先日読んだ「私は忘れない」(有吉佐和子)の執筆の原点とも言える写真集を借りてみた。原点と書いたのは、写真集のタイトルが「忘れられた」であり、見事に対を為しているためである。
表紙には「1955」とある。戦後10年、まだ日本にはかくも貧しい土地があった。家は竹で編まれ、板戸は高級な家にしかない。険しい斜面に僅かばかりの畑を作り、痩せた土地で甘藷を作っても鼠に荒らされてしまうと書かれている。当時の鹿児島との通い船の写真が出ているが、わずか30トン!ちょっとそこらへ出漁する漁船程度しかない。ちなみに2021年に就航したばかりの、同じ航路のフェリーは1,800トン超、60倍。便数は月2回が週4回。
これだけ変われば、いま島に渡っても強烈な違和感を覚えることはないだろう。仮にこの写真集を持参し島を歩いたとて、同じ景色をどれだけ見られるものか。当時のことを憶えている方はそろそろ亡くなってしまっているだろう。
写真集には、小説の舞台となった黒島だけでなく残りの「上三島」竹島、硫黄島も記録されている。それぞれ今がどうなっているか、やはり確かめたくなった。早く来島自粛要請が取り下げられないかなあ。
2022年2月11日 自宅にて
表紙には「1955」とある。戦後10年、まだ日本にはかくも貧しい土地があった。家は竹で編まれ、板戸は高級な家にしかない。険しい斜面に僅かばかりの畑を作り、痩せた土地で甘藷を作っても鼠に荒らされてしまうと書かれている。当時の鹿児島との通い船の写真が出ているが、わずか30トン!ちょっとそこらへ出漁する漁船程度しかない。ちなみに2021年に就航したばかりの、同じ航路のフェリーは1,800トン超、60倍。便数は月2回が週4回。
これだけ変われば、いま島に渡っても強烈な違和感を覚えることはないだろう。仮にこの写真集を持参し島を歩いたとて、同じ景色をどれだけ見られるものか。当時のことを憶えている方はそろそろ亡くなってしまっているだろう。
写真集には、小説の舞台となった黒島だけでなく残りの「上三島」竹島、硫黄島も記録されている。それぞれ今がどうなっているか、やはり確かめたくなった。早く来島自粛要請が取り下げられないかなあ。
2022年2月11日 自宅にて