ヒミズ
2011年/日本
東日本大震災という‘父親’について
総合 30点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
大きな幸福もないが大きな災いもない、ただ誰にも迷惑をかけずに一生‘普通’に、モグラのようにひっそりと暮らすことを願っている中学生の主人公の住田祐一の生活環境は決して良いものではなく、彼の父親は借金をしたまま蒸発してしまい、一緒にボート屋を営んでいた母親も間もなく新しい男と駆け落ちしてしまう。久しぶりに息子の前に現れた父親に何度も「本当におまえがいらない」と言われ、ついに父親を殺してしまい、せめて‘余った人生’を人の役にたてようと悪い奴を殺すために街をさまよいだすのであるが、例えば散々痛めつけられたサラ金を経営する金子に偶然遭遇して殺そうとしても、そういう時に限って金子は住田祐一に対してクルマで家まで送るなど親切心を見せるために殺し損ない、逆に紙袋に入れていた包丁など使ってもなかなか人を殺すことは出来ないとして、拳銃を置土産にするほどに住田に気を使ってくれる有り様で、住田は完全に善悪が分からなくなってしまう。
原作の意図は分かるのであるが、物語に東日本大震災を織り交ぜてしまった本作は失敗していると思う。住田祐一は自分を生み出した父親を殺したが、日本人は自分たちを生み出した自然の脅威にただ圧倒され無力感が残っただけで、それならば父親を殺すことが出来た祐一はまだ幸せだと勘違いさせてしまうからであり、‘父親殺し’というメインテーマと‘父親の怒り’であろう東日本大震災が全く噛み合っていないために、話題作りの感が否めないのであるが、監督としての‘敗北’とも見なせないこともない。
一人で持ち出せる2000万円を奪うためにわざわざテル彦が夜野正造を誘った理由も不明で、「私自身のこと以外、何もかも私には分かる」というヴィヨンの詩も、‘自身’と‘地震’をかけたのかもしれないが、趣味が良いとは言えず、せっかくの染谷将太と二階堂ふみの熱演が台無しになっていると思う。
教えて!ウォッチャー…名曲をアレンジして歌わないで!(教えて!ウォッチャー) - goo ニュース
大ヒットした名曲をアレンジを変えて歌ってしまう理由は一つしかないと思う。それは
聞き手ではなくて、歌手自身の方が何度も歌っているために飽きてしまったからである。
だから意図的に歌が入るところをずらしたり、リズムを変えたりするのではあるが、名曲
のほとんどが考え抜いた末の最高のアレンジと思ってレコーディングされているはず
なのだから、小賢しいアレンジで聞かされた時にはだいたいがっかりするものである。
私が名曲のアレンジを変えて良かったと思う曲は、誰も知らないとは思うが、布施明の
「セピア・カラー」である。最初のシングルヴァージョンは凝り過ぎた感があったのだが、
後にライヴアルバムに収録されたアレンジを変えたヴァージョンは素晴らしいと思った。