「資本論」とはもちろん、マルクスの資本論である。では「人新世」とは?こちらは耳慣れない。本書冒頭の著者の説明によれば「資本主義が生み出した人工物、つまり負荷や矛盾が地球を覆った時代」とのこと。資源枯渇や廃棄物による汚染、極めつけは温暖化。そういう時代に資本論を再定義するのか。
解説に具体例が多く理解しやすいはずなのに、でもどういうことか解らない感じがした。たぶん理屈でなく「じゃあどうすれば良いんだ」を性急に求めてしまうからかもしれない。読んでるその瞬間は分かった気になるのだが、じゃあ著者は何を言わんとしているか纏めてみよ、と問われれば答えに窮するだろう。
新書にしては厚めの体裁だが、安直に結論を求めるのであれば、巻末の最終章だけ読めば良いが、その前章に纏められている「脱成長コミュニズムの柱」が理解に役立つだろう。
[1.使用価値経済への転換]
「使用価値」に重きを置いた経済に転換して、大量生産・大量消費から脱却する
[2.労働時間の短縮]
労働時間を削減して、生活の質を向上させる
[3.画一的な分業の廃止]
画一的な労働をもたらす分業を廃止して、労働の創造性を回復させる
[4.生産過程の民主化]
生産のプロセスの民主化を進めて、経済を減速させる
[5.エッセンシャル・ワークの重視]
使用価値経済に転換し、労働集約型のエッセンシャル・ワークの重視を
言うは易く、行うは難し。上記文章を読んだだけで、以下の疑問が湧きはしないか。
1.大量生産・大量消費を止めることによる一品あたりの単価上昇を消費者は受け入れられるか?仮に価格上昇分が、これまで見えていなかった環境負荷やグローバル・サウス諸国からの搾取分が上乗せされていたと説明されて、消費者は納得して受け入れるか?
2.労働時間短縮による減収で、労働者の生活は苦しくなるはず。好き好んで長時間労働しているわけではなく、生活のため仕方なく働いている人が圧倒的に多い。
3.分業廃止に伴う生産性下降は原価アップを招き、商品やサービス価格の上昇を招きはしないか。
4.経済減速によるスローライフ化の足並みが世界で揃わない限り、貿易のパワーバランスが崩れるがそれを是とするのか
5.エッセンシャル・ワーク従事者の賃金上昇は望ましいが、それにより利用者が減少し事業を維持できなくなることにならないか
著者も当然、こうした初歩的な疑問は想定しており説明を行っているはずだが、その点が理解できない。現状の価値観、経済システムで考えるから理解できないのであって、発想の転換が必要であろうことは理解できる。転換期には個人・社会に相当の混乱が発生し、経済的な痛みを伴うであろうことは容易に想像がつくが、そこをどう凌ぐか、著者は述べていないのではないか。精神論に過ぎないとは言い過ぎだが、実現の可能性について一人ひとりの自覚と行動が大切と言うだけでは、あまりに無責任だと言えよう。しっかり読み直さないと、本書の内容を理解できてないのではとも思える。
2024年3月1日 自宅にて読了
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます