MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『特集:ポルトガル映画祭2010 マノエル・ド・オリヴェイラとポルトガル映画の巨匠たち』 100点

2010-10-15 22:17:25 | goo映画レビュー

特集:ポルトガル映画祭2010 マノエル・ド・オリヴェイラとポルトガル映画の巨匠たち

-年/-

ネタバレ

『アニキ=ボボ』と‘ゼロの焦点’

総合★★★★★ 100

ストーリー ☆☆☆☆☆0点

キャスト ☆☆☆☆☆0点

演出 ☆☆☆☆☆0点

ビジュアル ☆☆☆☆☆0点

音楽 ☆☆☆☆☆0点

 最初に‘小津安二郎と五歳しか違わず、マキノ雅広や山中貞雄の年齢とほぼかさなりあっている’ポルトガルの映画監督マノエル・ド・オリヴェイラに関して書かれた文章を『マノエル・デ・オリヴェイラと現代ポルトガル映画』(エスクァイア マガジン ジャパン 2003.4.30)から引用しておく。
 「この時期、父のために、依頼を受けてオリヴェイラは六本の短編を撮っているが、あまり愛着のある作品ではないようで、しばしばカンディド・ピントという本名の一部を用いた名がクレジットされている。また平行してオリヴェイラは幾つもの企画を立てている。それらは実現することはなかったが、一部は出版されている。こうして映画への情熱を維持しつつ、彼は国内外のカーレースで好成績を収めたり、葡萄園主の娘マリア=イザベル・ブランダン・カルヴァリャイスと結婚している。
 一九四一年になって、再びアントニオ・ロペス・リベイロの協力を得ることができたオリヴェイラは、ようやく長編第一作『アニキ=ボボ』を作ることになる。再びドウロ河を舞台に、子供たちの生活を生々しく描いたこのフィルムは、ネオ・リアリズモを予告するものだ。『アニキ=ボボ』はクリスマス・シーズンに公開されたが、興業的には失敗する。その結果、オリヴェイラは再び映画界から遠ざかることになる。さらにはサラザール独裁体制というポルトガルの政治状況が映画製作にも暗い影を落とす。国立情報局の事前検閲によって、多くの企画が葬られていく状況下で、オリヴェイラの映画製作への道は一層閉ざされていく。以後の十四年間、彼は再び家業や葡萄栽培を中心とする生活を送ることになる。(P.20)」
 次に『アニキ=ボボ』の粗筋。
 「ドウロ河近くの小学生グループは刑事ごっこと泥棒ごっこ(アニキ=ボボ)が大好きだった。そしておとなしいカリ―トスと活発なエドワルドは、少女テレジーニャをめぐる恋のライバルだった。ある日カリ―トスはテレジーニャが欲しがっていた人形を盗んでプレゼントする。だがエドワルドが線路脇に転落してケガを負った事件でその責任を負わされ、仲間はずれにされたカリ―トスは、波止場に停泊した船に乗って町から出ようとするが失敗、盗んだ人形を持って自首する。だが商店主は事件の一部始終を見ていて皆に説明し、カリ―トスの潔白は証明されるのだった。(P.34)」
 1942年に公開された『アニキ=ボボ』は公開当時こそ興業的には失敗したようだが、今見直してみるとその後撮られていく映画の手本となっているように思える。作品の冒頭はいきなりエドワルドが線路脇に転落するクライマックスのシーンが挿入されている。カリ―トスが真夜中の人気のない道を大きな影を引きずって走っていくシーンは1949年公開の『第三の男』(キャロル・リード監督)において親友のホリー・マーチンスに見つかったハリー・ライムが闇夜の中を逃げていくシーンを想起させるし、1948年公開の『ドイツ零年』(ロベルト・ロッセリーニ監督)においてラストで主人公の12歳の少年エドモンドが投身自殺した場所の前には電車が走っている。
 1942年に公開されたポルトガル映画『アニキ=ボボ』は子供が主人公の映画として1933年に公開されたフランス映画『新学期・操行ゼロ』(ジャン・ヴィゴ監督)と、1948年に公開されたイタリア映画『ドイツ零年』の‘焦点’として改めて見直されるべき作品であろう。
 2010年7月26日にアテネ・フランセ文化センターにおいてポルトガルのペドロ・コスタ監督が『ポルトガル映画祭2010―マノエル・ド・オリヴェイラとポルトガル映画の巨匠たち』のプロモーションを兼ねてポルトガル映画史の講演を行った。印象的だった言葉は「もしも日本に溝口健二しか存在しなかったら?」という問いである。それはもちろんポルトガルにはマノエル・ド・オリヴェイラしかいなかったという反語なのであるが、しかしもしもある監督が次々と佳作を撮り、その上、活動期間が一般の映画監督の倍であるならば、その映画監督一人だけでも持つことができた国は稀有な幸運に恵まれているはずである。


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大人による子供の喧嘩

2010-10-15 00:08:29 | Weblog

「柳腰発言は幼稚」自民・伊吹氏、仙谷氏を批判(読売新聞) - goo ニュース
女性ほど強いものはない…柳腰批判受け流す(読売新聞) - goo ニュース

 とりあえずこの記事の登場人物の年齢を確認しておきたい。仙石由人が64歳、

鴨下一郎が61歳、伊吹文明が72歳、山本一太が52歳である。彼らが議論して

いることは仙谷官房長官が12日の衆院予算委員会で「柳腰で中国に対応していく」

と答弁した時の“柳腰”という言葉に関して、それは女性に対する表現で“柳腰外交”

はありえないという自民党議員の意見に対して仙石が「女性ほど強いものはないし、

柳はどんな強風が吹いてもゆらゆらとしたたかに、しなやかに対応している」と反論

しているのである。仙石は明らかに「柳に風と受け流す」という意味で柳腰という

“弱腰”を想起させる言葉をつかってしまったのである。みんな好い年の政治家

なんだから理論的に間違いを指摘しなければ、ただの子供の喧嘩にしかならない。

あ~あ~、この東京砂漠~ネタが古い。


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