日々のつれづれ(5代目)

旅行レポート以外の、細々としたこと。
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2024年7月12~16日 【旅行】パラオ諸島慰霊の旅(4)島々を遊覧飛行

2024-07-23 20:00:00 | 旅行・ハイク&ウォーク

 7月15日、4日目。深夜の帰国まで終日フリー。今日こそは遊覧飛行!それと市内観光を少し。

 昨日の読み通り、今日も雲が多いものの時おり陽が射しており到着以来いちばん良い天気。空港ターミナルビルを横目に滑走路の反対側にある事務所で手続き。本日最初の遊覧飛行から戻って来たパイロットと挨拶し、空の状況を聞く。うん、良さそうだ。ここでパイロットと事務員にアンガウル島まで足を伸ばせないかと相談し、OKとなった。アンガウルへの船は欠航が多く、行った人は多くないと言う。せめて空からでも慰霊できれば。

 11時、L機長と私、友人の3人を載せたセスナ182P(T8A-210)出発。自分が前席、友人が後席。帰国して調べたところ、機体は1976年製の古豪だった。眺めをよくするためか右ドアは外されており、しっかりショルダーハーネスをしているので怖くはないがスマホを落とさないかが不安。遊覧飛行なので高度は上げず、1300ftとかで飛んでゆく。ミルキーウェイ、ジェリーフォッシュレイク、カープアイランド等を過ぎ高度は3000ftまで上昇。ペリリュー島、その先にアンガウル島が見える。やはり上から見ると大珊瑚礁に囲まれた小さな島々の有り様が分かる。パラオ訪問者は必須の経験だと思う。

 アンガウル島ではペリリュー島以上に滑走路整備工事が進行中、作業員は毎朝コロール空港から大型セスナ機で通勤しているそうだ。ペリリュー島よりさらに小さな島、ここでも80年前に数千人の兵士が命を落とした。上空を2周、合掌。帰りは少し西寄りのルートを、増えてきた雲を避けながら飛ぶ。少しだけ操縦桿を握らせて貰い記念撮影。55分の予定を30分近く上回って帰還。天候も回復し大満足のフライトだった。でもログブックには書けないな。

 帰りホテルまで送って貰う途中に寄り道、旧日本軍の通信施設跡は随分と立派なコンクリ造りの建物だった。ランチ後はベラウ国立博物館を見学。ホテルまでの戻り道に市内に残されている地下壕入口、特2式内火艇を見学。これでパラオ見物はやり尽くした感。全くマリンレジャーをしなかったが、心残りではない。23時半にホテルピックアップ、空港へ。

 [機中泊]

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2024年7月12~16日 【旅行】パラオ諸島慰霊の旅(3)島々をドライブ

2024-07-23 06:00:00 | 旅行・ハイク&ウォーク

 7月14日、3日目。今日は空からパラオ諸島を眺め、午後は市内見物の予定だった。が、昨夜からの雨が止まず、遊覧飛行へのお迎えは来たものの飛べるかは?の状態。事務所にいるパイロットと直接会話させて貰い、明日なら天候回復の可能性があると言うことで延期。代わりにレンタカーを借り、パラオをドライブすることにした。

 クルマは日本流れのトヨタIST。中心地コロールのあるコロール島からは3つの橋で他の島と結ばれている。まずは北の、空港や移転した国会議事堂もある最大のバベルダオブ島へ。北端にある旧日本軍が建設した灯台を目指す。右ハンドルで右側通行を走るのにはすぐ慣れた。交通量が少ないので気は楽。空港を過ぎると交通量はゼロに近くなったのは日曜日でもあるからか。雨は激しくなったり小降りになったり、いずれにしてもクルマで良かったがワイパーゴムが古いせいで視界が良くない。灯台までミスコース含め1時間50分、既に巨木に覆われていたが破壊された建物のコンクリートが生々しかった。傍らに昭和十一年と刻まれた石標が残っていた。

 折返しは西側の道で、途中にはパイン缶の工場跡があり、錆びた機械やペリリュー島と同様に右から文字が刻まれたビール瓶が残っていた。あとはひたすら戻り道。雨は止まず、降りて観光する気にならない。戻って来たコロール島を通り過ぎ、西側にある小さなメユッグス島の西端には日本大使館がある。その南側のマラカル島にはペリリュー&アンガウルへの定期船ターミナル、コンテナふ頭が。いずれも規模は小さい。

 クルマで行ける島すべてを回ってホテルに戻ってきたのは15時、5時間170kmのドライブだった。満タン返し、鍵はフロントに預ける大らかなシステム。今日はこれまで、あとはノンビリ過ごした。

 [Palau Hotel 泊③]

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