「浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち」石井光太
「戦災孤児」がいつから「浮浪児」と言われるようになったのか?
どのように集まって、いなくなったのか?
時代背景とともに語られる。
5年の歳月をかけた労作、である。
(当時の生き証人たちが歳をとっているので、本作がリミット・・・ぎりぎり間に合った、と思われる)
P44
闇市について
当時、日本人が禁制品を売買すれば逮捕されたが、在日外国人は例外だった。彼らは日本の敗戦によって「解放国民」と定められ、警察から取り締まりを受けずに済む立場だったため、違法行為をしても見逃されたのである。在日朝鮮人たちがこの法の抜け道をうまく利用したことで露天がひしめく闇市が駅前に堂々と姿を現したのだ。
P107
RAAについて
内務省が募集のためにつくった看板には次のように書かれていた。
「新日本女性に次ぐ!戦後処理の国家的緊急施設の一端として進駐軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む!」
金銭に困っている女性には給与の前借を認め、地方から来る女性には旅費を支給するという好待遇だった。
内務省は集まってきた女たちの身体検査を行った後、終戦からわずか12日後の8月27日に、東京の大森に第一号店「小町園」を設置した。そして日本各地に慰安所を設けて女を送り込み、最盛期には約7万人の女性が進駐軍専門の娼婦として働くことになった。
だが、GHQは突然内務省に対してRAAの解散を要求する。ルーズベルト前大統領の妻が反対の意を表明したり、RAAの日本人娼婦の9割が性病に侵されているという調査結果が出たりしたことから、方針が変更されたのだ。
(中略)
「ただいまから慰安所はオフ・リミットになったから、みなさんは適当に職を捜して立ち退いてもらいたい」
(中略)
「仕方がないねェ。もう堅気にはなれないし、体で稼ぐよりしょうがないね・・・・・・」と言い放ち、それぞれ繁華街に散らばっていって街娼となったのだが、その一部が上野に雪崩れ込んできたことによって、急激にパンパンが増えたのである。
私の思うに、従軍慰安婦とかで、日本人の慰安に努めていた女性たちが、こんどはGHQ慰安婦になったのではないか?
普通のおっちゃん、おばちゃんが軍国主義から民主主義に180度転換したように、彼女たちも相手を180度転換したのではないだろうか?
ただし、普通の女性の多くもパンパンになった、という調査結果もある。
1947年4月10日、NHKラジオは『街頭録音』という番組のなかで、パンパンへのインタビューを試みた。その結果、「東京には千名程度のパンパンがいる」「だいたい中流家庭以上の娘が多い。本当に生活に困ってやっているのは少ない」という統計を発表している。また「中年の街娼は生活苦からせっぱつまって商売を始めるものが多い。若い娘は外人相手を面白がって始めたものもいる」と、当時パンパンの性病患者を引き受けた吉原病院の医師の証言を紹介している。
(「大山倍達正伝」P157より・・・小島一志/塚本佳子)
・・・実際のところ、どうなんだろう?
結局、昔も現在も、風俗関係の女性は、少なからずいる、と。
クラスに1人くらいの割合で売春婦がいる、という話もある。
逆に、それだけ需要があり、買う男性もいる、と。
(別に批判しているわけじゃない、現実の話をしているだけ)
【巻末資料】
【おまけ】
私は、著者・石井光太さんの作品を、けっこう読んできた。
「レンタルチャイルド 神に弄ばれる貧しき子供たち」石井光太
「地を這う祈り」石井光太
「感染宣言」石井光太
「飢餓浄土」石井光太
「ルポ餓死現場で生きる」石井光太
「遺体 震災、津波の果てに」石井光太
「ニッポン異国紀行 在日外国人のカネ・性愛・死」石井光太
「アジアにこぼれた涙」石井光太
「戦場の都市伝説」石井光太
「ノンフィクション新世紀」石井光太/責任編集
最近の作品は日本を題材にしたものが多い。
でも、初期の海外ルポ作品が(いまだに)一番好きである。
(知らずに読んで、インパクトが大きかったせいもあるだろう)
やはり、この2冊がベスト!
【参考リンク】
『浮浪児1945-』出版の経緯
【ネット上の紹介】
終戦直後、12万人以上の戦災孤児が生まれた日本。その中心、焼け跡の東京に生きた子供たちは、どこへ“消えた”のか?本書は、五年の歳月をかけて元浮浪児の方々の証言を集め、あの時代から現在までを結ぶ歴史に光を当てたものです。
[目次]
序章 遺書
第1章 上野と飢餓
第2章 弱肉強食
第3章 上野の浄化作戦
第4章 孤児院
第5章 六十余年の後