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「戸越銀座でつかまえて」星野博美

2024年02月02日 09時23分01秒 | 読書(エッセイ&コラム)


「戸越銀座でつかまえて」星野博美

星野博美さんのエッセイ、再読。
実家=戸越銀座に戻ってからの日々を綴っている。
週刊朝日での連載(2008年7月~2009年9月)が元になっている。

P8
自分はたった一つ、「自由」という小さな選択をしただけのつもりだった。
しかしこの「自由」というやつはすごく強欲で、ストーカーのように執念深い怪物だ。ちょっと楽しそうな出来事が現れるたびに「俺とあいつのどっちが大事なんだ!」とわめき散らし、「おまえは最後には俺のところに戻ってくるよな」と耳元でささやき続ける。それにすっかり洗脳され、楽しみや喜びが罪悪のように感じられる。
自由という名の暴君が、人生を食いつぶし始めたのである。

P72
旅とは何だろう。一言で言えば、片っ端から出会い、片っ端から別れること、だと私は思っている。出会いと別れがひっきりなしに訪れるから、喜怒哀楽の起伏は日常の比ではなく、思春期真っ最中の人のように、泣いたり笑ったり怒ったりを繰り返す。

P198
そしてハンガリーから帰国した日の翌日、しろは死んでしまった。
その翌年は取材のために中国へ行き、帰国した翌日、のりの兄、たまを亡くした。
私が海外へ行かなくなったのはそれからだ。海外へ行くたびに猫を失う。私には海外旅行が、もはや忌まわしいものにしか思えなくなってしまった。
そしてそれから精神状態が落ちこみ、実家へ戻ることに決めたのはすでに述べた通りだ。

P207
獣医のゆき子先生が言った。
「猫ちゃんって、がんばり屋なんですよ。必要以上に元気に振る舞うんです」
もともと捕食動物である猫は、弱みを見せると敵に攻撃されることを知っている。
だから本当は弱っているのに、攻撃されないよう、気丈に振る舞うのだという。

P226
私は丸二日、ゆきの遺体を抱いて眠った。
人が、死を受け入れるのはいつなのだろうか。

P228
このままだと、動物病院へ通ずる道しか歩けない人間になってしまう。ぼやーっと歩いても、動物病院へたどり着けない場所へ自分を隔離する必要がある。そして壊れた頭のプログラムを書き換えるくらいの荒療治が必要なのかもしれない。

そして、長崎県にある五島自動車学校へ、合宿免許を取りに行くことに決めた。
「島へ免許を取りに行く」


P290
1人暮らしに敗北して実家に戻った。
それを認められるようになったのは、ようやく今年に入ってからだ。その一言を書いたら、鉛筆が進み始めた。そして結局連載時の原稿のおよそ半分は捨て、あらたに書きなおすことにした。

【ネット上の紹介】
40代、非婚。「自由」に生きることに疲れ、一人暮らしをやめて戻ったのは実家のある戸越銀座だった。変わりゆく故郷の風景、老いゆく両親と愛猫2匹、近所のお年寄りとの交流。そのなかで見つけた新たな生き方。“旅する作家”が旅せず綴る珠玉のエッセイ。
第1章 とまどいだらけの地元暮らし(二つの町
妻妾同居 ほか)
第2章 私が子どもだった頃(仔猫と旅人
えこひいき ほか)
第3章 あまのじゃくの道(負け猫と負け犬
時間よ止まれ ほか)
第4章 そこにはいつも、猫がいた(皆既日食
時差 ほか)
第5章 戸越銀座が教えてくれたこと(二〇一一年三月十一日
防災訓練 ほか)