Sightsong

自縄自縛日記

田代俊一郎『沖縄ジャズロード』

2015-11-15 10:26:17 | 沖縄

田代俊一郎『沖縄ジャズロード』(書肆侃侃房、2015年)を読む。

表紙は故・屋良文雄さん。いちどだけ那覇の「寓話」に聴きにいった。お話すると飄々として笑っておられた。ああ、懐かしいな。

この本には、「寓話」だけでなく、那覇やコザや石垣など沖縄のあちこちにあるジャズスポットが紹介されている。ライヴハウスも、ジャズ喫茶も、レコード店も、バーも。わたしが入ったことがあるところは、「寓話」と「インタリュード」だけ。いつかは浦添の「groove」を覗いてみたいなと思ってはいたが、それにしても、こんなにあるなんて。栄町にもこんなにジャズ的な店があったとはまったく知らなかった。

面白いのは、スポットの紹介にとどまっていないことだ。店を切り盛りする人のジャズ観や人生経験が、沖縄という場と交錯している。そこには、東京とはまるで異なる「アメリカ」がある。

次の沖縄行きには必携。

●参照
屋良文雄さんが亡くなった(2010年)
ひさびさのインタリュード(2013年)
いーやーぐゎー、さがり花、インターリュード(2009年)
与世山澄子ファンにとっての「恋しくて」(2007年)
35mmのビオゴンとカラースコパーで撮る「インタリュード」(2006-07年)
2006年10月、与世山澄子+鈴木良雄
与世山さんの「Poor Butterfly」(2005年)


中沢啓治『オキナワ』

2015-11-15 09:57:43 | 沖縄

中沢啓治『オキナワ』(DINO BOX)を読む。

ここに収録された漫画は、『オキナワ』(週刊少年ジャンプ、1970年)、『うじ虫の歌』(漫画パンチ、1972年)、『冥土からの招待』(ヤングジャンプ、1979年)、『永遠のアンカー』(週刊少年ジャンプ、1972年)、『拍子木の歌』(週刊少年ジャンプ、1972年)の5作品。『オキナワ』のみ、沖縄の施政権返還(1972/5/15)の前に描かれている。そして、『オキナワ』『うじ虫の歌』『冥土からの招待』が沖縄戦と沖縄の米軍基地、『永遠のアンカー』が沖縄の米軍基地と広島の原爆、『拍子木の歌』が広島の原爆とベトナム戦争を主に題材としている。

『オキナワ』は『はだしのゲン』が「週刊少年ジャンプ」に掲載される3年前の作品である。「琉球新報」(2015/8/4)によると、これは、中沢さんが「沖縄の人たちの気持ちを知りたい」と編集者と共に返還前の沖縄を訪れ、飲食店の店主ら地元住民の取材を重ねた作品であり、その後も「『オキナワ』でもっと描きたいことがあったんだよな」と漏らしていたのだという。

わたし自身は、おそらく『オキナワ』以外の4作品をかつて読んだのだが、『オキナワ』には初めて接する。ここには、沖縄戦において、日本兵が壕から住民を追い出したり、泣き声を出す赤ん坊を殺したりという場面があり、戦争の記憶が沖縄の住民の間に生々しく残っていたことがよくわかる。また、中沢さんは米軍基地に厳しい目を向けながらも、ベトナムに出征する米兵の恐怖や、ベトナムで戦死する米兵の家族の嘆きを同時に描いている。すなわち、広島の原爆と同様に、沖縄戦と沖縄差別、ベトナム戦争といったものが、たんなる過去の記憶だけではないリアルとして提示されていたのだった。

●参照
『はだしのゲン』を見比べる
岡村幸宣『非核芸術案内』


オリン・エヴァンス『The Evolution of Oneself』

2015-11-14 09:22:43 | アヴァンギャルド・ジャズ

オリン・エヴァンス『The Evolution of Oneself』(Smoke Sessions Records、2014年)を聴く。

Orrin Evans (p)
Christian McBride (b)
Karriem Riggins (ds)
Marvin Sewell (g) (5,13)
JD Walter (vo) (16)

ギターが2曲、ヴォーカルが1曲で参加しているが、ほとんどはピアノトリオである。

冒頭の「All The Things You Are」から、いきなり、エッジを効かせてドライヴするクリスチャン・マクブライドのベースにやられる。オリン・エヴァンスのピアノは、シンプルでありながらとてもダンディだ。ターンテーブルを偽装した演奏もある。愉しさ満点のビッグバンドだけでなく、小編成のエヴァンスのピアノも良いものだ。

●参照
オリン・エヴァンスのCaptain Black Big Band @Smoke(2015年)
オリン・エヴァンス『"... It Was Beauty"』(2013年)


三留理男『大木よね 三里塚の婆の記憶』

2015-11-14 08:28:49 | 関東

三留理男『大木よね 三里塚の婆の記憶』(田畑書店、1974年)を読む。

1966年、佐藤政権は三里塚を空港建設の場所として決定した。それはあまりにも一方的であり、どけと言われた住民は強く反発した。これが大きな反対闘争となっていったのは、強権的な方法であったことに加えて、個々の人生は経済や産業といった大きな目的に劣後するという大前提を許せないと考えた者が多かったからでもあるだろう。三里塚だけでなく、このあり方は今に至るも変わっていない。

もっとも、故・大木よねさんにとって、反対する理由はもっと感覚的なものであった。アサリの行商など自分がした仕事の長さをほとんど記憶せず、何度か結婚した相手の名前を1人を除いて忘れてしまい、それを訊かれることを嫌っていた。相手を生身の人間とみることのない剥き出しの暴力への反発が全てであったように思える。そしてその反発は、人糞を入れた袋を爆弾として使うほど苛烈なものだった。

著者は、「民衆からみた歴史」などという見立てはウソだという。ウソかどうかはともかく、その見立ては構造となり、大文字の歴史の一部となってしまうことは確かである。大きな物語からではなく、ひとりひとりに「なって」、問題を視なければならないことは、大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』のタイトルにも反映されているように思える。

●参照
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』
『小川プロダクション『三里塚の夏』を観る』
萩原進『農地収奪を阻む―三里塚農民怒りの43年』
鎌田慧『抵抗する自由』 成田・三里塚のいま
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』
ええじゃないかドブロク


バリー・ハリス『Plays Tadd Dameron』

2015-11-12 07:32:56 | アヴァンギャルド・ジャズ

バリー・ハリス『Plays Tadd Dameron』(Xanadu、1975年)を聴く。

Barry Harris (p)
Gene Taylor (b)
Leroy Williams (ds)

渋いバリー・ハリスと渋いタッド・ダメロンの掛け算で渋い渋い。「Hot House」、「Soultrane」、「If You Could See Mee Now」、「Our Delight」など、ああこれもダメロンの手による曲だったかと思いつつ聴く。聴けば聴くほど味が沁みてくる。

リロイ・ウィリアムスのブラッシュワーク芸なんて見事だし、中音域で音楽を引っ張っていくジーン・テイラーのベースも気持ちが良い。テイラーは後年、老後のためにこのレコードを入手したのだという。そして、ソロの三者での交換のときなどに、ハリスの手癖に出会うととても嬉しくなる。

こうした本物のプレイに接すると、エピゴーネンからエピゴーネンへと姿を変えたサシャ・ペリーのライヴは何だったのかと思えてならない。


高野秀行『移民の宴』

2015-11-12 00:26:02 | 食べ物飲み物

高野秀行『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』(講談社文庫、原著2012年)を読む。

他の国においてと同様に、日本には多くの外国人コミュニティがある。たとえば自動車工場の街にブラジル人が多く住んだり、「2000年問題」のときのIT対応として、成田や羽田に行きやすく金融機関にも東西線で行くことができる西葛西~行徳にインド人が増えてきたり。あるいは、沖縄人が集まる鶴見に、かつて移民としてブラジルに渡った沖縄人の子孫が住み着くようになったり。あるいは、「君が代丸」で出稼ぎにきていたコリアンが集まっていた旧・猪飼野に、さらに済州島から逃げてこざるを得なかった人々がたどり着いたり。そのようなもっともらしい理由が見つかる場合があるとはいっても、むしろ、同胞や仲間がいるから、特定の場所に集中するようになるという理由のほうが実態に近いように思える。

理由や経緯はどうあれ、それらのコミュニティでは、当然、他の日本とは異なる食文化が発達する。本書は、そのような場を訪れ、何を食べているのかについて体験したルポである。成田=タイ、神楽坂=フランス、館林=ムスリム・特にミャンマーの被弾圧民族ロヒンジャ、鶴見=沖縄とブラジル、西葛西=インド、下目黒=ロシア、あちこち=中国の朝鮮族、など。どこの事情を読んでも、日本にいると感じることが難しい同胞意識がコミュニティを形成せしめていることがよくわかる。そして、物語として理解しやすい「らしさ」もあったりなかったり。

新鮮なことは、たとえばタイ寺院、モスク、ロシア正教の教会、ヒンドゥー寺院など、信仰の場がコミュニティに欠かせないということだ。僧侶の大來尚順さんによると、日本の地方でも「駆け込み寺」的な文化は残っているというし、むしろ東京のドライな空間のほうが非人間的で異質なのかもしれない。

何しろ本書を読んでいると猛烈に腹が減ってくる。とりあえず、西葛西のインド料理店と、鶴見の沖縄とブラジルの料理店には足を延ばしてみようと思うのだった。

●参照
高野秀行『ミャンマーの柳生一族』
最相葉月『ナグネ 中国朝鮮族の友と日本』
朝鮮族の交流会
中国延辺朝鮮族自治州料理の店 浅草の和龍園
金賛汀『異邦人は君ヶ代丸に乗って』
藤田綾子『大阪「鶴橋」物語』


菊地雅章『ダンシング・ミスト~菊地雅章イン・コンサート』

2015-11-11 00:09:21 | アヴァンギャルド・ジャズ

菊地雅章『ダンシング・ミスト~菊地雅章イン・コンサート』(Phillips、1970年)を聴く。

Masabumi "Poo" Kikuchi 菊地雅章 (el-p, p)
Kosuke Mine 峰厚介 (ss, perc)
Masahiro Kikuchi 菊地雅洋 (org, el-p)
Yoshio Ikeda 池田芳夫 (b)
Hiroshi Murakami 村上寛 (ds)
Keiji Kishida 岸田恵二 (ds)

大ヒット曲「Dancing Mist」をホールで演奏するという状況。しかも、終わるかと思いきや延々と同じパターンを続けていって、聴客も演奏者も陶酔のスパイラルに入っていくという「構造」。この陶酔を突き放して眺めざるを得ないからこそ明らかになる「構造」である。

如何に菊地雅章が城を構築しようと、この同調圧力の前には簡単に崩れ去る。

●参照
菊地雅章『ヘアピン・サーカス』(1972年)
菊地雅章+エルヴィン・ジョーンズ『Hollow Out』(1972年)
菊地雅章『POO-SUN』(1970年)
菊地雅章『再確認そして発展』(1970年)
『銀巴里セッション 1963年6月26日深夜』


『沖縄でコルヴィッツと出会う』 コルヴィッツ、沖縄、北京、杭州、ソウル、光州

2015-11-08 19:08:56 | 沖縄

NHK・Eテレの『こころの時代』枠で放送された『沖縄でコルヴィッツと出会う』(2015/8/30)を観る。

ケーテ・コルヴィッツは20世紀前半に活動したドイツの版画家。第一次世界大戦において出征した息子を亡くし、嘆きながら、同時に美を見出し、獣のように慟哭する母親の姿を版画作品として結実させた。沖縄・普天間基地の敷地を取り戻して「佐喜眞美術館」を造った佐喜眞館長のコレクションの出発点は、この作品である。というのも、もともと普天間に持っていた土地を米軍に奪われた佐喜眞家には、軍用地料が入ってきて、館長はそのことを不快としてアートの購入を始めたのだった。

場所も時代も違うコルヴィッツの作品が、なぜ現代の沖縄で力を持ちうるのか。徐京植さんは、かつての出来事としてではなく、自らのリアルなこととして描いたことによるのではないかと考える。徐さんにとってのコルヴィッツは、民主化運動に対する白色テロ・光州事件(1980年)であり、また、民主化運動に参加して投獄されたふたりの兄(徐勝・徐俊植)であった。徐さんが橋渡しをして、ソウル北美術館において、佐喜眞美術館所蔵のコルヴィッツ作品が展示された。

コルヴィッツの普遍性がつなぐ先は韓国だけではない。コルヴィッツと同時代に、魯迅も彼女の作品に共鳴し、中国で作品を紹介していた。藤井省三『魯迅』によれば、『世界史のなかの中国 文革・琉球・チベット』を書いた汪暉が沖縄と北京魯迅博物館をつなぎ、展覧会を実現させた。また、杭州の浙江美術館でもまた展示がなされている。(魯迅が生まれた地は、浙江省の紹興であった。)

被抑圧からの解放への希求を紐帯として、沖縄、韓国、中国がつながるという姿は希望を、孕むものではないか。その視線は、『越境広場』シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』などにも見ることができる。もっとも、そういった言い方自体が第三者的でもあるのだが。

●参照
佐喜眞道夫『アートで平和をつくる 沖縄・佐喜眞美術館の軌跡』
佐喜眞美術館の屋上からまた普天間基地を視る
<フェンス>という風景
基地景と「まーみなー」
平和祈念資料館、「原爆と戦争展」、宜野湾市立博物館、佐喜真美術館、壺屋焼物博物館、ゆいレール展示館
汪暉『世界史のなかの中国』
汪暉『世界史のなかの中国』(2)
藤井省三『魯迅』
徐京植のフクシマ
徐京植『ディアスポラ紀行』
高橋哲哉・徐京植編著『奪われた野にも春は来るか 鄭周河写真展の記録』
鄭周河写真展『奪われた野にも春は来るか』
鄭周河写真集『奪われた野にも春は来るか』、「こころの時代」
『越境広場』
シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』


畠山重篤『日本<汽水>紀行』

2015-11-08 15:32:22 | 環境・自然

畠山重篤『日本<汽水>紀行』(文春文庫、原著2003年)を読む。

著者は気仙沼の漁師さんである。環境問題に少しでも関わっている者であれば、沿岸の漁場の豊かさには、陸域の環境が大きく影響していることを聞いたことがあるはずだ。汚染物質や富栄養化物質だけではない。森林の落葉が腐る段階でできるフルボ酸という物質が鉄と結びつき、簡単には酸化しないフルボ酸鉄となり、それが植物プランクトンの成長に欠かせないのだという。また、森林から流れ出るある種のカビが、稚魚など動物プランクトンにとってちょうどいい餌になっているケースもある。

そういった現象を、著者は、<森は海の恋人>という言葉で表現した。まさに、漁業を通じた経験を、環境保全や開発のあり方にも深く関係する知見として広く知らしめたということになる。陸水の環境は河川流域でとらえなければならないものだが、さらには、海水と淡水とが混じり合う汽水域、その海域への影響、また流動のタイムスケールが非常に長い地下水が河川水に混じり合っていくことの影響など、あまり認知されているとは言い難いことが少なくない。本書はそういったことについての恰好の読み物である。

それにしても、著者の貪欲な好奇心には驚かされる。気仙沼だけではなく、四万十川、宍道湖、有明海、富山湾、東京湾、果ては長江の河口域まで足を運んでいっては、目と舌とで実態をとらえんとしているのである。話はなんと上海の上海の魯迅紀念館や内山書店跡にも及ぶ。読んでいると、牡蠣、ウナギ、シジミ、鯨、鮭、鰹、その他あまり縁のない魚介類などが食べたくて仕方がなくなる。

「あとがき」には、東日本大震災により多くの漁場が大打撃を受けたことが書かれている。その復活には、森から河川を通じて流出するマテリアルが欠かせないものだということが、本書を読むことで実感できる。ただその一方で、原子力発電所からの放射性物質の流出・蓄積について一言も触れていないのはなぜだろう。

●参照
栗原康『干潟は生きている』 震災で壊滅した蒲生干潟は・・・
旨い富山
豊かな東京湾
東京湾は人間が関与した豊かな世界
船橋側の三番瀬 ラムサール条約推進からの方針転換
『みんなの力で守ろう三番瀬!集い』 船橋側のラムサール条約部分登録の意味とは
浦安市郷土博物館『三角州上にできた2つの漁師町』
市川塩浜の三番瀬と『潮だまりの生物』
三番瀬を巡る混沌と不安 『地域環境の再生と円卓会議』
三番瀬の海苔
三番瀬は新知事のもとどうなるか、塩浜の護岸はどうなるか
三番瀬(5) 『海辺再生』
三番瀬(3) 何だか不公平なブックレット
三番瀬にはいろいろな生き物がいる(2)
三番瀬にはいろいろな生き物がいる
船橋の居酒屋「三番瀬」
『青べか物語』は面白い
谷津干潟
井出孫六・小中陽太郎・高史明・田原総一郎『変貌する風土』 かつての木更津を描いた貴重なルポ
平野耕作『キサラヅ―共生限界:1998-2002』
盤洲干潟
新浜湖干潟(行徳・野鳥保護区)
江戸川放水路の泥干潟
曽根干潟と田んぼの中の蕎麦屋
佐藤正典『海をよみがえらせる 諫早湾の再生から考える』
『科学』の有明海特集
『有明海の干潟漁』
漫湖干潟
泡瀬干潟
泡瀬干潟の埋立に関する報道
小屋敷琢己『という可能性』
救え沖縄・泡瀬干潟とサンゴ礁の海 小橋川共男写真展
屋嘉田潟原
糸満のイノー、大度海岸
下村兼史『或日の干潟』
日韓NGO湿地フォーラム
加藤真『日本の渚』
『海辺の環境学』 海辺の人為
魯迅の家(3) 上海の晩年の家、魯迅紀念館、内山書店跡


菊地雅章『POO-SUN』

2015-11-08 10:29:50 | アヴァンギャルド・ジャズ

菊地雅章『POO-SUN』(Phillips、1970年)を聴く。

Masabumi "Poo" Kikuchi 菊地雅章 (p, el-p)
Kosuke Mine 峰厚介 (ss, as)
Hideo Ichikawa 市川秀男 (el-p, org)
Yoshio Ikeda 池田芳夫 (b)
Motohiko Hino 日野元彦 (ds)
Hiroshi Murakami 村上寛 (ds)
Keiji Kishida 岸田恵二 (perc)

ヒット曲「Dancing Mist」は、当時、ライヴでこれを演奏しないと終わらないほど受けたものらしい(同時代でないわたしにはピンとこないが)。解説によれば、菊地雅章本人によるダメ出しが続いてもうやめようとしたところ、制作のスタッフが粘って、予定よりもずいぶん長い演奏でOKが出たという。時代を感じさせるスタイルは横に置いておくとしても、内省的で、かつそれと相反するような押し出しの強さがあって、さらにサウンドの伽藍を構築せんとする意思が強く感じられて、とてもいい演奏である。

それは「Dancing Mist」だけでなくアルバム全体でそうなのであって、このあと熟成に熟成を重ねるとはいっても、すでに菊地雅章は菊地雅章なのだなと思わせる。もっとも、極限まで自身の脳と身体にのみ依拠しようとするピアノだという意味では、『銀巴里セッション 1963年6月26日深夜』においても、それを聴くことができるのだが。

●参照
菊地雅章『ヘアピン・サーカス』(1972年)
菊地雅章+エルヴィン・ジョーンズ『Hollow Out』(1972年)
菊地雅章『再確認そして発展』(1970年)
『銀巴里セッション 1963年6月26日深夜』


小栗康平『伽倻子のために』、『泥の河』

2015-11-08 07:56:10 | アート・映画

早稲田松竹において、『FOUJITA』の公開を記念して、小栗康平の全作品を上映している。李恢成の小説を読んで以来、『伽倻子のために』はずっと観たかった映画である(何しろ、小栗康平のDVDボックスにのみ収録されている)。そんなわけで、初日に足を運んだ。

『伽倻子のために』(1984年)

1957年。相俊(サンジュニ)は日本支配下のサハリン・真岡で生まれ、戦後、北海道に渡ってきた。頑固な父は、息子たちに、「<朝鮮人>になれ」と叫ぶ。父の義兄弟であった男も北海道に渡り、青森出身の日本人と結婚していた。かれらの娘・伽倻子(かやこ)は、もとは日本人の捨て子であった。相俊と伽倻子とは惹かれあい、東京で同棲生活を始める。やがて伽倻子の両親が連れ戻しに来て、相俊は伽倻子を失う。

戦後の在日コリアンのコミュニティ、済州島の四・三事件、北朝鮮帰国事業などが丁寧に盛り込まれている。在日コリアンが凝視しなければならなかったであろう世界と自身とのあまりにも大きなギャップが、<間>のような素朴な描写となっており、よくできた映画である。

しかし、映画には看過できない欠陥がある。伽倻子の裡に巣食う底なしの魔が、描かれていないのだ。これでは李恢成の原作の奥深さには遠く及ばない。

『泥の河』(1983年)

1956年、大阪。うどん屋を営む夫婦とその息子、その目の前の川に現れた<水上生活者>の少年少女、客を取る母。

芦屋雁之助、田村高廣、加賀まりこの人情味溢れる顔が素晴らしい。モノクロの撮影もいい。演出も細かいところまで行き届いている。それはそれとして、パーフェクト過ぎて破綻のない映画の教科書は、いまひとつ心をすり抜けて落ちていくのだった。

●参照
李恢成『伽揶子のために』


菊地雅章『再確認そして発展』

2015-11-07 08:41:11 | アヴァンギャルド・ジャズ

菊地雅章『再確認そして発展』(Phillips、1970年)を聴く。

Masabumi "Poo" Kikuchi 菊地雅章 (p)
Kosuke Mine 峰厚介 (as)
Masahiro Kikuchi 菊地雅洋 (el-p)
Yoshio Ikeda 池田芳夫 (b)
Hiroshi Murakami 村上寛 (ds)
Keiji Kishida 岸田恵二 (ds)

菊地雅章さんが亡くなって、ユニヴァーサルから1970年代の記録が廉価盤として何枚も出された。わたしもこのあたりを部分的にしか聴いていないこともあり、まとめて聴こうと思っていたのだが、やはり音楽とその背後に見え隠れするものの密度が濃いため、とてもそんな聴き方はできない。

サウンドの響きはモードのようだが、この暗鬱な情念のようなものは何だろう。菊地雅章の弟・菊地雅洋のエレピはキレがよくてスタイリッシュ。峰さんのサックスは、あの独特の音色(テナーだからか)ではないが、やさぐれていて聴き惚れる。

しかしそれよりも、菊地雅章が執拗な繰り返しと変奏によって構築するノリの世界が素晴らしい。これはのちの『Susto』や『All Night, All Right, Off White Boogie Band』にも通じるものかと思ったのだがどうか。そして響きは幻のようで。

●参照
菊地雅章『ヘアピン・サーカス』(1972年)
菊地雅章+エルヴィン・ジョーンズ『Hollow Out』(1972年)
『銀巴里セッション 1963年6月26日深夜』


櫻澤誠『沖縄現代史』

2015-11-06 07:20:30 | 沖縄

櫻澤誠『沖縄現代史 米国統治、本土復帰から「オール沖縄」まで』(中公新書、2015年)を読む。

戦後の沖縄の歴史を、現在のありようまでまとめている通史。同じ題名ながら、新崎盛暉『沖縄現代史』が新崎氏の観点で貫かれたものであるのに対し、本書はより網羅的であるように思える。

とは言え、分厚い分析のなかから明らかに見えてくるものがある。

日本への「復帰」が基地的なものから脱却せんとした運動であったこと。その願いは完全に意図的に裏切られ、まったく逆の結果となったこと。「保守」と「革新」とは基地に対する考えでは分類しがたいこと。沖縄経済の自律化は基地だけでなく「本土」への裨益を最優先する形で疎外され、最初から「ザル経済」化していったこと(すなわち、オカネが通過するだけで付加価値は生まれない)。基地経済は沖縄経済を疎外していることが、沖縄ではもはや常識化していること。「島ぐるみ」の抗する対象は、「対米軍」ではなく「対日本政府」となっていること。「オール沖縄」はあくまで日米安保を前提として基地縮小を求める運動であること。

とても凝縮してあり、ざっと通読するだけでは読み落としてしまうことが少なくないだろう。しかし一読されるべき良書。

●参照
新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』
由井晶子『沖縄 アリは象に挑む』
ガバン・マコーマック+乗松聡子『沖縄の<怒>』
いま、沖縄「問題」を考える ~ 『沖縄の<怒>』刊行記念シンポ
林博史『暴力と差別としての米軍基地』
豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』
琉球新報『普天間移設 日米の深層』
琉球新報『ひずみの構造―基地と沖縄経済』
沖縄タイムス中部支社編集部『基地で働く』
前泊博盛『沖縄と米軍基地』
屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
渡辺豪『「アメとムチ」の構図』
渡辺豪『国策のまちおこし 嘉手納からの報告』
高野孟『沖縄に海兵隊はいらない!』
高橋哲哉『沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える』
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』
前田哲男『フクシマと沖縄』
宮城康博・屋良朝博『普天間を封鎖した4日間』
エンリコ・パレンティ+トーマス・ファツィ『誰も知らない基地のこと』
押しつけられた常識を覆す
来間泰男『沖縄の米軍基地と軍用地料』
佐喜眞美術館の屋上からまた普天間基地を視る
『世界』の「普天間移設問題の真実」特集
大田昌秀『こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題―最善・最短の解決策』
浦島悦子『名護の選択』
浦島悦子『島の未来へ』


ローガン・リチャードソン『Shift』

2015-11-05 23:40:26 | アヴァンギャルド・ジャズ

ローガン・リチャードソン『Shift』(Blue Note、2013年)を聴く。

Logan Richardson (as)
Pat Metheny (g)
Jason Moran (p, fender rhodes)
Harish Raghavan (b)
Nasheet Waits (ds)

日本先行発売というマーケティングへの力の入れようは、やはりパット・メセニーの参加によるものだろう。ただ、何度聴いても、リチャードソンとの相性がさほど好いとは思えない。それはたぶん、メセニーの太いマーカーでくっきり描くようなギターと、滑らかではっきりしたラインを描くリチャードソンのアルトとが妙に似ていて、相乗効果など生まれていないからである。

リチャードソンのアルトには、時にワビサビ的な抒情性もあるのだから、ギターとアルトが押してばかりではつまらない。『Cerebral Flow』におけるマイク・モレノのほうが良い。

ジェイソン・モランの知的できらびやかなピアノと、ナシート・ウェイツの柔軟な変拍子は見事。

●参照
ローガン・リチャードソン『Cerebral Flow』(2006年)
パット・メセニーとチャーリー・ヘイデンのデュオの映像『Montreal 2005』(2005年)
パット・メセニーの映像『at Marciac Festival』(2003年)
デイヴィッド・サンボーンの映像『Best of NIGHT MUSIC』(1988-90年)(メセニー参加)
映像『Woodstock Jazz Festival '81』(1981年)(メセニー参加)
アンブローズ・アキンムシーレ『The Imagined Savior is Far Easier to Paint』(2014年)(ラガヴァン参加)
カート・ローゼンウィンケル@Village Vanguard(2015年)(ウェイツ参加)
デイヴィッド・マレイ・ビッグ・バンド featuring メイシー・グレイ@ブルーノート東京(2013年)(ウェイツ参加)
トニー・マラビー『Adobe』、『Somos Agua』(2003、13年)(ウェイツ参加)
トニー・マラビー『Paloma Recio』(2008年)(ウェイツ参加)
デイヴィッド・マレイ『Be My Monster Love』、『Rendezvous Suite』(2009、12年)(ウェイツ参加)


アンドレ・マルケス『Viva Hermeto』

2015-11-05 00:33:53 | 中南米

アンドレ・マルケス『Viva Hermeto』(Boranda、2014年)を聴く。

Andre Marques (p)
John Patitucci (b)
Brian Blade (ds)
Rogerio Boccato (perc) (6)

1曲だけパーカッションが参加しており、また1曲だけピアノソロが挿入されているが、他はピアノトリオによる演奏である。しかも、タイトル通り、すべてブラジルのレジェンド、エルメート・パスコアールの曲ばかり。

愉しそうに固いベース・テクニックを披露するジョン・パティトゥッチも、やはり愉しそうにさまざまな大技中技小技を展開するブライアン・ブレイドも気持ちがいい。そして名前を知らなかったアンドレ・マルケスのピアノは、いかにも難しそうなエルメートの曲を、左手と右手を微妙にずらして見事に弾きまくっている。それもそのはずで、マルケスは、エルメートのサイドマンを20年も務めたピアニストであるらしい。

それにしても、狂騒的に浮かれ果てて執拗に変奏する、エルメートの変わった曲の数々。循環し、繰り返し、果たしてどこに連れていかれるのか愉快の極みである。抒情的な名曲「Bebe」は、ガリアーノ=ポルタル『Blow Up』における名手ふたりのデュオにも決して負けていない。エルメート自身によるピアノ・ソロは、また別の時空間で我が道をゆく感じではあるけれども。そして、『Slaves Mass』の冒頭を賑々しく飾った「Tacho」。他にもどこかで聴いたようなエルメート感覚が散りばめられている。好き好きエルメート。

●参照
2004年、エルメート・パスコアル
エルメート・パスコアルのピアノ・ソロ