「もしも魔法が使えたら」星野光世
「戦争孤児」をテーマにした作品。
P10
学童疎開は、ふたつにわかれていました。
縁故疎開・・・・・・田舎の親戚や知人を頼って家族で移動すること。
集団疎開・・・・・・学校ごとに集団で地方へ移動すること。
P92
まわりの大人たちは、戦争孤児に対して本当に冷たかった――。
なぜ、戦争孤児になったのか。どうして浮浪児として生きなければならないのか。そう考えてくれる大人は、周囲にひとりもいなかったのです。
P119
新潟の伯母の家にいたときのこと。わたしはお腹をおわして、おもらしをしてしましました。伯母は怒って、雪の降っている夜、わたしを外に連れ出し、氷の張っているバケツの冷たい水を私の体にかけるのです。寒いのと、冷たいのと、お腹が痛いのをがまんして、「伯母さん、ごめんなさい、ごめんなさい」と謝るしかなかったのです。わたしが6歳のときでした。
「おまえも、親といっしょに死んでくれればよかったのに・・・・・・」と伯母にいわれました。
P19
3月10日の、この東京大空襲は、一般市民を標的とした空襲では世界史上最大規模だといわれています。(爆撃の指揮官だったのがカーチス・ルメイ。彼は、原爆も指示し、後に、ベトナム戦争時では、「石器時代に後戻りさせてやる」と発言した。なお、佐藤栄作内閣の時に、一等旭日大綬章が授与された。推薦は当時の防衛庁長官小泉純也と外務大臣椎名悦三郎の連名。この2人も、どうかしているし、阻止しなかった当時の政治家たちも頭がおかしい。当時の学生たちも、反対しなかったのか?)
カーチス・エマーソン・ルメイ(Curtis Emerson LeMay)
【ネット上の紹介】
伝えたい、戦争の「もうひとつの真実」を 83歳の主婦が、自らと10人の戦争孤児の体験を 絵と文章にして、子どもたちに語る活動をしています。悲惨な記憶が、永遠に過去のものであり続けるために――。もしも魔法が使えたら お母さん、あなたに会いたい! 戦争孤児12万3000人、彼らがどう生きたか、知っていますか? 東京で、山形で、神戸で、空襲により孤児となった11人の少年少女たちの「生きるための戦い」。【解説より】 苦しみに耐える子どもの顔は、あまりにも優しい。この絵本の魅力は、残酷な現実にもかかわらず、生き抜く子どもたちの美しい表情との対立にある。野田正彰(ノンフィクション作家・精神科医)
「疎開したおわん」(星野光世)
「ほたるの池」(永田郁子)
「見えない母に支えられて」(山田清一郎)
「プールで九死に一生を得る」(高橋喜美子)
「なーんだ、おまえなんか」(柳田守男)
「セーター30円で買ってやるよ」(米川琴)
「雪の夜に冷たい水をかけられて」(吉田由美子)
「孤児の運命」(村田温子)
「馬小屋で寝る弟」(児島武)
「1本のサツマイモを分け、命をつなぐ」(金子トミ)
「トラックで棄てられた、わたし」(山本/麗子)
もしも魔法が使えたら