の誕生』(1975年)
ミシェル・フーコー『コレクション4 権力・監禁』
ジル・ドゥルーズ『フーコー』(1986年)
桜井哲夫『フーコー 知と権力』
ルネ・アリオ『私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』(1976年)


ランディ・ウェストン+ビリー・ハーパー『The Roots of the Blues』

2013-12-14 11:50:54 | アヴァンギャルド・ジャズ

ランディ・ウェストン+ビリー・ハーパー『The Roots of the Blues』(SunnySide、2013年)を聴く。

Randy Weston (p)
Billy Harper (ts)

ずっとアイドルだったビリー・ハーパーと、大地的なランディ・ウェストンとのデュオとあって、ずいぶん楽しみにしていた盤である。過去にも、ハーパーはウェストンのグループで吹いていて、ルーツへの視線において重なり合うところがある。

ハーパーは1943年生まれの70歳、ウェストンは1926年生まれの87歳。ちょっと吃驚してしまうが、個性は薄まっていない。ただ、拍子抜けするほどのリラックスした演奏であり、気心の知れたふたりによるデュオだからなのか、年齢のためなのか、判断しかねるところではある。

それにしても、ふたりとも気持ちのいい音を発する。におい満点、大歓迎である。ハーパーのオリジナル曲は1曲のみ(「If One Could Only See」)、ほとんどはウェストンのオリジナル曲である。それらの演奏も勿論馴染み深くていいのだが、普段聴かないジャズ・スタンダード「Body and Soul」「How High the Moon」「Take the A Train」が意表をついて愉快。

最近のデュオでの来日は去年だったか、京都のみでの演奏ゆえ諦めた。無理してでも行くべきだったか。


ビリー・ハーパー(2009年、新宿サムデイ) Leica M3、エルマリート90mmF2.8、TRI-X(+2)、フジブロ3号


ランディ・ウェストン(2005年、神田明神) ライカM3、ズミクロン50mmF2、Tri-X、フジブロ2号

●参照
ビリー・ハーパー『Blueprints of Jazz』、チャールズ・トリヴァーのビッグバンド
ビリー・ハーパーの映像
ランディ・ウェストン『SAGA』


広瀬正『エロス』

2013-12-14 10:26:06 | 関東

広瀬正『エロス もう一つの過去』(集英社文庫、原著1971年)を読む。

東北なまりが残る大歌手・橘百合子。目が見えない学者・片桐慎一。初老の域に達して偶然再会したふたりは、戦前、恋人同士だった。百合子は、東京で身を寄せる叔父さんの収入が激減し(市電の運転手)、稼ぎのいいヌードモデルをやろうかどうか悩んでいた。とりあえず映画を観に出かけ、その帰りに、自動車に泥水を浴びせかけられてしまう。それが、歌手デビューのきっかけとなった。しかし、仮に映画を観に行かずモデルになっていたとしたら、別の運命があったはずだった。それは、「風が吹けば桶屋がもうかる」的に、歴史をも変えていたのかもしれなかった。

そのようなわけで、百合子の想像からはじまって、小説はヌードモデルとなった百合子という過去のパラレルワールドを、現在の実世界と並行して描いていく。さて、このまま何を落とし所にするのだろうと思っていたら、『ツィス』と同様、最後にやられた。騙された悦びというのかな。

のほほんとした文体は読みやすく、そして、解説で小松左京が指摘しているように、広瀬正は「ディテール」に異常なこだわりを見せる。いま読むと、国家総動員体制が構築され、愛国心が強要されていく展開を、現在の暗雲に重ね合わせずにはいられない。

●参照
広瀬正『ツィス』


ミシェル・フーコー『狂気の歴史』

2013-12-13 07:32:20 | 思想・文学

サウジアラビアへの行き帰りの時間に、ミシェル・フーコー『狂気の歴史』(新潮社、原著1961年)を読む。

16世紀、狂気は「こちら側」にあるものではなかった。それは、ヒエロニムス・ボッシュが「阿呆船」で描いたように、川という境界の「向こう側」へと追いやられるものであり、また別の意味では、無限の拡がりを秘めていた。

やがて、狂気は「こちら側」へと滲出してくる。狂気の側での変容ではない。狂気を位置付け、受容し、あるいは忌避する制度・社会の変容である。そのとき、「理性」と「非理性」とは如何に共存し牽制しあうのか。狂気は「理性」と「非理性」のどちら側に身を置くのか。

フーコーは、無数の政治文書、文学、医学書といったアーカイヴからそれを執拗に追っていく。内容だけでなく、何のアーカイヴにおいて狂気が論じられているかも、狂気がその時代で置かれた場を示すものであった。

狂気の原因を視る視線が、身体的異変から精神へとシフトしていった。あるいは、ヨーロッパ的・近代的な倫理と関連付けられた。あるいは、倫理によって狂気が断罪された。あるいは、監禁された(監禁対象はハンセン病患者から狂人へと移行した)。あるいは、監禁の対象として、犯罪者との差別化が図られた。

表現の手段としては、「理性」に対峙しうる強度を持った「非理性」として、ニーチェやワイルドやゴッホといった者の手により閃光のように登場してきたものの、やがて、狂気は、「客観」の対象になり下がってしまう。

一度の通読などだけでは、容易にフーコーの語りを受けとめられないほどの厚みを持った本である。別の語りを経て、また本書に戻ってこなければならない。 

●参照
ミシェル・フーコー『知の考古学』(1969年)
ミシェル・フーコー『ピエール・リヴィエール』(1973年)
ミシェル・フーコー『監獄の誕生』(1975年)
ミシェル・フーコー『コレクション4 権力・監禁』
ジル・ドゥルーズ『フーコー』(1986年)
桜井哲夫『フーコー 知と権力』
ルネ・アリオ『私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』(1976年)


ジョニー・トー(19) 『名探偵ゴッド・アイ』

2013-12-11 23:34:04 | 香港

香港からリヤドに向かう機内で、ジョニー・トーの最新作『名探偵ゴッド・アイ』(2013年)を観ることができた。原題は『盲探(Blind Detective)』だが、このようなおかしな邦題になったのは、「盲」を使えない日本の事情によるものだろう。改悪であることは間違いない。

全盲の探偵(アンディ・ラウ)。彼は数年前に視力を失ったが、それを受け入れ、さらに凄腕の探偵と化している。彼が使う武器は、鼻(嗅覚)だけではない。事件の被害者や加害者と同じ環境に身を置くことによって、ほとんど妄想に近い想像力を働かせ、事件の真相に迫っていく。

奇怪な手法を使うがゆえに言動がエキセントリックな刑事・探偵が登場するという設定は、これまでのジョニー・トー作品にもあった。『暗戦/デッドエンド』(1999年)も、その続編『デッドエンド/暗戦リターンズ』(2001年)もしかり。そして、『MAD探偵』(2007年)は、まさに想像力で事件の当事者に移入し、幻視するという物語だった。

話が飛びまくり、やがて事件の解決と愛の成就につながっていくストーリー展開も、やはり、過去の作品を想起させる。従って、とても面白く工夫が凝らしてはあるが、従来のジョニー・トー世界の中にとどまっており、嬉しいサプライズはない。要は、デジャヴ感満載なのだ。これだけを観れば、傑作なのだろうけど・・・。

●ジョニー・トー作品
『ドラッグ・ウォー 毒戦』(2013)
『高海抜の恋』(2012)
『奪命金』(2011)
『アクシデント』(2009)※製作
『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』(2009)
『スリ』(2008)
『僕は君のために蝶になる』(2008)
『MAD探偵』(2007)
『エグザイル/絆』(2006)
『エレクション 死の報復』(2006)
『エレクション』(2005)
『ブレイキング・ニュース』(2004)
『柔道龍虎房』(2004)
『PTU』(2003)
『ターンレフト・ターンライト』(2003)
『スー・チー in ミスター・パーフェクト』(2003)※製作
『デッドエンド/暗戦リターンズ』(2001)
『フルタイム・キラー』(2001)
『暗戦/デッドエンド』(1999)
『ザ・ミッション 非情の掟』(1999)


ペーター・コヴァルト+ヴィニー・ゴリア『Mythology』

2013-12-07 23:10:23 | アヴァンギャルド・ジャズ

ペーター・コヴァルト+ヴィニー・ゴリア『Mythology』(kadima collective、2000年)を聴く。

Peter Kowald (b)
Vinny Golia (woodwinds)

ペーター・コヴァルトのベースを、わたしは勝手に絹の音だと思っている。ゆったりと構えているときも、激しくスピーディなアタックをみせるときも、いつも、まるで弦が無数の絹で出来ているような印象を受ける。

ここでも、ヴィニー・ゴリアがクラリネット、バスクラ、フルート、サックスと、木管楽器を持ち替えては繰り出すさまざまな音色を受けて、絹の音で相対する。素晴らしいと思う。

ゴリアはマルチ・インストルメンタリストとして活動している人なのだろうか。ヴェテランのようだが、この盤ではじめて演奏を聴いた。まだ、個性をつかめないでいる。

●参照
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ
A.R.ペンクのアートによるフランク・ライト『Run with the Cowboys』コヴァルト参加)
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(コヴァルトのインタビュー)
横井一江『アヴァンギャルド・ジャズ ヨーロッパ・フリーの軌跡』


宇崎真、渡辺也寸志『テレサ・テンの真実』

2013-12-07 19:25:56 | ポップス

八重洲の古本屋で見つけ、衝動的に、宇崎真・渡辺也寸志『テレサ・テンの真実』(徳間書店、1996年)を買って読んでしまう。

テレサ・テン、本名・鄧麗君が、タイのチェンマイで急死したのは1995年のこと。まだ42歳の若すぎる死だった。あまりにも唐突だったこともあり、暗殺説やエイズ説までもが流れた。

知らなかったが、テレサの死をめぐる謎について、TBSのテレビ番組が同年に放送されたらしい。本書は、その取材をもとにして書かれている。したがって、展開はあまりにもテレビ的であり、「次にわれわれはここに飛んだ、じゃじゃーん」といったつくり。いま読むにはちょっと辛い。

内容も中途半端な憶測にとどまっている。曰く、テレサは台湾のスパイであった。テレサの両親は国民党であったため中国本土から台湾に渡った「外省人」だったのだが、同様に、チェンマイにも中国から逃れた人々がいた。テレサが喘息の療養には適していないチェンマイに通ったのはそのためである―――と。しかし、そこで何をしたのかにはまったく触れられていない。

もっとも、目くじらを立てるほどのことでもない。アジアの歌姫、鄧麗君をまた聴こうという気にさせてくれたのでよしとする。

●参照
私の家は山の向こう
私の家は山の向こう(2)
楊逸『時が滲む朝』


豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』

2013-12-06 08:04:31 | 政治

豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫、2008年)を読む。

敗戦後すぐに、昭和天皇は、連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーとの話し合いを開始した。会見は半年に1回の密なペースで、全11回にも及んだ。

本書は、その際の記録を丹念に発掘し、紐解きながら、戦後日本の政治体制を形成した会見の内容がどのようなものであったのかを明らかにしている。その過程では、記録の公表圧力も隠蔽圧力もあった。もし特定秘密保護法が成立すれば、このような仕事はなされえなかっただろう。その場合、私たちは、「天皇は戦争を押しとどめることができない立場にあった」、「マッカーサーを感激させるほどの平和主義者であり、自分自身を犠牲にしても国を護ろうとした」といった言説から脱することができなかったのだろう。

ここで明らかにされるのは、たとえば、以下のような内容である。

○敗戦までに昭和天皇が政治介入したのは、ニ・ニ六事件での鎮圧と、無条件降伏だけだと言われる。しかし、実際には、より積極的に戦争に関する方向性を示していた。
○マッカーサーは、当初、日本をスイスのような中立国とする意図を持っていた。
○それを米国による安保体制構築に変えた力は、昭和天皇による積極的な米国側へのオファーであった。それは、中ソの共産主義や国内の革命により、天皇制が崩壊することへの恐怖に他ならなかった。
○そのために、戦争の直接的な責任は東条英機にかぶせられることとなった。実状は、東条は昭和天皇の「忠臣」であった。
○沖縄は、安保体制構築のために、昭和天皇の意思として米国に提供された(「天皇メッセージ」)。それだけでなく、北海道がソ連に対する防護壁として弱いことも懸念していた。

太田昌国氏も必読書として挙げている本である。ぜひ一読をすすめたい。もちろん、ここから何を読みとるのかは読む者にかかっている。

●参照
豊下楢彦『「尖閣問題」とは何か』
太田昌国の世界「60年安保闘争後の沖縄とヤマト」
60年目の「沖縄デー」に植民地支配と日米安保を問う


ヴェルナー・ルディ『気』

2013-12-04 23:52:56 | アヴァンギャルド・ジャズ

ヴェルナー・ルディ『気』(Intakt Records、1995-96年録音)。ずっと気になっていた盤を中古で見つけた。

Werner Ludi (M1: bs、M2: bs,as)
William Parker (M1: b)
山内テツ(M2: b)
羽野晶二(ds)

実は来日時に聴きに行きたかったが、行けなかった。2曲目の演奏は、まさにそのとき、1996年に新宿ピットインでなされている。

聴きどころは、ウィリアム・パーカーのあらゆるものを持つベースと、強烈な轟音で音楽全体を躁の状態に持っていく山内テツのベースとの、違いすぎるほどの違い。ぼさぼさの弦を思わせるノイズたっぷりのルディのサックスも、ふたりのベースそれぞれに反応している。

年末に山内テツの音を聴いていると、どうしても、浅川マキのライヴの光景が蘇ってくる。


浅川マキ+山内テツ(2002年) Canon IVSb改、Canon 50mmF1.8、スペリア1600


神谷千尋『ウタ織イ』

2013-12-02 23:43:09 | 沖縄

気が付かないうちに、神谷千尋の新譜『ウタ織イ』(SINPIL RECORDS、2012年)が出ていた。慌てて入手して聴いている。

『美童しまうた』(2003年)は、民謡とポップスとが絶妙に組み合わさった名作だと思っている。『ティンジャーラ』(2004年)、さらにそのあとの吹き込みでは、どんどんポップス色が強くなっていき、こちらの聴きたい神谷千尋ではなくなってしまった。

そんなわけで、注目しないでいたために気付かなかったようなものだが、ここにきて『美童しまうた』のような民謡とポップスとのブレンド率。これは嬉しい。

それにしても、この人は唄が冗談でないほど上手い。乾いた声というべきなのかもしれないが、技巧で潤いも湿りも加えられていて、聴き惚れてしまう。「ケーヒットゥリ節」や「浜千鳥」などの沖縄民謡もオリジナル曲もいい。

面白いのは、曲によって相方をつとめる弟の神谷幸昴。若いはずなのに、妙にとぼけてお爺さんのようないい声。さすが、津堅島の神谷一族。


神谷千尋(2006年) Leica M3、Summicron 50mmF2、Tri-X、フジブロ2号

●参照
さがり花(『美童しまうた』)
松島哲也『ゴーヤーちゃんぷるー』(『ティンジャーラ』)


鬼海弘雄『眼と風の記憶』

2013-12-02 08:02:45 | 東北・中部

鬼海弘雄『眼と風の記憶 写真をめぐるエセー』(岩波書店、2012年)を読む。

写真は誰にも撮ることができる。そのために、却って、尋常でないほどの時間と精力と意思とを吸い込まれるものだと、この写真家は言う。「写真が写らない」ことを知ったときから、写真家としての旅がはじまったのだ、とも。

必然的に、インドであろうと、トルコであろうと、浅草であろうと、時間効率でいえば無駄にも見えるほどの長い時間を費やして、あの作品群が生み出されている。写真としてのアウラは、時空間の蓄積でもあったのだ。その原点には、東北の農村があった。納得である。

悩んだ末に書かれているというテキストは非常に味わい深い。

●参照
鬼海弘雄『東京ポートレイト』
鬼海弘雄『しあわせ インド大地の子どもたち』
鬼海弘雄『東京夢譚』


伊藤ルイ『海の歌う日』

2013-12-02 00:01:57 | 九州

伊藤ルイ『海の歌う日 大杉栄・伊藤野枝へ―ルイズより』(講談社、1985年)を読む。

故・伊藤ルイ(ルイズ)は、大杉栄伊藤野枝の娘である。この両親は、ルイ幼少時に、軍部(甘粕正彦)により、1923年の関東大震災直後に虐殺された。そのため、ルイは福岡において祖母・伊藤ムメに育てられた。松下竜一の名作『ルイズ 父に貰いし名は』(1982年)は、祖母のことを書くという条件で取材を受けている。

本書は、さまざまな思いを綴ったエッセイ集であり、ルイ独特の文体もあり、読む者も行きつ戻りつする思索や回想につきあうこととなる。

ルイは、その出自のこともあり、小さいころから大人たちの差別的な扱いを受けてきた。そのためもあって、自分の「特別」な両親のことは意識上も対外的にも回避していたが、次第に、そのことを受け容れてきたという。それは、差別を受け、自らのルーツを知るために勉強し、そして社会運動にかかわり、権力のからくりを直視し続けたからにほかならない。

甘粕事件のとき、大杉栄の甥にあたる橘宗一少年も、同時に無惨にも殺されている。その父親・橘惣三郎は、宗一の墓石に、「大正十二年(一九二三)九月十六日ノ夜大杉栄、野枝ト共ニ犬共ニ虐殺サル」と書いた。晩年のルイの姿を撮ったドキュメンタリー映画、藤原智子『ルイズその旅立ち』(1997年)には、名古屋の寺の藪の中にその墓石があることを知りながら、住民たちが軍部に知らせることもなく、戦後まで隠しおおせたのだということがわかる場面がある。

そのことを胸に抱き、ルイは、沖縄戦において新垣弓太郎なる人物が、日本兵に撃ち殺された妻のために「日兵逆殺」と記した墓を確かめるため、沖縄を訪れている。しかし、その甥にあたる人物は、既に、「沖縄と日本とがひとつになってやっていかなければならないときに妨げになる」という理由で、墓を打ち壊してしまっていた。ルイは、愕然として、次のように言う。まさに、歴史修正主義の臭い風が吹くいま、発せられるべきことばでないか。

「そうではなくて、戦争という状況のなかで、人間が無思慮に暴力を使い、人を殺したあと、その暴力を使ったことによって、人間がどのように堕落していくものであるか、それは人間が人間でなくなる、そういう恐ろしさを私たちに教える証拠として、それを残しておいていただきたかったのです。」


オーネット・コールマン集2枚

2013-12-01 10:18:02 | アヴァンギャルド・ジャズ

『the golden circle』(Jando Music、2013年)というアルバムを聴いている。勿論、オーネット・コールマンがかつて有名なライヴを行った場所からグループ名を取ったものであり、オーネット集である。

Rosario Giuliani (sax)
Fabrizio Bosso (tp)
Enzo Pietropaoli (b)
Marcello Di Leonardo (ds)

トランペットを吹くファブリッツィオ・ボッソしか知らないが、みんなイタリア人なのかな。

オーネットの名曲「Congeniality」からはじまり、「Peace」や「Lonely Woman」などをまじえた構成は、オーネットへのリスペクトに満ち満ちている。しかし、ここで展開される演奏はあまりにもストレートである。ときにはトラディッショナルな芸さえもみせる。すなわち、爽快ではあるが変態的ではない。

あらためて、アルド・ロマーノ『To be Ornette to be』(EMI、1989年)を取りだしてみる。

Aldo Romano (ds)
Franco D'Andrea (p)
Paolo Fresu (tp, flh, YAMAHA SPX90)
Furio Di Castri (b)

のっけから、ベースもピアノもうねうねとしたソロで自己を主張しまくる。パオロ・フレスのトランペットの存在感は大きく、エフェクターSPX90を使ったのだろうか、同時吹きもみせる愉しさ。やはり、こうでなくては。逸脱がなければオーネット的ではない。

そしてアルド・ロマーノのマニッシュなドラミングは個性的。ジャズ・ドラマーに、大きな懐に引き寄せて受けるタイプと、身体の前面で闘うタイプとがいるとしたら、ロマーノは明らかに後者である。バッターで言えば、前さばきが巧かったスワローズの若松勉か(違うか・・・)。いや、がっちりした体躯で、速く重いパンチを出し続けるボクサーか。


アルド・ロマーノ(2010年、パリ) Leica M3、Summicron 50mmF2.0、Tri-X(+2増感)、フジブロ4号

●参照
オーネット・コールマン『Waiting for You』
オーネット・コールマン『White Church』、『Sound Grammar』
シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 オーネット・コールマンの貴重な映像
オーネット・コールマンの最初期ライヴ
コンラッド・ルークス『チャパクァ』
アルド・ロマーノ、2010年2月、パリ