映画は映画だ
2008年/韓国
究極の映画の‘甘美さ’
総合
80点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
スクリーンに映し出されることで表現される映画がまさに‘光’を表すのならば、さしずめ現実は‘影’とされるのであろうが、だからと言ってヤクザのイ・ガンペだけがその‘影’を背負うわけではなく、俳優のチャン・スタでさえプライベートはかなりの制約を受けてしまい、演技と称して意図的に何度も殴ってきた相手の俳優を思いっきり殴って怪我を負わせたことで一方的に非難を受けたり、恋人のウンソンとも密かに会うしかなく、イ・ガンペもチャン・スタも映画の中だけで輝けるのである。
しかしそのような映画の‘甘美さ’に囚われると足をすくわれる時がある。イ・ガンペはペク会長を裏切ったパク社長を暗殺しようと目論むが、何故か土壇場になってパク社長の命を助けてしまう。よく映画の中に出てくる‘ヒーロー’を気取ってしまうのであるが、現実はそれほど甘くはない。それはやがてチャン・スタがウンソンの望み通りに、一緒にパフェとアイスキャラメルマキアートをカフェのテラスという公衆の面前で食する‘甘美さ’とは対照的であるのだが、そもそも2人が生きている現実のジャンルが違うのである。
だからラストシーンのイ・ガンペのパク社長の撲殺は、映画とは比べものにならない現実の悲惨さを表現したというよりも、寧ろイ・ガンペがヤクザ映画の究極の‘甘美さ’に囚われたと見倣すべきだと思う。
小中学生も「留年」ある? 橋下市長が検討要請 大阪(朝日新聞) - goo ニュース
教育評論家の尾木直樹は朝日新聞の取材に、「一人ひとりの子どもの個性に見合った
教育を重視する観点から、本人や保護者が希望した場合には柔軟に留年も認めてよいと
いう趣旨」と強調した上で、まずは個人別の時間割り導入や少人数授業などの取り組みを
先行させることが前提で、そのうえで留年するかどうかを各家庭で選べる仕組みにすべき
だと言及し、「一定の学力に達しない子どもを機械的に留年させる考えなら私とは真逆。
安易な運用は競争主義を生むし、子どもの学習意欲をそぐ」と注文をつけた。 確かにもしも
私が留年させられるならば私は寧ろ退学を望む。学校は勉強するだけの場所ではなくて
友人を作る場所でもあるわけで、学年が違ってしまえば、今まで築き上げた友人関係は
破綻してしまうだろうし、年上の“バカ”を友人に選ぶ奇特な小中学生は何かを企んでいる。