史上初めて、エヴェレスト(チョモランマ)の南北両ルート登頂を果たした下山途中に亡くなったクライマー、加藤保男の生涯を描く。
角幡唯介だったかが書いていたが、もちろん登山家は死のうと思って山に登るわけではないと。ただ、己の目指すもの(初登頂だったり未制覇ルートだったり冬季無酸素だったり)が先鋭化しているあまり、少しミスったら死に至るのだと。レーサーやライダーが極限までサーキットを攻め、ミスっても死に至るとは限らない(死なない保証もないが)。だが登山家の場合、ミスって死なないことの方が少ないという理屈は判る。そういうエッジの部分を一流クライマーは生き、そこを歩くことに己の存在価値を見出しているのだろう。決して命をないがしろにしているわけではないが、そうなったら仕方ないと覚悟している、そういう人種なのではないか。そうであれば、死を迎える瞬間に彼らは「来なきゃ良かったな」ではなく「ああミスっちゃったな」と思うのだろうか。
とは言え、山の犠牲者を一括りに「登攀をミスった敗者」だと片付けてしまうのは間違っている気がする。クライマーだけでなく、冒険者全般に言えることだが、もしそうであれば「無謀」批判はどうなるのだろう。批判される/されないの線引きはどこに、誰がするのだろうか。
2021年2月3日 自宅にて読了
角幡唯介だったかが書いていたが、もちろん登山家は死のうと思って山に登るわけではないと。ただ、己の目指すもの(初登頂だったり未制覇ルートだったり冬季無酸素だったり)が先鋭化しているあまり、少しミスったら死に至るのだと。レーサーやライダーが極限までサーキットを攻め、ミスっても死に至るとは限らない(死なない保証もないが)。だが登山家の場合、ミスって死なないことの方が少ないという理屈は判る。そういうエッジの部分を一流クライマーは生き、そこを歩くことに己の存在価値を見出しているのだろう。決して命をないがしろにしているわけではないが、そうなったら仕方ないと覚悟している、そういう人種なのではないか。そうであれば、死を迎える瞬間に彼らは「来なきゃ良かったな」ではなく「ああミスっちゃったな」と思うのだろうか。
とは言え、山の犠牲者を一括りに「登攀をミスった敗者」だと片付けてしまうのは間違っている気がする。クライマーだけでなく、冒険者全般に言えることだが、もしそうであれば「無謀」批判はどうなるのだろう。批判される/されないの線引きはどこに、誰がするのだろうか。
2021年2月3日 自宅にて読了