キツツキと雨
2011年/日本
映画業界の‘暴露モノ’
総合
80点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
作品の冒頭で、ベテランの木こりである岸克彦が、雨が降っているにも関わらず、外に干してあった洗濯物を取り込んでいなかった息子の浩一と取っ組み合いの喧嘩にまでなってしまった理由は、木こりという職業柄、事前に雨が降ることが分かるだけに、雨が降っても洗濯物を取り込まない息子はなおさら許し難かったのだと思う。その‘経験値’の高さは別の形をまとって、もう一人の主人公である若手新人監督の田辺幸一にプレッシャーをかける。幸一はベテランのチーフ助監督の鳥居とカメラマンの篠田に挟まれて、自分の演出の正誤をはっきりと言い出せない状態に陥っている。そこに現れる人物がベテランの‘素人’という立場の岸克彦である。成り行きではあるにしろ、まるで素人でも出来る(あるいは素人の方が出来る)というように克彦はロケーションハンティングやエキストラのキャスティングなどの助監督の仕事をこなし、俳優として出演するようになる(ここは、おそらく実体験を元にした脚本も担った沖田修一監督の皮肉が効いている)。
この幸一と克彦の緩い‘擬似父子’は、それまで存在していたはずの‘徒弟制度’を補うものとして機能するのであるが、やがて浩一が父親と同じ職業に就くところを見ると、どうやら徒弟制度の崩壊は映画界に限られるようである。
ラストの海岸のシーンで、大物俳優である羽場敬二郎に映画監督としての実力を認めてもらった幸一は克彦に作ってもらったディレクターズチェアーに座っている。移動の際に幸一が感じる、木で作られたその椅子を持ち上げた時の重みは、ようやく幸一が自覚出来るようになった映画監督としての責任を暗示させる。
前原氏の会見拒否、苦言と擁護(時事通信) - goo ニュース
記者会見で、前原は「事実と異なることを人をおとしめるために書き続けるのはペンの暴力
であるという思いを強く持っている。事実に反する事を書かれ続け受容の範囲を超えた。
公正、公平な報道をしてほしい」と述べ、産経新聞に対し文書で報道に関する説明を求めた
ことを明らかにしておきながら、出席拒否の理由とした産経新聞の報道内容については
具体的な言及を避けてしまうのでは、誰も報道内容の是非に関する検証は出来ないので
あるから、平野博文文部科学相が会見で「報道で気に入らないことはいっぱいある。事実で
あれば書いて当然だが、臆測で書いて批判するのはいかがなものか」と言ったところで、
臆測なのか事実なのかさえ分らないのである。万が一“言うだけ番長”などという茶化しで
ご立腹されたのであるならば、もしも気が変わって産経新聞の記者会見出席を認めるような
ことをしたら正真正銘の“言うだけ番長”になるだろう。